旧あわら病院ブログ(2016年度までの軌跡)

福井県の北の端にある「独立行政法人国立病院機構あわら病院」の
2008年11月から2017年3月までの記録です。

コード・ブルーとか

2010年02月23日 20時18分03秒 | Weblog
最近は続けて見ているドラマがありません。
強いて言えば「龍馬伝」くらいですが、これもある意味、惰性です。その前の「ダーウィンが来た!」を見ている流れで、そのまま続けて…という。ファンの人、すみません。
そんなわけで、普段の「ドラマを見る」という状態は、「偶然つけたTVのチャンネルをそのまま流している」ということです。たまたまドラマだった、というわけです。

先週、偶然つけたチャンネルは、いわゆる「月9」でした。
「コード・ブルー」…医療モノです。
医療ドラマはその嘘臭さが気になるので、あまり見ない…またはリアルだった場合、仕事を思い出すので、やはり見ない(笑)のですが、たまたまつけた場面で、医師役の戸田恵梨香(役名知りません)が患者さんのお母さんに「脳死」のIC(インフォームド・コンセント)をしていました。
「若いDr.が難しいICをしている…。」と思って見ていたら、感極まった恵梨香さん(役名なんだっけ?)が「生きているうちに抱っこしてやりたい」というお母さんの願いを叶える為に、同意書をとらずにお子さんの呼吸器をはずしてしまい…看護師もそれを黙認し…患者さんはそのまま…。

「ちょっとそれは、(今の社会制度じゃ)まずいのでは?…呼吸器つけたままでも抱っこできるのでは…?(ドラマの展開上、はずしたんだろうけどね…。)」
そして案の定、(お母さんは納得していたのですが)親戚が「医療過誤」だと騒ぎ…という、展開でした。

「なぜ呼吸器をはずす!?」ということは置いておく(←ホントは置いとけないけど)としても、この展開を見ていて、「看取りは難しい」と改めて思いました。

「看取り」は、医療に携わるものにとって大きなテーマです。(医療に関わっていなくても、看取りや死は身近なことですが。)
当院は、(専門医療として)高齢者医療や重症心身障害児(者)医療に携わっています。高齢者の方や障害者の方は、「ご自分の終末期をどう過ごしたいか」という意志をこちらに伝えられないことが多く、如何せん、ご家族との相談が多くなります。(終末期に限らず、普段の生活についても「どう過ごしたいかをともに考える」のが、重症心身障害児(者)では重要ですが。)
 
「看取り」では本人の意志・尊厳の尊重、そして、遺される周囲の人々の心の安寧が大切だと思います。

疾患による痛みに最期まで苛まれるのは、本人だけでなく、見ている者も辛いです。
最後の最後に呼吸器を装着したものの、意識がないまま亡くなるまでただ看ているのは辛いです。(でも、呼吸器をつけたことで、遠くのお孫さんが最期に駆けつけることができるかもしれません。)

理想の看取り、とは何でしょうか。高齢者医療や緩和ケアでは日々ぶつかる問題で、当たり前すぎることかもしれないけれど、とても重いテーマですね。理想は1人ひとり(そして家族ごとに)違うかもしれないし。違って当然でしょう、生き方も1人ひとり違いますしね…。

先日、講演に来てくださった尾藤先生は、終末期ケアにおける臨床判断の考え方として「一人で決めない。一度に決めない。」と、おっしゃっていました。

終末期についてつらつら考えていて思い出したのが、先日読んだ「神様のカルテ」という本です。この本にも看取りについて考えさせられる場面がありました。なんせ作者が地域医療に携わっている(いた?)現役のお医者さんですから、医者の気持ち(と忙しさ)は、かなりリアル!?
でも主人公、お酒のみすぎ…。(いや、私、下戸なもので…。)


つらつら考える、そんな日もあります。


昨日も「コード・ブルー」でした。ちゃんと観る暇がなかったので、話がどうなったかわかりません。

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