まるみのあっちこっち巡り

ー32,000枚を超える写真とともに綴るお出かけブログー

にっぽん丸GW日本一周クルーズ 島原港沖 出港

2016-11-17 00:12:39 | 2016にっぽん丸 GW日本一周クルーズ


島原港岸壁発の最終通船が14時50分でした。
にっぽん丸は錨泊していたので、島原港沖から
16時頃の出港となりました。







セレモニーはありませんので、
静かに島原港沖から離れて行きました。







スポーツデッキでは、シャッフルボード、
カーリングに似た玉突きデッキゲームが行われています。







船の上でシャッフルボードに興じるのは万国共通、
チャレンジしてみようかなと思ってはいます。

オアシススタジアムではリズムウォーキング。
アフタヌーンティも終わり、ディナーの前にカラダを動かし、
美味しく食事ができるようにといったところでしょうか。







プールも使用したことはありませんが、
利用時間は7時~19時です。

オアシスジムのフィットネス機器を使用して、
脳を使い、カラダを鍛え…







リド・バーで、ゴディバのショコリキサーでブレイク。







そして、サンセットを楽しみます。







この日のサンセットは特別なものでした。
パンフレットはもちろんのこと
船内新聞にも記載されてはいなかったのです。

2016.5.1
コメント

にっぽん丸GW日本一周クルーズ 4日目のランチ

2016-11-16 00:49:27 | 2016にっぽん丸 GW日本一周クルーズ


島原港の岸壁から通船(小型ボート)で、
無事ににっぽん丸に戻ってきました。







海は穏やかで、空も澄み切って気持ちの良い1日です。







こうして海を眺めているだけでも幸せです。

でも、確実にお腹が空いているのです。
急いでダイニングへ向かいましょう。
13時15分までにダイニングへ滑り込めばOK







鰹のタタキ ゆずポン酢、野菜のグラタン、
島原手延べよりかけ麺、
(牛肉と木耳の時雨煮 大根卸し 蒲鉾)
葱トロ丼、グリーンサラダ、香の物







イタリアンサラダ、
(アスパラガス、胡瓜、チーズ、サラミなど)
烏賊リングフライ、ソーセージ巻き牛肉の煮込み、
筍のポタージュ、鰹のタタキ、ベジタブルサンドイッチ

他に鶏肉のフィリピン風の煮込み、フルーツ、デザート、
ウーロン茶、ジュース、コーヒー、紅茶、日本茶の
ビュッフェランチでした。

かなりの距離を早歩きしたこともあって、
しっかりと美味しく頂きました。







11日間の船旅ですから有料ですが、
寿司ランチもいいかも

2016.5.1
コメント

にっぽん丸GW日本一周クルーズ 島原港へ戻る

2016-11-15 01:03:05 | 2016にっぽん丸 GW日本一周クルーズ


島原城の大手門をモチーフにした
特徴的な駅舎は、島原鉄道の島原駅で、
島原城や武家屋敷などの最寄り駅となります。







諫早市の諫早駅から島原市の島原外港駅までを結んでいる
島原鉄道は、島原半島の北岸から東岸を走る鉄道路線。
非電化ローカル線で、ほとんどの列車で
ワンマン運転を実施しているそうです。







おどみゃ島原の おどみゃ島原の ナシの木育ちよ
何のナシやら 何のナシやら 色気なしばよ 
しょうかいな 早よ寝ろ泣かんで オロロンバイ
鬼(おん)の池ン久助(きゅうすけ)どんの連れんこらるバイ

「島原の子守唄」宮崎康平作詞・作曲

この子守歌を聴くととても哀しくなってしまうのですが、
江戸時代の末から明治・大正、昭和の初めにかけて、
遠く中国や東南アジアなどに渡り、娼館で働いた
『からゆきさん』と呼ばれた娘たちの多くが
島原や天草の出身者だったといわれます。







今では、鯉が駅長さんになる時代になりました。







これが駅長さんです。







自動改札ではありません。
ワンマンカーでは、乗車時に車内で整理券を取って、
降車時に乗車券・運賃とともに運転士に渡すそうです。

この島原鉄道で終点まで行けば良いはずですが、
本数が少なく、通船の時間に間に合わないようなので、
駅前を島原鉄道線に並行して通っている国道251号を
タクシーに乗車して戻ることになりました。







港へ戻るとカステラなど長崎のお菓子での
おもてなしを受けました。

記念すべきにっぽん丸の初寄港地となる
島原に来られて良かったです。







島原鉄道に乗車できなかったのは残念ですが、
充実した島原観光を終えて、
12時20分岸壁発の通船に間に合いました。

長崎県島原市

2016.5.1
コメント

ロックゲートとスカイツリー 東京スカイツリー

2016-11-14 00:32:46 | お出かけ 東京


こちらは東京スカイツリー1階、
団体フロアの団体バス駐車場からの入り口です。

ガイドさんからチケットをいただき、
はとバスはこちらで降車しました。







スカイツリーの見学は80分程の時間がありましたが、
平成中村座「天空歌舞伎」のイベントは
午後6時からになっており、それを見るためには
はとバスで東京駅に戻ることはできなくなりますが、
自由に見学できることを選択しました。

こうして団体ツアーであっても気に入った場所で
降車することもできるのが嬉しいはとバスです。







日曜日ということもあってか今も混雑している
東京スカイツリーには、外国人観光客が増加した印象です。

展望台へ行く展望シャトルの前は長蛇の列です。
行きは団体用の列に並びますが、帰りのシャトルは、
個人も団体も好きな時間に下りてきますから大混雑で、
バスを降車する人も増えたようでした。







運河船で巡った隅田川も見えています。







山の方は何だかボンヤリ。







残念ながら富士山や横浜は見えないようですが、
時間もあるので展望回廊にも行きました。
(別料金で大人1,030円)







チケットを購入するのにも列ができているので、
ツアーの自由時間で行くのは厳しいかもしれません。

外周に張り出したチューブ状の回廊を歩きます。
眺望を楽しみながらフロア450へ。







110メートル続くスロープ状の回廊は、
自分の足で最高到着点まで上がれるという
体験をさせるためなのか‥‥。

一度は行くべきですが、初めて行った時の感動はなく、
フロア350で十分だと思いました。







でも、前回はこの場所は気づきませんでした。
新たなる発見はあるかもしれません。







季節によって飾りつけも違いますし、
イベントもいろいろあって
何度でも来たくなる工夫をされているようです。

東京都墨田区押上1-1-2

2016.10.23
コメント

ロックゲートとスカイツリー 運河船 荒川ロックゲート~小松川

2016-11-13 01:00:48 | お出かけ 東京


首都圏の水がめの一端を担っている荒川は、
埼玉県および東京都を流れ東京湾に注ぐ河川、
運河船は荒川へと向かいます。

荒川と旧中川は江東地区の地盤沈下のため
水位の差が最大3.1mに達することもあり、
長い間船舶の運航が出来ない状況となっていました。







そこで登場したのが荒川ロックゲートです。
水面の高さが違う2つの川のあいだを船が
通行出来るようにするための施設です。

水上交通が大震災時等に有効であるということから
改めて水路が見直されることになり、
閘門が作られることとなりました。







阪神大震災クラスの地震にも耐えるように
設計されているそうです。







少しずつ水位が上がっていきます。
しくみは扇橋閘門と同じで、川と川のあいだに水門をつくり、
水位を調節し、水面の高さを同じにして船を通します。







ロックゲートの完成によって、荒川と旧中川、小名木川、
そして隅田川が結ばれました(平成17年10月完成)

東京湾の平均的水位よりも低いというのは
コワイ感じもしますけれど…。







あとどのくらいの水位になったら
門がひらくのか水位上昇中と
表示されている場所に表示されます。







荒川ロックゲートの利用時間は8時45分から16時30分まで
利用料は無料なのだそうです。
見物されている方もいらっしゃるようです。







通過するのに20分はかかるようです。
やっと門が開いて運河船が荒川ロックゲートを潜ります。







荒川ロックゲートを振り返ってみます。

災害時に鉄道や道路が使えなくなったとき、
川を通して救援物質や復旧資材の運搬、
被災者の救出など災害復旧活動の支援が出来るようになるなど
地域の防災拠点として活躍することが期待されています。







運河船による2つのロックゲートと
江戸から続く水路探求ツアーは小松川で終了です。
案内人の方が乗船されているので、
お話を伺いながらの密度の濃い時間を過ごせました。







再び黄色いはとバスに乗車します。

東京都江東区・江戸川区

2016.10.23
コメント

にっぽん丸GW日本一周クルーズ 島原城下巡り 後編

2016-11-12 15:07:41 | 2016にっぽん丸 GW日本一周クルーズ


水路が走り、苔むした石垣が両側に続く武家屋敷跡。
島原城西側の鉄砲町は下級武士の屋敷が並んでいたところで、
昔のままの景観が約400mも続いています。







道沿いに建つ山本邸・篠塚邸・鳥田邸の
3棟が無料で公開されています。







三河出身の篠塚家は、主として書記や代官などを勤めたそうです。







建物内に入って見学ができます。
間取りなども違いますので、興味深いです。







この映画は知りませんでしたが、
この道を歩く風景を映像に残したいと思いますよね。







さて、そろそろブレイクしましょうか。







島原には昔から伝わる郷土料理の一つとして
夏の冷菓「かんざらし」というものがあるのです。
冷たくミネラルに富んだ、島原の天然水を
使って作られた白玉だんごです。







水道水を使った白玉団子とは別格で、
水の違いを感じました。
お茶も美味しくて生き返った感じです。







映画のセットのように整備されている街並みですが、
今でも子孫の方たちなどが暮らしているそうです。
不都合なことも多々あるかとは思いますが、
このままの風景が残ることを切に願っています。

長崎県島原市

2016.5.1
コメント

にっぽん丸GW日本一周クルーズ 島原城下巡り 前編

2016-11-11 15:12:53 | 2016にっぽん丸 GW日本一周クルーズ


10年前に訪れた島原城を右手に見ながら
武家屋敷を目指します。







島原の乱を凌ぎ、島原大変時には地震が続き、
大津波にも耐えた島原城、明治維新で廃城、解体。

城の復元は、市民の夢であったそうですが、
天守閣が復元、次第に昔の面影を取り戻しているそうです。







坂本龍馬だけでなく、吉田松陰も島原を訪れていました。







武家屋敷水路

武家屋敷の中央に流れる水路は生活用水として
厳重に管理され、使われてきました。
島原水まつりの際には竹灯篭が灯されるそうです。







道沿いに建つ鳥田邸です。
鳥田家は藩主松平氏の草創以来の古い家柄で、
藩主の転封にともなって島原に入り、重職につきました。







このあたり一帯は中・下級武士の屋敷で、
一戸当たりの敷地は90坪ずつに区切られ、
家ごとに枇杷、柿、柑橘類などの
果樹を植えていたそうです。







この日は気温も上昇、水のせせらぎが
何とも心地良く感じました。







ちょっと寄り道したくなるような…







江戸時代に迷い込んだような
風情あふれる佇まいに感動しました。






山本家は城主からの信任が厚く、代々重職を務め、
門構えは最後の城主から特別に許されたものだそうです。







武家屋敷は内部も公開されています。

長崎県島原市

2016.5.1
コメント

ロックゲートとスカイツリー 運河船 小名木川(扇橋閘門)

2016-11-10 01:20:23 | お出かけ 東京


徳川家康が小名木四郎兵衛に命じて、
行徳までの運河を開削させたのが始まりの小名木川は、
小名木四郎兵衛の名から付けられたそうです。

水を確保するための神田川上水、塩を確保するために小名木川、
徳川幕府が400年も続いたのはこうして人々の暮らしの
礎を開闢前に着々と築いてきたからこそなのだと
船に揺られながらも納得したまるみでした。







皆さんビニール傘を広げていますが、
天気が急変して雨が降ってきたというわけではありません。







小名木川の新扇橋と小松橋の間に扇橋閘門があります。
小名木川のほぼ中央に位置し、
水面の高さが違う河川を船が通航できるようにした
“ミニパナマ運河”といえる施設です。







その仕組みは、2つの水門に挟まれた水路(閘室)に
船を入れ、水位を人工的に昇降させることにより
船を通過させるというものです。







シアトルのチッテンデン水門で見学したことがありますが、
自分が船に乗っていると思うとワクワクします。
徐々に水位が変化するので、
乗っていると変化はほとんど感じません。







この運河船には屋根がありませんから
閘門を潜る時に水を被るので用意されている
ビニール傘を広げて通過します。







門の下では写真を撮るどころではありません。







小名木川クローバー橋は、小名木川と横十間川の合流点に
幅約4m、長さ約80mと60mの2つの橋桁を対角に架け渡した
X字型のユニークな歩行者自転車専用橋です。
東京都内では初めての形式だそうです。

猿江、大島、北砂、扇橋4つの地域を結ぶ
水彩都市のランドマークとして親しまれているそうです。







日の丸自動車が運営している水陸両用バス「スカイダック」
見かける度に乗ってみたいと思うものの
未だに実現できていません。

小名木川と旧中川の十字路にある中川船番所資料館の近くです。
現在は工事のために休館していますが、
旧中川を通り江戸へ向かう船の荷物を監視していた
「中川番所」に関する資料館で、歴史好きにオススメです。







さて、次は荒川へ運河船は向かいます。

東京都江東区

2016.10.23
コメント

ロックゲートとスカイツリー 運河船 隅田川~小名木川

2016-11-09 00:30:07 | お出かけ 東京


運河船は、東京を代表する川の隅田川へ。

隅田川にかかる清洲橋は、
関東大震災の震災復興事業として永代橋と共に計画された
「震災復興の華」とも呼ばれた優美なデザインと
当時としては最先端技術を駆使した橋です。







東京を代表する景色が広がる隅田川下りには、
個性豊かな船が運行中で、コースや潮位によって
運航する船が替わるのでどれに当たるかはお楽しみ。
あちらの船にも乗ってみたい







当時世界最美の橋と呼ばれたドイツのケルン市にあった
ヒンデンブルグ橋の大吊り橋をモデルにしている清洲橋は、
勝鬨橋・永代橋と共に国の重要文化財にも指定されています。







様々な場所から東京スカイツリーを
撮影することができるコースでもありました。







隅田川と小名木川に隣接し、四季折々の水辺の風景を楽しめるのが、
江東区芭蕉庵史跡展望庭園で、往時を偲ぶことができます。
芭蕉記念館へ行った時に寄ったことがありますが、
大変眺めの良い場所でおススメです。

芭蕉翁像は、午後5時になると隅田川に向かって像が回転、
像はライトアップされるのです。







運河船は小名木川(おなぎがわ)へと入ってきました。
東京都江東区を流れる人工河川です。

徳川家康は、江戸城を居城にする際に兵糧としての
塩の確保のため行徳塩田に目を付け、小名木四郎兵衛に命じて、
行徳までの運河を開削させたのが始まりだそうです。

運河の開削によって経路が大幅に短縮されました。
幕府開闢前に命じたことですから
家康公の用意周到さには恐れ入りましたと思うのです。







新小名木川水門を潜り抜けました。
地盤沈下が激しくゼロメートル地帯の
顕著な地域のため水位を1m下げているのです。







船に乗っていると手を振ってくれる
街の人々がとても多いのです。
他の乗り物ではこうはいきませんよ。
船旅はいいなぁと思う瞬間です。

東京都江東区

2016.10.23
コメント

FAで最も流出していライオンズ、岸投手には残留して欲しい!!

2016-11-08 00:02:28 | 埼玉西武ライオンズ
FAで最も流出している球団は、埼玉西武ライオンズ。

あり難くないことで第1位なわけですが、
94年オフにダイエーへ移籍した工藤公康氏を始め、
和田一浩氏、涌井秀章選手などが他球団へ移籍しています。
移籍後も活躍したあるいは活躍している選手も
多いのではないでしょうか。

涌井投手のロッテに移籍後の活躍は目を見張るものがあります。
しかも、モデルの押切もえさんとこの秋入籍。
心機一転、公私共に運気も上向いているようです。

今まで国内FA移籍した選手に未練はありませんが、
希望枠で入団した岸投手が移籍したらショックは隠せません。
岸投手が移籍すれば、今でも不安な投手陣であるのに…

FA宣言が球団からも発表され、新聞にも載り、
結論はどうなるのか長い、長~く感じる時間を過ごしています。
ライオンズ残留という結論を出して欲しいですが、
選手の権利でもありますから致し方ないところです。

ドラフト1位指名の今井達也選手が憧れている岸投手が、
ライバルチームに行ってしまうなんていうことがありませんように。


コメント (2)

にっぽん丸GW日本一周クルーズ 水の都島原の散策 後編 龍馬が歩いた道

2016-11-07 00:15:12 | 2016にっぽん丸 GW日本一周クルーズ


一番街アーケードを寄り道しながら歩きます。







坂本龍馬の長崎初上陸の地は島原で、
1864年2月22日のことでした。
勝海舟と共に島原湊から歩み出ました。







龍馬が行き来をしたという道を
そうとは知らずに辿り着いたまるみでした。







島原を潤す美しい湧水は、
1794年の雲仙岳噴火と群発地震の地殻変動で
誘発され湧水が始まったといわれています。

商店街にも10ヶ所以上もの湧水ポイントがあります。







城下町として栄えた中心街にたくさんの湧水ポイント。
のんびり歩きながらの散策にもってこいの場所です。
こちらには入浴施設までありました。







九州全体でホークスを応援しているのですね。
日本シリーズ優勝で0.1%の金利上乗せなんてスゴイ
(幻になりましたが…)







鯉の泳ぐまちでもあります。







自転車に乗ってきた少年たちが
「どっから来たの?」と、声をかけてきました。
一目でよそ者とわかってしまうのね。







島原市街地の水は、火山灰や砂れきの良好な
帯水層となっており、それが眉山と挟まれ
強い圧力が加わり、地下水が地上に湧出しています。

適度に炭酸ガスを含んだ名水です。







「じゃあね」ここで彼らとはサヨナラです。







サンシャイン中央街を抜けると島原城はすぐです。

長崎県島原市

2016.5.1
コメント

にっぽん丸GW日本一周クルーズ 水の都島原の散策 前編

2016-11-06 00:46:53 | 2016にっぽん丸 GW日本一周クルーズ


前回の島原の旅は、レンタカーで目的地へ行ったので、
歩いて散策するというのは新鮮な感じがしました。

市内には島原鉄道やバスも走っていますが、
地元の方に道を聞きながら見学をし、
武家屋敷まで歩きました。







島原市は古くから水の都と呼ばれるほど
湧き水が豊富で、島原湧水群として環境庁の
日本の名水100選に選定されています。







市内には60カ所の湧水ポイントがあり、
アーケード商店街など中心街でも
豊富な湧水が見られるのは珍しいのです。

午前中とはいえ日曜日だというのに
しかもゴールデンウイークですが、人通りが少ないです。







絶賛上映中の看板も何やら粋ではありますが
タイムスリップしてしまったかと思ってしまいました。







そして、いつのまにやら歴史散策。
ガイドブックに載っていた江東寺へ。







1558年に禅寺として創建された曹洞宗の寺で、
鉄筋コンクリートでは日本最大の涅槃像があります。







境内南奥の墓地の一角に島原城を築いた松倉重政と、
島原の乱で幕府軍総帥として戦士した
板倉重昌の墓が並んでいます。







その脇に安置されているのが、二人を追善するために
建立された高さ212m、全長8.6mの
いぶし銀に輝く釈迦涅槃像です。

頭部に信者の写経1万部を納め、
台座は歴代住職の納骨堂になっています。







「島原大変」とは、死者・行方不明者合計15,000人におよぶ、
有史以来日本最大の火山災害のことです。

1792年5月21日に肥前国島原で発生した雲仙岳の火山性地震
およびその後の眉山の山体崩壊と、
それに起因する津波が島原や対岸の肥後国を
襲ったことによる災害を「島原大変・肥後迷惑」と言うとか。

国内のあちこちを旅すると
災害の爪痕が多いことを痛感するのでした。

長崎県島原市

2016.5.1
コメント

ロックゲートとスカイツリー 日本橋から船に乗る

2016-11-05 00:14:50 | お出かけ 東京


この日は、「日本橋・京橋まつり 大江戸活粋パレード」が
中央通り(京橋三丁目~日本橋室町三丁目)で行われていました。
通行止めになっていたためこのイベント会場を
横切って日本橋船着場へと向かいます。
(このイベントも気になるところですが…







ここに日本橋船着場があります。
1923年、関東大震災で築地に移転するまで
右手の岸には魚河岸があったのです。

佃島の漁師たちが幕府に魚を上納し、
その残りの魚を船板の上に並べて
売るようになったのが始まりだったそうです。
(それにしても豊洲移転問題はどうなるのでしょうか?)







乗船するのは、はとバスがチャーターした運河船。
屋根がないので、景色は堪能できますが、
暑さ寒さの対応は自身で調節しなければなりません。

荒天時には中止になりますので、
この日の天気がずっと気になっていました。







日本橋の下を潜り抜けていきます。
架橋100周年(2011年4月)を記念し、洗浄再生され、
新しい橋のように綺麗ですが、1911年に完成したものです。
現行の日本橋は国の重要文化財でもあります。







東京都中央区の日本橋川に架かる国道の橋である日本橋は、
日本の道路元標があり、日本の道路網の始点となっています。
石造二連アーチ橋で橋の長さ49m、幅27m。
橋柱の銘板にある「日本橋」の揮毛は徳川慶喜のものだとか。







三菱倉庫がある江戸橋、証券取引所がある鎧橋、
日本橋川に掛かる橋の9割は高速道路の下、
景観が悪い橋が多いのですが、
湊橋は高速道路の下ではないのでスッキリ

江戸の川は昭和に入ってほとんど消滅、
こうして残っている川があるだけで良いのかもしれません。
東京大空襲の後、残土で埋め立てられ
土地を造成してきたのです。

1964年の東京オリンピックの際には、
高速道路が必要になり、日本橋川の上を蓋をするように
道路が造られたたために空も半分程しか見えません。







ミツカンのマークより1本線が多いと見せてくれています。
 
川沿いにはミツカン、白鷹、白鹿などのビルなどが並んでいます。
川沿いに遡上して荷揚げし、すぐに馬車などで運んだために
奥行があまりない建物になっています。

愛知県のミツカンですが、ミツカン酢の祖である中埜又左衛門が、
江戸での早ずしの流行を聞き、米酢の売り込みを図ったことが、
全国ブランドへ発展の礎となったのだそうです。







江戸時代後期の大航海ネットワークは、
モノの流通を拡げ、庶民の衣食住を大きく変えました。
江戸時代にあっては最速の輸送手段だった舟運は、
日本橋界隈まで荷物を運んでいました。

さて、そろそろ隅田川へと向かって行きます。

東京都中央区

2016.10.23
コメント

映画 白鳥の湖3D Matthew Boume’s SWAN LAKE 3D

2016-11-04 01:23:59 | 映画(劇場鑑賞)
ダンス界に一大旋風を巻き起こしたマシュー・ボーン版「白鳥の湖」は、
1995年に、イギリスのサドラーズ・ウェルズ劇場で初演されました。
チャイコフスキー作曲のバレエ作品『白鳥の湖』を基に、
演出家であるマシュー・ボーンが新しい解釈を加えたものです。

男性同性愛者の悲恋物語として描いた作品で、
白鳥を演じるのは男性ダンサー集団。
日本でも何度か公演されていたのですが、
男性が踊る『白鳥の湖』なんで気色悪いと思っていました。

しかし、9月の『眠れる森の美女』を観て、
その独創的な解釈に興味を持ち、
映画館で気楽に観られるのならと出かけてみました。
(一週間限定の上映)

バレエ界にある意味革命をもたらした歴史に残る大ヒット作を
最先端のサラウンド音声と3Dデジタルで
初めて収録したのだそうです。

最初はダンサーのレベルの高さに感激
しかし、次第に威嚇的な男性ダンサー集団の白鳥も
舞台ならもっと感動できたはずと思うようになります。
舞台メイクに飛び散る汗は、スクリーンで見ると…

舞台なら間に休憩もありますが、
映画館は120分ノンストップですからグッタリ。

身体表現だけの斬新なドラマ、観る者は息つく間もない感じです。
やはり劇場で観るべき作品との思いを強くしましたが、
現在は公演されていない作品を3Dで鑑賞できたことに感謝

収録:2011年、サドラーズ・ウェルズ劇場
演出・振付:マシュー・ボーン
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
指揮:デーヴィッド・ロイド=ジョーンズ
演奏:ニュー・ロンドン管弦楽団
出演:リチャード・ウィンザー/ドミニク・ノース/
ニナ・ゴールドマン/マドレーヌ・ブレナン
スティーヴ・カーカム/ジョセフ・ヴォーハン

シネ・リーブル池袋

2016.10.31
コメント

にっぽん丸GW日本一周クルーズ 島原港へ

2016-11-03 00:20:54 | 2016にっぽん丸 GW日本一周クルーズ


にっぽん丸の通船はこれが初めてですが、
多くのスタッフに見守られて
島原散策のためボートに乗船します。








ボートの中は御覧の通りです。







自由席ですが、前から順に座っていきます。







こうして見ても惚れ惚れするにっぽん丸です。







九商フェリーの島原熊本航路の「フェリーあそ」です。
「フェリーくまもと」の2隻が1日10往復しています。

熊本から長崎へ向かう時に利用したことがあります。
60分の船旅ですが、外国人団体客も乗船し、
賑やかだったという思い出があります。







ボートを下船すると皆さんどこへ行かれるのやら。







島原港への初寄港をとげたにっぽん丸。
岸壁では、歓迎演奏のイベントもありました。







力強い太鼓の音が今も耳に残るようです。







「熊本」支援の手も忘れていないようでした。

2016.5.1
コメント