俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

ひとは理解できることしか学べない

2013-12-19 20:20:01 | 社会問題
英語教育、小3から…文科相、改革プラン発表


将来的に小学校5年生から英語の授業を取り入れることが決まりましたな。

それを聞いてまず思ったのが、部活の後輩が小学校の先生になるための学校通っているけど彼は大丈夫なのかという心配。(もとより人間としてまず先生になれるのかという疑問はさておき)

中学の英語の授業も英語で全部やろうというのも合わせてのことですが…どうなんですかね。

少し前に学校の授業で「あなたの記憶に残る語学の先生を教えてください」みたいな話があって、僕は何も思いつかなかったんですよ(何。
悪い意味・ふざけた意味ではいくらでも思いつくんですが良い意味で「あの先生の授業があったから今の僕がある」なんて思い出は英語に限らずあまりない。
国語の古典ぐらいですかね…僕は千葉先生の授業あれで好きだったんですよ。それと染谷先生の授業。
それに比べて英語は中学高校6年間のうち5年間が英語担任がクラス担任であったのに全くといって良い思い出はありませんなぁ…。

それで仕方なく中学2年生のころ長文を丸暗記という課題を思い出したんですよ。田崎先生ですね。
Progressというテキストにある長文(B51ページ)を丸暗記して、小テストで白紙の紙だけ配られてそれに全部書いていく。採点は間違った一単語につきマイナス一点というすでに中間・期末試験で同じ長文が出されても問題を読まずして解けてしまうという力技。

それが良い語学学習なのかはさっぱりわかりません。今では何となくわかりますけど、当時は英語の宗教的儀式の一環なのか刑罰なのかという心地でしたが。

ここで重要なのはなんでそれをやっているかが今の僕にはわかって、当時の僕にはわからなかったのかという点なんです。

13、14歳のころ、僕はどっぷり中二病を患っており、その結果be動詞と一般動詞も区別できない末期症状に陥っていました。
その原因は「英語が分からない」からというよりも、「英語の必要性に気付けなかった」からと勝手に思っていました。でもやっぱり今考えると「英語が分からない」からなんですよ。

小学校のころから僕はとにかく本を読まない人間で、おかげさまで中学受験でも足を引っ張るのは国語(それ以外も引っ張られるほどよくもないけど)。そもそもとして言語に関する興味や、言葉を紡いで構成された概念とかを読み取ることができない人間だったと思います。日本語で書かれている文章でも構造的な理解がまったくできていなかったわけです。ただ日常的に口語的な会話ができているだけで。

言語学の研究で「発達相互依存仮説」という仮説があって、第二言語習得は第一言語ですでに習得したのに依存するという仮説があって、英語を勉強しはじめたときに理解できることは日本語でわかっていることだというんです。ということはそもそも日本語を構造的に理解できていない人間に英語を構造的に教えられたってわかんないんですよ。言葉が構造的にできているという概念や考え方が理解できないんですから。

我々が普段日本語を話していることと、黒板で書かれていたり・教科書に載っている英語を比べてみるとそもそも考え方というかとらえ方に差があると思うんです。我々は自然と(時に意図的に時に無意識に)身に着けた言葉を話す際にその構造を意識せず場面を想定して話すと思いますが、中学で習う英語ときたら名詞、動詞、形容詞がこういう風に並んで、前置詞を用いて…みたいな教え方されても、その教わり方をしたことがなくて、それを理解するって難しいと僕は思います(ただし、多くの日本人はそれで英語ができるようになっているので僕の言ってることは単純な自己肯定・言い訳です)

だったらですよ。長文をびっちり暗記してしまった方が効果があるんじゃないかということに今になって気づくわけです。文法的な構造・ルールなんて後回しにしてこれがもう言葉なんだから、文章なんだからそれを暗記してしまって、構造については後で考えましょう…という発想は実にしっくりくるなぁと思うわけです。いざやってみるとB51ページくらいの英文暗記できますからご心配なく。

いまになって英語やその他の外国語を理解したり、もともとの日本語を理解したりできるのは構造的にものごとをとらえられているからであって、スポンジが水を吸収するように体得したわけではなく一個一個パーツを確認して積み上げたからでしかない。変な話。学生時代よりもいまのほうが英語が分かる気がするし、必要性も相まって、おもしろいと思えるようになったものです。

まぁそのあたりのはなしはまたの機会に。

閑話休題。

ともかく英語の授業は大変だろうなぁ。僕が通っている学校の先生方はものすごく否定的な意見でした。
僕はもっとやるべきだと思うんですよ、都心部は。田舎で英語教育して国際性身に着けて何の意味があるかはわからない…。
英語教育とプログラミングの教育を両立したらいいんじゃないかなぁ。幸いにしてプログラミングは英語だし!

最新の画像もっと見る

コメントを投稿