うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

読んでもらえないメールの出し方

2014年04月30日 | 忘れかけていたこと

何かを伝えたい結構だいじなメールでも、受信者が未開封のまま削除されてしまうことがあります。
読まれないメールには、読んでもらうためのちょっとした気配りが足りないところがあるものです。

1.誰から来たのかわかりにくい
送信者名が、ローマ字のまま、アドレス記号のままでは、受信側がメールルールで色づけでもしてなければ見逃されることがあります。
2.何の用事かわかりにくい
アドレス帳からの宛先探しをせずに、受信フォルダーにあったメールに返信すると手早くできるので、その手を使うのはよいのですが、件名を書き替えないと、本文の内容と無関係な「Re: XXX」のままで送られてしまい、読まれそこなうことがあります。
お互いにこれを繰り返していると、Re: に Re: がいくつもつながって、そのうちに件名の意味をなさなくなります。

以上を逆手にとって、メーリングリストで個人宛の内容を送信する場合は、宛名を件名欄に入れておけば、読んで欲しい人だけに読んでもらうこともできます。
封書の宛名「気付」の要領です。

それにしても「きづけ」とは、「きづいてください」という意味にもとれる、巧い言葉を考えたものだと感心します。
では、Re: にも Read me の意味があるのでしょうか。

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メールアドレスの知らせ方

2014年04月29日 | 忘れかけていたこと

メールアドレスをどこかにうっかり書き込むと、迷惑行為の道具に使われます。
ハイパーリンクという、ひとりでに設定してくれてつながりをもてる、便利さの悪用です。
文字列に半角アットマーク @ が入ると、それをメールアドレスと判別して、そのアドレスにメールを送信するという仕組みです。
メールアドレスでさえあれば、どこの誰ともお構いなしにメールを送りつけ、つながりを持ちたい気配が見えたらうまいことを言って騙してやろうという寸法です。

これに引っかからないようにするには、@ を入れない文字列で、相手にメールアドレスがわかるようにするという、いつかの会合でTさんから聞いていた話を、昨日見ていたサイトの連絡先の記載方法を見て思い出しました。

xxxxx.yyyyyアットzzzzz.com 』という書き方です。
「e-mail送信先は、アットを @ (半角)に書き替えて下さい」という添え書きがあります。
これならコピペしてから アット⇒@ と直すだけでうまくいきます。

アドレスをガサガサかき集めるには、目で見ながらの手作業などはしませんから、@ さえなければ熊手の先に引っ掛けられることはないので大丈夫というわけでした。

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テンプレートは創造力を縮ませる

2014年04月28日 | ソフトいろいろ

パソコンのソフトにはいろいろなテンプレートが付いています。
雛形になるデータです。
たくさんの見本の中ならどれかを選んで決めさえすれば、はい出来上がりという便利なものです。

忙しい仕事の中で早く済ませるには、これは結構なシステムなのですが、どんなことでも便利が上等と、テンプレートを探し回ってそれを使い続けていると、自分で考えて作ることをしなくなります。
考えることを止めれば、脳の働きもそれに慣れて、考える機能を仕舞い込んでしまいます。

ものごとの計画や設計をする人にとって、考える機能の低下は致命的です。
テンプレート依存症も、ほかの依存症と同様、いったんかかるとなかなか抜け出せません。
計画も設計も、モノマネで間に合わせることになります。
ついこの間ひっくり返った大型船の改造プランも、間に合わせ設計の見本でしょう。

これはまずいと気付いた人もいて、「ゼロから設計マン」という人材育成プログラムを提供している会社があるという記事が目に付きました。
 ⇒ http://jump.cx/jingr

この会社 XrossVate の松本晋一社長のブログも、ハウツー依存症、テンプレート依存症の人には読むクスリになりそうです。
 ⇒ http://jump.cx/matublg

興味をお持ちの方はどうぞ、ご覧ください。

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ブログとは歩きながらの独り言

2014年04月27日 | 千差万別

ブログを書いて出しておくと、その説明を求められることがあります。
読むのが面倒だから話なら聞いてやるということなのか、話の種になりそうだから注文を出すそぶりをなさるのか、よくわかりません。
関心を寄せていただけるのはありがたいと思わなければならないでしょう。
しかし、話題にされるときは、書いているという行為に対してのことが多いのです。

ブログの書き手としては、できれば中身での突込みがほしいのですが、それはごくたまにしかありません。
小説家が、小説の内容ではなく書き方を話題にされたり、小説全体の解説を求められたりしても、まともな答をする気にはならないでしょう。
なかには調子に乗って「小説の書き方」などという本を書いてしまう人もいますが。


自分が書くブログを省みると、歩きながらの独り言のようなもので、それを書くのは現代病の一症状なのかもしれません。どうやら、あまり立派なことではなさそうです。
ブログの説明を求められたときの困惑は、独り言を聞き返されたときのように、全然別の気分に切り替えなければならないのが厄介であるのに似ていると、いま気付いたところです。

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雲の中にドロボーはいないのか

2014年04月26日 | 千差万別

ウイルスだ、マルウエアだと騒ぐ人は多いのですが、クラウドのセキュリティを気にしている話はあまり聞きません。
クラウドはつかみようがないからかえって安全だと思っているのでしょうか。
これは、お役所の仕事は無謬であるという、あの奇妙な信心とどこか似ています。

こういう記事もありますので、興味をお持ちの方はどうぞ。
━━ エキスパートが語る「新たなセキュリティモデル」とは ━━
 ⇒ http://jump.cx/cldsec

この興味は、信心の深さか浅さかどちらにどうかかわるのか、もやもやわからないところが、クラウドらしくもあります。

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聞き取れなければ繰り返し聞く

2014年04月24日 | ソフトいろいろ

YouTube のよいところは、随所随時に繰り返し視聴ができることです。
画像は通り過ぎても見えた範囲のことですから思い出せばよいのですが、聞き取りそこなった音声は、聞こえてなかったのですから思い出しようがありません。

TVではたとえ録画をとってあったにしても、その場で待ってもらうわけにいきません。
YouTube などPC情報の動画は、マッタがききます。
いま言っていっていた言葉をもう一度聞きたい、そのあとで話の続きを聞きたい、そんなときにはたいそう便利です。

「え」とたびたび聞き返されるのが面倒でじりじりしてきたら、「YouTube, YouTube」と頭の中で唱えることにするとよいのではないかと、いま思いつきました。

「え」「YouTube, YouTube」
うっかり口に出すと、話がいっそうややこしくなりそうです。

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FAQにもふたとおりがあった

2014年04月23日 | 千差万別

Frequently Asked Questions を、 Frequently Answered Questions であるとしているお教えサイトがありました。
「よくある質問」の「よくある」を親切な気持で表現すれば「しばしば問われた」となるでしょう。
しかしこれを面倒がり表現にすると「繰り返し答えた」となります。
「また訊くのか」という皮肉な言い方です。

二つ並べると、どちらが正しいのですかという「よくある質問」がすぐに飛び出しそうです。
人間の考えには、ただ一つだけ正しいことがあるという、お託宣を信じる人が「よくする質問」です。
自分では考えずに、見も知らない人でも誰かに答えてもらえば安心するという、善人まる出しなのか、あるいはもう一つの丸出し型なのか、この先はお答えできませんと言っておいたほうがよさそうです。

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FAQをボヤキの場所と間違える人

2014年04月22日 | 千差万別

質問を出しておくと、その疑問に回答を与えてもらえるFAQサイトは便利です。
Frequently Asked Questions「頻繁に尋ねられる質問」、日本語では「よくある質問」で、まったくの未経験者でも、「XXとは」で検索すればどこかそれらしいサイトの案内看板が目の前に並びます。


人の集まった場所では、疑問があるわけでもないのに、話の種を質問の形にしていくという話題を盛り上げ方もあって、その手をFAQサイトに持ち込む人もいます。
疑問に答が欲しいのではなく、生活の瞬間、あるいは退屈の合間のボヤキを、質問型に仕立てて、誰かになるほどそうだと言ってもらいたいのです。

同意を求めることは質問ではないのに、議会にも同じようなやりとりが見られます。
こうなると、小学校の学級委員会とたいして変わりません。
思い出しました。子どもの頃、意味をつかめなかった「ソーダ村の村長さん」の唄はこれだったのです。

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一人静かに音なしクリック

2014年04月21日 | 千差万別

自分の原因で出している音は気になりませんが、人の所作が発生源で耳に入ってくる音は、こちらに向かっての話し声や音楽以外はすべて雑音ですから、気にし始めるといつまでも続いて聞こえます。

リズムのないマウスのクリック音も、パソコンを使っていない人には雑音でしかありません。
タッチパッドは苦手、夜中か人の集まるところでも、音をたてずにマウスを使いたい方むけの「静音ワイヤレスマウス」というものがありました。
 ⇒ http://jump.cx/slmou
それほど高いものでもないので、お試しください。

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持って歩く重さの目安は

2014年04月20日 | 千差万別

ノートパソコンもようやく持ち運ぶものから持ち歩けるものになりました。
1.12kg 、A4の普通紙約200枚の重さです。
このぐらいであれば歩く距離が多少長くても、電車、バスに乗っても、苦にならないでしょう。

タブレットのように見る使い方中心でなく、キーを叩いて作る仕事をしたい人は、それなりの機能をそなえたパソコンを望むでしょうから、持ち運ぶ苦痛からの解放されるとなれば、それは福音でしょう。

どんなものかは、こちらをどうぞ。
 ⇒ http://jump.cx/lypcts

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雑多も生活文化環境なのでした

2014年04月19日 | 千差万別

「そのとき便利はあとから面倒」と昨日書きましたが、面倒なことが好きな人はどうしたらよいのでしょうか。

フォルダーに「その他」を作れば、それが真っ先にいっぱいになります。
パソコンのフォルダーは、いっぱいになっても何ともないのが欠点です。
「いっぱい」とはと考える人がいないので、物差しもありません。

自動で付いてしまう仮番号も、名前を変えずにそのままフォルダー入りで、何千枚もの写真を貯め込む人もいます。
名前を考えるのが面倒、捨てるのも面倒、しかし、サムネイルの小さな画像を端から見てお目当ての写真を探すのは面倒ではない、という人もいます。
あそこにあるはずだ、その感覚がお楽しみのようなのです。

「雑多ごっちゃもわたしの環境」言うだけムダということもあります。脱帽退散しかありません。

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その他をなくせば整理がスッキリ

2014年04月18日 | 忘れかけていたこと

パソコンの画面がテレビのように大きかったらどうでしょう。
風景画像を見るとき以外は、まず「合わない」感が強くなると思います。
テレビでも最近バカのようなド・アップが映ります。
テレビをわざわざ小さな画面で見る人が増えたからかもしれません。

パソコンの画面は、パッと見て隅から隅まで見渡せる大きさに作られています。
ひところ20インチ以上の大型ディスプレイが使われることもありましたが、大きくすればよく見えるだろうという錯覚に気付いたか、姿を消しました。

ひと目で見渡せること、ディスプレイがそうできていれば、データの表示もそれに合わせるのが上手な使い方で、スクロールを繰り返さなければ次に見るところが出てこないのはヘボだということになります。

フォルダーの数も、フォルダーの中身も、ひと目で見渡せるだけに絞るとよいでしょう。
それには「その他」を作らないことです。
「そのとき便利はあとから面倒」なのです。

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はさみを使わない切抜き

2014年04月17日 | 千差万別

コピー⇒貼り付けの操作をコピペと呼びます。
コピーペーストと言っても、それほど時間がかかるわけでもないのに、コピペと縮めて言いたがる人が多いのでしょう。
短縮語は、音の構成がよくないとカムときがあります。
コピペも pi と pe が続くのでカミやすい言葉です。
カンで言いなおせば余計に手間がかかるのに、なぜわざわざ縮めるのか、こんなことを書いていて、短縮語は言うためではなく書くためのものだったとようやく気付きました。

コピペがあるならカトペもありかと、試しに検索してみたら、ありました。
切り取り⇒貼り付けがカトペなのです。
カトチャン・ペというあの変な独白とどこか似ていて、こちらのほうは音の構成も具合がよさそうです。

新聞や雑誌の切り抜きを写真画像にして貼り付ければ、はさみいらず打ち込み入らずで便利ですが、シャッター⇒貼り付けはシャカペとでも言うのでしょうか。
貼り付けずに画像のまま保存ならシャカホ、お釈迦様の苦笑は、とそこまで行ってしまうとわけがわからなくなります。

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電源が入らなくなったら

2014年04月16日 | 忘れかけていたこと

パソコンで、いちばん始末の悪い故障は電源系です。
もしパソコンの電源が突然入らないくなったら、試してみるとよいことが一つあります。

これはTさんから実際にやって見せてもらって覚えたことです。
こういう機会はわざわざ作ろうとしてできることではありません。小保方さんの困惑と、どこか似ています。
偶然起きて、そのときにこの対処法を見せてくれる人が偶然そこにいて、自分が偶然居合わせるという、偶然の重なりに恵まれなければ覚えることはできませんでした。
どこかでだれかの話を聞いていたぐらいのことでは、頭の隅に残ってはいても外にはなかなか出てきません。

手順はこんな具合です。
1.電源アダプターを抜いておく。
2.パソコンの電源が切れていることを確認する。
3.パソコンをひっ繰り返して電池の入っているところの蓋を開ける。
  これがメーカー、型式によって違うので、自分のパソコンの場合は「ここ」と覚えておかなかればなりません。
  知らなければ探り当てるよりないでしょう。
4.電池をいったんはずす。
  このとき、接続端子に手を触れないように、手の油やゴミがついて、次の故障の原因になります。
5.20秒ほどおいて、電池を再び差し込む。
6.パソコンの電源スイッチを入れてみる。

運がよければこれで復活します。
なぜこうなるのか、どなたか教えてください。

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電池を使っていてもスマートか

2014年04月15日 | 千差万別

何でも「超」をつけると立派に見えるらしく、「超電池」というXXが現れました。
「XX」のところは、いったん「もの」と書いてみたのですが、いわゆるモノではなく、「超電池」という名のソフトなので、こう書き換えました。

この「超電池」は、スマホのシステムの中で、最もスマートでない電池~充電という系で、節電、保全、可視化の機能が高められるというありがたいアプリです。
システムをよりスマートにという点では優れたXXなのでしょう。
 ⇒ http://jump.cx/spstb

しかし、これにはどこかスカッとさわやかでないところがあります。

1.はじめからシステムに持たせておけばよい機能を、なぜ別売のアプリに仕立てるのか。
 「標準」と「追加」を別にして、選べるようにする、それがスマートなビジネスだから。

2.電源系がいちばんの故障の元、ハードの問題になぜソフトを使って逃げを打つのか。
  対象を峻別して、役割を分かち合う、それがスマートなビジネスだから。

スマートというのは、気がつけば「名前」だったのです。

パソコンでも、いちばん始末の悪い故障は電源系です。
発火の恐れや充電の必要がないソーラーで動かせるようになれば、それこそ本当の「超電池」、スマートなシステムと言えると思うのですが、いかがでしょうか。

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