うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

自動

2011年02月28日 | 忘れかけていたこと

自動という仕組みは、便利一方かというとそうでもない。

私はむしろ、自動装置との付き合いは不自由との付き合いで、自動システムは、拘束・不自由を条件にして成立するものと思っている。

体は楽でも心は窮屈なのである。

粗忽度の増加を自認して運転をやめた自動車も、ATは性に合わず最後までMTで通した。

パソコンの操作には、自動でできることがいろいろある。

Google で「自動 」で検索してみる。自動の後に空白を入れないと、気が利きすぎて「自動車」の検索に走ってしまう。

「自動 ○○」というのが10項目ほど出てくる。そのうち8項目がパソコンの動作、操作にかかわることである。

Webを見ていると、これをどうぞというメッセージウィンドウが不意に現れることがある。

組み込まれているソフトのアップデートの勧めの場合はよいが、新しいバージョンにさっさと対価を払って乗り換えろ、旧版のサポートはいついつまででおしまいなどと、脅しめいた催促メッセージもある。

新しいバージョンをインストールすると、そのあと急に自動再起動が始まったり、フリーズしたり、おかしな具合になることがある。

同じA社を名乗っていながら、ソフトFはよくない結果がついてまわり、ソフトRは支障が起きない、そんなこともある。

自動は不自由だけでなく、不安との付き合いでもある。


マウス症候群

2011年02月27日 | 忘れかけていたこと

スクロール症候群などというやまいは、まさかないだろうと思ったが、マウス症候群というのはあった。


マウスによる体への影響は、マウスを使うときの癖から受ける。

「ウケルー」などと面白がってはいられないのだ。

 

マウスは、ときどき取り替えるとよい、小さ過ぎるのはよくない、指先に力を入れてはいけない、など、10項目のお託宣を見つけたので、ご高覧を。

      ↓
http://mause.dtiblog.com/?mode=m&no=6


横書き/縦書き

2011年02月26日 | 忘れかけていたこと

横書きの文と、縦書きの文を読む速さには違いがあるだろうか。人によって違うのかもしれない。

慣れているほうを速く読めるという想像は簡単だが、細かく読むのではなく書いてあることを見つける、あるいは逆に見落とすということについてはどうなのだろうか。

水平方向に広がる視野は、縦のスクロールによって面を見定めることができるようになる。

垂直方向に広がる視野は、横のスクロールによって面を見定めることができるようになる。

見つけるということは、視野に入った面からそれを拾い上げること、見落とすということは拾いそこなうことだ。

見落としについて考えていたら、横書きは横を見落としやすく、縦書きは縦を見落としやすいのではないかとふと思った。

パソコンのページは、横のスクロール幅がごくわずかだが、縦のスクロールは無限と言ってよいほどの長さに続けることができる。

どこまでも続いているようなWebページを追いかけていると、ページ面を縦列に分割して載せてある記事のどこかを見落とすことがしばしばある。

こういう見落としの癖は、スクロール症候群、あるいはヨコの見えない馬車馬症候群とでも名づけたらどうか。

そんなバカなことを思いついたのだった。


こだわり

2011年02月25日 | 忘れかけていたこと

「ピッタシ・ゲーム」2/10、「設定」2/17、「仮想段落」2/19 と、ワードのオブジェクト挿入前の作業に、ずいぶんこだわってきた。

名人級の寿司職人の手になると、サッとつかみあげたシャリ粒が、数まで同じになるほど正確に量が変わらないという話を聞いた。

寿司はネタによってシャリの量も変わってよいはずだから、大して自慢にするほどのことでもないだろうと思っていたが、ワードのページいっぱい段落設定の話も、似たようなものだと、自分で可笑しくなった。

こうすればピッタリなどとやってみたところで、はじめのページにオブジェクトを挿入すれば、先に入れておいた段落マークは、次のページに追いやられるのだから、ページの最下端ピッタリなどということは意味がないのだった。

ではどうするのか、オブジェクト挿入箇所のすぐ下に、段落マークがもう1個あることを確かめておけばよいのだ。

そうすれば、挿入したオブジェクトのすぐ下に段落マークが必ずあるではないか。

いや違うぞ、挿入オブジェクトの下に、文字であろうと次のオブジェクトであろうと、入れたいところをダブルクリックすれば、そこからまた始められるではないか。

ということは、ページ全面段落設定は予備作業としては必要がなくなるのか。
これはこれは、うっかりユーザーの名に恥じないところがまた披露できた。
めでたし、めでたし。


掃除

2011年02月24日 | 忘れかけていたこと
寝起きがだんだん悪くなる・・・・・、ときどきお掃除しやしゃんせ・・・・・。

パソコンの寝起きが悪いのは、起き上がる前に、無理にやってもらわなくてもよい余計な仕事をさせるからである。

アンインストールしたはずなのに、スタートアップに巣くって頑張るプログラムがある。
消したいものを消しにくいこと、それはパソコンのダメな点のひつつである。

スタートアップエントリを、次の手順でチェックすると、消したいプログラムを探し出すことができる。

1.[Windows ロゴ キー] + [R] 
              (スタート →「ファイル名を指定して実行」と同じ)

2.regedit と入力 → [OK]
              (レジストリエディタ起動) 
              
3.スタートアップエントリプログラムのあるフォルダーは2箇所

(1)マイコンピュータ 
        +HKEY_CURRENT_USER 
          +Software 
            +Microsoft 
              +Windows 
                +CurrentVersion 
                  +Run-     ←この中 

(2)マイコンピュータ 
        +HKEY_LOCAL_MACHINE 
          +Software 
            +Microsoft 
              +Windows 
                +CurrentVersion 
                  +Run-     ←この中 

私の場合、+HKEY_CURRENT_USER に実際にあったものは3個だった。

1.Baidu*.*・・・バイドゥ社の日本語入力システムで、Web検索などによく使われる単語を変換候補に出やすいようにしてあるらしい。
つい誘われてインストールはしてみたが、叩鍵最中にどうだこれかとうるさいのではないかと思い、使う気がせずに放置してあったものである。
これは Web検索でアンインストール方法を見つけて追い出したら、
+HKEY_CURRENT_USER から消えた。

2.ctfmon.exe ・・・Windows XP の拡張入力のようで、要らないのではないかと、コントロール・パネルの「言語」からこのテキストサービスをオフにしてみたら、言語バーが消えてしまった。
よく見ると、このオフ設定は「東アジアのユーザーにはお勧めできません」と書いてある。
ああ、ここも東アジアだったのだと思い直してまたチェックをはずし、元に戻した。



3.swg ・・・Googleツールバーの最新バージョンを教えてくれるメッセージらしいが、ツールバーはおよそ余分なものが増えてきて邪魔になるほうが多いから、要らないことにしてこの場で削除した。

+HKEY_LOCAL_MACHINE には余分なものは何もなかった。

体感速度に変化があったかどうかはともかく、ごみがなくなってさっぱりした気分だ。掃除というのはそんなものだから。

オールドバージョン

2011年02月23日 | 忘れかけていたこと
チェンジ大好き人間の集まった会社は、短期業績を上げやすい。
新しいものは良いものと思い込んで飛びつく、大勢の人びとがお客さんになってくれるから。

パソコンのソフトも、新しく、新しくと躍起になって作られる。
しっかり作ってだいじに使ってもらおうなどと考えていたのでは、ソフト屋さんは商売にならない。
作るほうは専門家なのだから、ここをこうすればよいというのはわかっている。
だが、一度に改めることはしない。少しずつ改良しながらバージョンアップを呼びかける。
変わり映えがしなくなって売れ行きが鈍れば、見た目をガラッと変えて売り出す。
買い替えが足踏みを始めれば、古いバージョンのサポートを打ち切る。



いまいましいからと、古いバージョンにこだわるユーザーもいる。こだわりが強いから新しいバージョンの機能も確かめることもしない。
新しいバージョンは、実際に使ってみなければ、どこがどう変わったのかわからない。
Web の宣伝記事や印刷物では実感はつかめない。

ベータ版というのがある。使ってみてください、試用は無料ですというもの。
それならと Office 2010 を使ってみた。
手始めに Wodr を起動する。いかにもぐずいので早く起きろと言いたくなる。
はじめに開かれる文書のファイル名は「文書1-Microsoft Word(ライセンスのない製品)」と嫌味たらしい。

たびたび使うわけではないから、1ヶ月の試用期間はすぐ終わる。
その後はまったく使えないかというとそうでもない。
編集操作なしのデータの書き消しぐらいはできる。しかし、ワードなら図の編集、エクセルならマクロぐらいはできなければ、持っている価値がない。それが一切できないのである。

忌々しく思って説明をよーく読むと、こういうことが書いてある。
「試用期間が終わりに近づいていることが表示され、完全製品版に変換するかどうかが尋ねられます。試用版の期間が終了するまでに完全製品版に変換しない場合、ソフトウェアは機能限定モードで実行されます。」

プログラマーの腕は、こういう仕掛けをわかりにくくがっちり作り上げることにあるのではないかなどと、アマチュア・ユーザーはすぐにそねみ心を起こすのである。

Skype 雑感

2011年02月22日 | 忘れかけていたこと
人間の活動態度は、あることに参加するか、参加しないかのどちらかである。
あることに不参加の者が、自分の理解可能な域まで全体の情報の伝播を望むのであれば、少なくともそれを求める活動を自ら起こさなければ成就しない。

Skype というシステムは、このあたりのことを見事に体現し体感させてくれる。
「求めよ、さらば与えられん」
座して何かを待ち、求めるものが何であるかも言わず、入ってくるものに不満を感じ、そしてぼやく、生活をかこつ者の悪癖である。

脱線ついでだが、Skype という名には何か引っかかるものがあって、それがなんだかわからずにいた。
ある朝ラジオで、女性の装身具にスイカップというサイズがあるという駄ばなしを聞いて、ずいぶん智恵のない安易な命名をするものだ、もう少し気の利いた名はないものかと思ったことがある。
たぶん顰蹙を買うであろうこんなことは、夜打って朝送り出す「夜打ち朝出し」でなければ書くのに躊躇しただろう。まあ、Blue Sky のもとで読む話ではない。



さて、ある日のこと、Skype に誰か待ち構えていないかと起動してみたら、思いがけない方から呼びかけがあった。
ニュー・バージョンでは、5人まで会議形式の交信ができるというので、そのテスト中だという。
実際にやってみると、3人めが入ったとき、どちらか1人が退却させられてしまう。
ごちゃごちゃやっているうちに、相手の顔が写って口の動きは見えているのに、声がまったく聞こえなくなった。
やむを得ず両耳を指差して両手で×を描いたら、それで通じたらしく、○が両手で示され、交信終了となった。
そのときの Skype 体験には何かスカッとしないものが残ってしまった。

後でよく調べたら、無料契約では、3人以上になると顔の見える「ビデオ通話」はできないことになっているのだった。
呼び込みの看板では、このあたりがよくわからないように仕掛けてあるのが、いかにも今様で、なんとも憎らしいのである。

トリミング

2011年02月21日 | 忘れかけていたこと
文学は世界をトリミングするものと言った人がいる。

動物の毛を刈り整えること、群生している草木をカットして見栄えをよくすること、画面から余分な部分を切り取って重要な部分を強調することもトリムと呼ばれる。
人間の髪を切るのはトリムと言わないのかと思ったら、そうでもななそうで、爪やひげも仲間に入っているようだ。

トリミングは、余分なものを切り取って、見たい部分、見せたい部分をはっきりさせる技法だが、周囲の環境が直線で削り取られ、切り取って捨てた部分に、実はだいじなものがあったということもある。

周囲環境という言葉は、自分が主で周りは自分の置かれた環境だという手前勝手な表現だと思う。
そもそも環境という言葉、トリミングという言葉も、少しずれたところで利用されやすく、怪しい性格と功罪を背負っている。

ワードの図をトリミングしてつなぎ合わせ、別の図にする便利な技法を勉強会で教えていただいた。
CADでしかできないことだと思っていたトリミングが、ワードでできる。
これはたいそう便利、縦横斜め直線切りなら自由自在である。

しかし、わがK印の文書作成ソフトにはこの機能はなく、それならと MS-Office 2010 の評価版で試みようとしたが、完全製品版に変換しなければ図の挿入などの編集はさせないと、進入禁止の色あせたリボンで跳ね返されてしまった。

こうなったら作戦はふたつ、[1]はじめからトリミング不要な図にする [2]白いものをかぶせる。
[1]は面倒、[2]はやや不吉、984がっても4かたなしか。

破棄

2011年02月20日 | 忘れかけていたこと
捨てる行為には思い切りが要る。決断というほど大げさでもないが、エイ・ヤッという気合だろうか。
再び手に入れることのできるものと、できないものとでは、気合の入り方も違ってくる。

パソコンのデータにも、捨てたほうがよいとわかっていながら、なかなか手の出ないものがある。
写真などはその代表だろう。
画像データはとかくかさばるものだが、シャカシャカ撮り続けてシャッターチャンスだけが違う同じ画面の写真はどんどん溜まる。それを整理せずにだいじに持ち続ける、溜めるのは好きでも選ぶのは嫌いという人もいる。

「破棄」は勧められても、情緒的には躊躇するのが人の常だが、パソコン画面の異常時には、キャッシュを捨ててみるとそれで回復することがある。
キャッシュを捨てなさいと言われると、現金を投げ出しなさいと言われているようで、気が進まないのには用語のせいもあるだろう。

Webを見ているときこんなメッセージが現れた。
「ソフトウェア更新の影響で、一部の表示に不具合の起こっている可能性があります。ページが正しく表示されない場合は表示しているページのアドレス末尾に
?action=purge を付けてキャッシュを破棄してみてください」

アドレスのうしろに何か書き込んで命令を下すこともできるのだった。
パージ命令だけでなく、ほかにもありそうな気がする。
どなたか教えてください。
 

仮想段落

2011年02月19日 | 忘れかけていたこと
2月17日の「設定」に、ワードの新ページ全体に段落を設けておく作業が瞬間的にできると書いた。
2ページもののマニュアル図を、ちょっと縮めて1ページに押し込むために、あの全段落の手を使ってみようと、いったんページの下隅でダブルクリック、よしよし。

さて上から画像を入れていこうと最上端をクリックする。
おや、入れたはずの段落マークが全部消えてしまった。

これはうかつ、ダブルクリックでパッと現れたのは、ページ全体の段落ではなかったのだ。
下隅のダブルクリックは、そこに入力するぞという宣言でしかなかった。
最下端に入力するには、ワードの性格上途中を飛ばすわけにいかないから、何もないところにもいずれ段落マークを落とさなければならない。その場合にはこうなるぞという仮想段落のマークが現れていたのだった。

言ってみただけで何もせずに引き上げれば、もうその気はないのかと判断される。仮想段落マークは消えて当たり前なのだ。
話を途中でやめて黙ってしまえば、相手にはなにも通じないというパソコンの教えである。

仮想は現実によって固定される。言ったことは、何がしかの実行によって、はじめてその効果が出る。
仮想のマークを消さないためには最下端に何かデータが入ればよい。
「・」を打つ方法もあるが、それでは仕上げのときに消さないとごみのように残る。こういうところには印刷に出てこないデータがよい。
それなら空白もデータだからとスペース・キーをポン、これで段落は形成された。

たったひとこまのスペースの話に、ずいぶんスペースを占領してしまった。

脅威

2011年02月18日 | 忘れかけていたこと
マルウェア、かな読みの響きはそれほど悪者に聞こえないが、始末に終えない悪いたずらをするコンピューター信号の総称である。
コンピューター信号には、ソフトウエアに組み上がったものもあり、組み立て以前のコードと呼ばれるソフトウエアの部品に相当するものもあるが、そのどちらにもたちの悪いのがある。

大悪人、小悪人、悪ガキ、みなマルウェアで、ウイルスと呼べないものもあるという。それがどんどん増えていて、1.4秒に1個の新種が誕生するという説もある。

何でも売れればよいとばかりに、ボタンを押すだけでマルウェアを作れるツールが地下市場で取引されているともいわれる。

ウイルス○○、セキュリティ○○など対策ソフトも、インフルエンザのワクチンと同じで、これから生まれてくるウイルスに万全の効き目があるものなどありはしない。
運が悪ければアウト、ダウンしても次に立ち上がったとき何食わぬ顔をして元に戻れるようでなければマルウェアに勝つことはできない。

スタックスネットという Microsoft Windows で感染するコンピュータウィルスがある。半年ぐらい前から広まったらしい。
Windows の弱みにつけこんで、エクスプローラを開いただけで感染潜伏するという。
じっと待ち構えていて、USBメモリーが接続されると、それを引き金にして発症、増殖するというから困ったものである。
こいつは特定の産業用機械を狙いをつけた攻撃で、インターネット以外のルートから侵入する。しかも、ソフトウエアだけでなくハードウエアにも食いつくというから恐ろしい。作動後は3週間しか生き延びないから対策もたてにくい。

産業用機械を狙っているなら、個人のパソコンは大丈夫だろうなどとのんきに構えていると、産業用の次はまた個人用と簡単に切り替えられて突然ひどいめにあうかもしれない。
敵の狙いは壊す楽しみだけなのだから。

USBメモリーを、便利だからといって自分の持ち物以外のパソコンに野放図に抜き差しするのは考えものなのだ。
USBでデータを持込むときは、ファイルを開く前に個別のウイルス検査をMicrosoft Security Essentials でスキャンを励行するなどの自衛手段を、面倒でも立てなければ、目に見えない危険はどこからでもやってくるのである。

設定

2011年02月17日 | 忘れかけていたこと
2月10日の「ピッタシ・ゲーム」のネタは、Oさんから勉強会のときに教えていただいた秘法だった。
ワードに図を挿入するとき、あらかじめページ全体に段落を仕込んでおくと便利なのである。
この準備作業でむずかしいのは、[Enter] キーを押しっぱなしにしておいてページの境い目でパッと止める技だった。
それをゲーム仕立てで練習してみようと書いておいたが、一発±0という人が現れた。Kさんである。白いページから始めて仕込みが終わるまで1秒もかからない。

忍者のようなこの早技は、終点でダブルクリック、それだけでなのである。
早速試してみたが、うちの Writer 君はぜんぜんいうことをきいてくれない。
あとでKさんに聞いてわかったのだが、いうことをきくようにするには、「こうしなさい」と言いつけておくことが必要だったのだ。



ソフトを手なづける秘訣は「オプション」の設定にある。
ソフトの種類やバージョンによって設定の注文窓口が違うが、 Writer 君のそれは[編集]タブの「ダブルクリック入力」というところだった。
「任意の場所でダブルクリックした時入力可能」という指定である。

ワード2003 あたりには「クリックアンドタイプ編集を行う」と、読んでも何のことかわからない札がかかっている。

オプションの設定は、「こういう場合にどうするか」という疑問が先に来て、「それならこれだ」という具合に逆引きで行われることが多い。
知識の体験入力派は、巡り会いがなければ気づかずに終わる。
そういう見つけにくい項目を、Kさんはどうやって見つけたのだろう。
だがそのことを尋ねるのはやめておこう、どう説明されても「オツムよ」がオチになりそうだから。

メディアプレイヤーの怪

2011年02月16日 | 忘れかけていたこと
メディアプレイヤーで再生を始めようとすると、ダイヤルアップの窓が現れる。
インターネットから音楽を取り込もうと、いまは思ってないのに、余計なことをしてくれてそこから先にに進めない。
CDを先にドライブに入れてオートスタートさせればCDの再生はできても、取り込んでおいた音楽を聴くことが、これではできないではないか。

ニュース・サイトなどにスッと入り込んで簡単に動画を見せてくれるメディアプレイヤーだが、呼び込みもするのか。
これはどうも、いつのまにかスラットの性格をもってしまったらしい。

何かの設定が邪魔しているのは間違いないと思ったが、その場では探り当てられなかった。
FAQにも出しておいたが返事がない。

何日か後、メディアプレイヤーを起動し、それらしいメニューを辿っていったら、これではないかというのに巡り会った。
・  *************************************************  ・
Windows Media Player の
[ツール]→[プラグイン]→[オプション]→[プレーヤー]タブ
「プレーヤーの設定」欄で
□インターネットに接続する(他のコマンドよりも優先)のチェックをはずす。
・  *************************************************  ・

自分でも試しておかないとと、外れていいたチェックを入れ、メディアプレイヤーを動かしてみる。何も変わりはない。
それもそのはず、吾がPCはインターネットにわざわざ接続する操作はしないようになっているのだった。

せっかく来たから寄って行こうと、マックスローチのドラムを聴く。

おや、ビング・クロスビー作詞という曲もあった。
I Don't Stand a Ghost of a Chance with You  ( 盤:1954 )

余計なことだが、70歳過ぎたらゴルフ熱中症には気をつけたほうがよい。ビングは17番ホールで昇天したから。


Gmail:2

2011年02月15日 | 忘れかけていたこと

わからないものごとには、ふたとおりの始末の仕方がある。
1.何がなんだかさっぱりわからず、足を踏み入れずに立ち去る。
2.大まかにわかって、とりあえず使うことはできるので、しばらく付き合う。

1の場合は、自分の力足らずか、性に合わないかのどちらかを自覚すれば、後は気にならない。
問題は、1と2の中間の場合だ。スカッとあきらめきれないのである。

使わなくても間に合っている Gmail が、いつまでも気になり、すっきりしない。
こういうときに、中級以下のスポーツ選手や芸人が使う「自分の中で」という気取った言い回しがあるが、あれはいただけない。自分のことを言うのに自分の中ではないだろう。
カッコウつけるつもりでかえって格好の崩れる言葉がいろいろあるが、その一つだと思う。

Gmail の入り口を訪れたのは多分二度目だろう。前に来たときに書き込んだ跡がまだ残っていたから。
電子記憶装置は、消えてくれてもよいことがなかなか消えない。消す方法が用意されてないと、書き込んだら最後いつまでも残る。
登録や投稿のシステム構成には、書き込みだけでなく、後戻りできることと削除できることは必須事項ではないかと思う。

まだ消えずに画面に出てきた Gmail アカウントの設定データに修正を加えて、少しだけ扉を開けてみることにした。
二度目にたずねた店の扉をそっと開けてみる気分だ。

わかった。アカウントの登録には、確認コード受信にケータイが必要だったのだ。
いまどきケータイを使わないのも珍しいだろうが、使い道のごく少ないものは邪魔だから持たないことにしている。
前の書き込みの残骸は、会員資格要件を満たさず引き上げた足跡だった。
これでさっぱりした。

ML談義

2011年02月14日 | 忘れかけていたこと
2月13日の「ML雑感」に、メーリングリストの交信が
n(1:1)=n:n
の関係で行われ、発信者としての自分=1が消え去ってしまうと書いたが、この論はやや怪しい。
もう少し実態に即していえば、
n(1:1)→ 1:1 ∪ 1:n ∪ n:n
             (注) ∪=or
ではないかと思う。

MLの交信には、1:1の場合も、1:nの場合も、n:nの場合も起こりうるということである。
これは、おおぜいの酒席で話がいろいろに弾むさまに似ている。
1:1の話を禁じてしまえば座が堅くなり、しらけ放しになるだろう。
普通の酒席で、遠くの席に始まった1:1の話が、全員に聞こえないからと怒る人はいない。
地方によってはそれがだめだという場所もあるかもしれないが、全国の酒席がそうでなければならないとなれば、真正社会主義になってしまう。

私がほかのMLに参加するとき、管理人から教えてもらったマナーはつぎのようなことだった。

・   **********************   ・
<MLのマナー>
MLでは、1:1の場合は最初に「○○さん」と呼びかけ、自分の名前を名乗ってから本文に入る。それで、ああこのメールは誰と誰が交信しているのだなあとわかる。
1:1の交信でも、メンバーになんとなく知っていてもらったほうがよいと思う場合にMLではこの形にする。

交信内容は読めばわかるから、関心のある人がその交信に加わることは自由で、その場合ははじめに交信していた2人の名前を「○○さん」「□□さん」と呼んでから入っていく。

1:1のはじめの話を、なんとなく知るだけではすっきりしない、特にこのことをもう少し知りたい、などという場合もある。
そのときには、行頭に「> 」マークを付けることによって、文面の該当部分を指摘して問いかけをすればよい。

他の人に中味を知らせたくないことや、まったく知らせる必要のないことは、MLを使わずに別の個人アドレス同士で行うのが通常の方法である。社内便を使ってラブレターはまずかろう。
また、みなに知られるように書いておいて読まないでくれということもできない。

まんべんなくメンバー全員に連絡したいときや話しかけたいときは、最初に「みなさん」とよびかければよい。
・   **********************   ・

MLが酒席と違うのは、お互いに顔が見えないことはもちろんだが、おうむ返しのやり取りができないことである。
書いておけばとりあえず気が済むというのでは、意思は伝わらない。
だから自分が何を伝えたいのか、はっきり書かないと、はじめの相手の1の人にも通じにくく、ほかのみなさんには、さらに何を言い合っているのかわからないことになる。
論理が先立つと文がゴツゴツしてくる。私にもその癖があるが、わかりやすく、やわらかに、これがなかなか難しい。

以心伝心や、言語軟化のプログラムは、MLにはインストールできないのである。