江戸時代を代表する大名庭園の小石川後楽園。
旅に出られず、年末年始は都内をさまよいましたが、
最後に冬の小石川後楽園を散策しました。
都立庭園でもお正月のイベントをしていたのですね。
昨日来れば良かったわ。
東門から入場、内庭から見ていきましょう。
水戸藩書院のあったところです。
昔は唐門によって仕切られ、
大泉水側の「後園」と分かれていたとか。
この庭園の中心となる景観の大泉水。
大泉水を中心にした回遊式築山泉水庭園です。
蓬莱島と竹生島を配し、琵琶湖を見立てており、
この池で舟遊びをしたといわれています。
円月橋(えんげつきょう)
水面に映る形が満月のように見えることからつけられました。
明の儒学者、朱舜水による設計といわれており、
得仁堂とともに当時の姿を留める貴重な建造物になります。
橋の下を流れるのは神田上水です。
1629年に水戸徳川家の祖である頼房が造り、
二代藩主の光圀の代に完成した小石川後楽園。
雪吊りや冬囲いなど冬支度をしていました。
光圀は、造成に当たり明の遺臣朱舜水の意見を用い、
円月橋、西湖堤など中国の風物を取り入れ、
園名も朱舜水の命名によるなど
中国趣味豊かな庭園となっています。
その西湖堤のそばにある屏風岩と洲浜は、
徳川家光ゆかりのものとか。
切石と玉石をうまく組み合わせた散策路は、
延段(のべだん)というそうです。
寒いので庭園内を隈無く散策すると
良い運動にもなります。
得仁堂(とくじんどう)
光圀18歳の時、史記「伯夷列伝」を読み
感銘を受け、伯夷・叔斉の木造を安置した堂。
戦災を免れた園内最古の建造物です。
見晴らしの良い場所には東京ドームが目に入ります。
この日はレスリングの試合があったようです。
四季折々の美しさがある朱塗りの通天橋。
かつては右から音羽の滝が流れていました。
江戸の人々の命を繋ぐ神田上水の幹線水路が還流し、
神田上水の豊かな水を利用できた小石川後楽園。
水戸徳川家は明治維新後も住み続けたいと願うも
新政府は却下したのだそうです。
小石川後楽園の他、東京ドーム、礫川公園、
中央大学工学部を含む広大な土地が、
水戸徳川家の上屋敷だったのです。
歴史を知ると庭園巡りが興味深くなります。
東京都文京区後楽1-6-6
2022.1.4