俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

9月19日(金)のつぶやき

2014-09-20 04:06:12 | twitter

日本に限らずだけども教育研究書のうさんくささ漂う潔癖な表現や考え方が眠気を誘う


教師という職業はまぁまずサービス業である。ということはある程度、求められる教師像や教授法というのは存在するわけで、マニュアルというものがあってもいいのに、わりと詳細なマニュアルが存在しない。


しかしながら、教育というのは生き物であるし、どの教え方が正解というものがなく、かつ時代や学習者に合わせて変えていくものである…みたいなことをいって、自分で考えてくださいという結末が多くの場合存在する。


商売する業界からやってきた人間からすると、そんな理念で秘匿にしているとは思えない。単純に教育ノウハウ、授業のノウハウを流してしまうと商売あがったりだから秘密にしておくというサービス業の側面がありありと見える。


現場でも教えるのが面倒なのか、お互いの教育における考え方・信条に触れないようにするための配慮なのか知らないけども、不可侵領域みたいなのが教師ごとに存在し、教育ノウハウが伝授される機会はほとんどないように思う。ようは戦い方は実戦で学べというのだ。


そうして堂々巡りなのである。なにか良い教授法を勉強したいと思って、頼れる先輩もいないと書籍やインターネットを調べるけども、最終的には「自分で考えてね」みたいなパターン。なんだそれ。


要はすべてのサービス業において、明確なマニュアルがあるわけじゃないけども、こういうトラブルがあった際はこうして対応したとか、ケーススタディを知る機会はある。なんで教育界は意図的にそれを避けているように思う。


教師だって人間だから、汚い生き物であることは認めておきながら、教育というフィールドの理念「自由」「リベラル」であることを、教師育成の場にも押し付けるのはやめてほしい。


リベラルであることと、なにもないのは違うわけでしょ。いろいろ判断材料があって、選ぶ自由があることがあるのは自由であって、なにもないですから自由ですね、頑張ってというのは放棄ではないのだろうか…と教育書を読んで思った次第です。


ふぁ、エクスプローラーエラーとな


あれ、来月から担当学生が120人になるを(^q^)