
~ダイアン・アーバス 幻想のポートレート~
原題:FUR: AN IMAGINARY PORTRAIT OF DIANE ARBUS
監督:スティーヴン・シャインバーグ
原作:パトリシア・ボズワース
音楽:カーター・バーウェル
主演:ニコール・キッドマン、ロバート・ダウニーJr.、タイ・バーレル、ハリス・ユーリン 、ジェーン・アレクサンダー 、エミー・クラーク
「1958年、ニューヨーク。裕福な家庭に育ったダイアン・アーバスは、ファッション・カメラマンである夫アランのアシスタントとして働きながら、心の中には常に自分のいる世界に居心地の悪さと不安を感じていた。そんなある日の夜、ダイアンは隣に越してきた、マントで全身を覆い、マスクを被った男・ライオネルの異形に激しく心を奪われる。そして意を決し、カメラを手に彼の部屋のベルを鳴らす……」。
「『エレファント・マン』(80)、「美女と野獣」、「不思議の国のアリス」……興奮と恐怖を体験しつつ、最後には深い感動を覚えるこれらの不朽の名作になぞらえ、物語は内気で献身的な妻であり母であった女性が、強烈で独創的な写真家へと変貌する迷宮の中へと観客を誘い込む。アカデミー女優ニコール・キッドマン×『セクレタリー』(02)の奇才スティーヴン・シャインバーグが挑む、愛と欲望の罠……」。(作品資料より)
冒頭のヌーディスト村の映像が衝撃的です。「んー、これは・・・」とニコールも全裸になるのか?と思わせられながら、1958年の彼女一家の住むニューヨークのアパルトメントのシーンとなります。とにかくニコールの美しさが、次第に顕になるフリークの映像との対比で際立ちます。多毛症の隣人が誘うフリークワールド、彼女がなぜ魅入られるのかは理解できませんでした。
写真家ダイアン・アーバスへのオマージュ。先日取り上げた「幸せのちから」と同じく、実話ではなく「IMAGINARY PORTRAIT」となっています。まず、彼女はどのような写真家であったのか、ウィキペディアとアート・フォト・サイトギャラリーから長くなりますが、引用します。

ダイアン・アーバス(Diane Arbus, 1923年3月14日-1971年7月26日)とは、「アメリカの写真家。ニューヨークに生まれ、ニューヨークに没する。1940年代から、主としてファッション写真をこなし、夫とともに、『ヴォーグ』、『ハーパース・バザー』、『エスクァイア』などの雑誌で活躍。その後、フリークス(肉体的・精神的な障害者、肉体的・精神的に他者と著しく違いがある者、他者と著しく異なる嗜好を持つ者など)に惹かれ、次第に心のバランスを崩し、自殺」。
「現代写真においてポートレート写真の意味を変革したことで知られる伝説の写真家ダイアン・アーバス。彼女はニューヨークの裕福なユダヤ人中流階級に生まれます。18歳の若さで結婚し、夫のアランとともに写真に取り組み始めます。戦後、夫婦でコマーシャル、ファッション写真家としてキャリアを開始し、やがて、ヴォーグ誌やグラマー誌で活躍するようになります」。

「1940年代にベレニス・アボットのクラス、1954年にアレクセイ・ブロドビッチのデザイン・ラボラトリーに参加しウィジー、ルイス・フォアー、ロバート・フランクの写真に触れています。1955~1957年にリゼット・モデルに学び、彼女の優れた視点が評価され作家活動を行うことをすすめられます。彼女は勇気づけられ、視点をより被写体に近づけてニューヨークのストリートを撮影しています」。
「1950年代後半には作家として自己表現をより探求するためにコマーシャル の仕事を辞めます。結局、アランとは別居後の1969年に離婚しています。1960年に“エスクァイア”誌に発表されたフォト・エッセイをかわきりに、“ハーパース・バザー”誌、“ロンドン・サンデータイムズ・マガジン” などに、次々と作品を発表し、徐々に評価を受けるようになります。彼女の雑誌の仕事は死後編集された“Magazine Work”Aperture 1984にまとめられています」。

「1962年には35ミリから当時はスタジオ用と考えられていたローライフレックスを使用しロケ先で撮影するようになります。1963年と1966年にグッゲンハイム奨学金を受け、米国全土を撮影旅行しています。1967年にはニューヨーク近代美術館で開催された“ニュードキュメンツ”展(ジョン・シャーカフスキー企画)にリー・フリードランダー、ゲイリー・ウイノグランドとともに選出されて評価を高めています。 の後1960年代の約10年の期間で主要作品を制作しています」。
「彼女の主題は性倒錯者、小人、巨人、精神病院の収容者、などの人々を扱ったものが多く、それらを被写体の日常生活の中でとらえています。また公園に集う人々、ヌーディスト、覆面舞踏会の参加者など普通の人間の中に潜む奇異なライフスタイル習慣や性格をも倒錯者と同様に暴き出そうとしています」。

「彼女の写真の特徴はグロテスクな被写体を追求することと誤解されますが、現実を可能な限りそのままに表現しようとする冷徹な姿勢にあるのです。被写体はどれもカメラに対して自分たちをさらけ出そうとしているかに見えますが、彼女自身のパーソナリティー、モデルに正面なポーズをさせるスタイル、正面からの直接のストロボを使用するライティングなどがその冷酷な被写体の演出に役立っています。彼女の直接的なアプローチは、1920年代にドイツで活躍したアウグスト・ザンダーの影響とも言われています」。
また、被写体が自身をどのように見ているかに対して強い関心を払っており、自分の持つイメージと他者の持つ自分のイメージの違いを意識して撮影していたことも作品の特徴といわれています。1971年7月26日の自殺と、翌年秋にニューヨーク近代美術館で開催された回顧展で彼女は写真史で伝説化されます」。
「その後世界中の美術館やギャラリーで作品が展示され、写真表現に多大な影響を与えています。生前には写真集がなかったアーバスですが、1972年に刊行された“Diane Arbus ”Apertureは25万部以上も販売されました。2003年10月から、サンフランシスコ近代美術館を皮切りに全米、欧州を巡回する、本格的な写真展“Diane Arbus:Revelations”が開催されました」。
原題:FUR: AN IMAGINARY PORTRAIT OF DIANE ARBUS
監督:スティーヴン・シャインバーグ
原作:パトリシア・ボズワース
音楽:カーター・バーウェル
主演:ニコール・キッドマン、ロバート・ダウニーJr.、タイ・バーレル、ハリス・ユーリン 、ジェーン・アレクサンダー 、エミー・クラーク
「1958年、ニューヨーク。裕福な家庭に育ったダイアン・アーバスは、ファッション・カメラマンである夫アランのアシスタントとして働きながら、心の中には常に自分のいる世界に居心地の悪さと不安を感じていた。そんなある日の夜、ダイアンは隣に越してきた、マントで全身を覆い、マスクを被った男・ライオネルの異形に激しく心を奪われる。そして意を決し、カメラを手に彼の部屋のベルを鳴らす……」。
「『エレファント・マン』(80)、「美女と野獣」、「不思議の国のアリス」……興奮と恐怖を体験しつつ、最後には深い感動を覚えるこれらの不朽の名作になぞらえ、物語は内気で献身的な妻であり母であった女性が、強烈で独創的な写真家へと変貌する迷宮の中へと観客を誘い込む。アカデミー女優ニコール・キッドマン×『セクレタリー』(02)の奇才スティーヴン・シャインバーグが挑む、愛と欲望の罠……」。(作品資料より)
冒頭のヌーディスト村の映像が衝撃的です。「んー、これは・・・」とニコールも全裸になるのか?と思わせられながら、1958年の彼女一家の住むニューヨークのアパルトメントのシーンとなります。とにかくニコールの美しさが、次第に顕になるフリークの映像との対比で際立ちます。多毛症の隣人が誘うフリークワールド、彼女がなぜ魅入られるのかは理解できませんでした。
写真家ダイアン・アーバスへのオマージュ。先日取り上げた「幸せのちから」と同じく、実話ではなく「IMAGINARY PORTRAIT」となっています。まず、彼女はどのような写真家であったのか、ウィキペディアとアート・フォト・サイトギャラリーから長くなりますが、引用します。

ダイアン・アーバス(Diane Arbus, 1923年3月14日-1971年7月26日)とは、「アメリカの写真家。ニューヨークに生まれ、ニューヨークに没する。1940年代から、主としてファッション写真をこなし、夫とともに、『ヴォーグ』、『ハーパース・バザー』、『エスクァイア』などの雑誌で活躍。その後、フリークス(肉体的・精神的な障害者、肉体的・精神的に他者と著しく違いがある者、他者と著しく異なる嗜好を持つ者など)に惹かれ、次第に心のバランスを崩し、自殺」。
「現代写真においてポートレート写真の意味を変革したことで知られる伝説の写真家ダイアン・アーバス。彼女はニューヨークの裕福なユダヤ人中流階級に生まれます。18歳の若さで結婚し、夫のアランとともに写真に取り組み始めます。戦後、夫婦でコマーシャル、ファッション写真家としてキャリアを開始し、やがて、ヴォーグ誌やグラマー誌で活躍するようになります」。

「1940年代にベレニス・アボットのクラス、1954年にアレクセイ・ブロドビッチのデザイン・ラボラトリーに参加しウィジー、ルイス・フォアー、ロバート・フランクの写真に触れています。1955~1957年にリゼット・モデルに学び、彼女の優れた視点が評価され作家活動を行うことをすすめられます。彼女は勇気づけられ、視点をより被写体に近づけてニューヨークのストリートを撮影しています」。
「1950年代後半には作家として自己表現をより探求するためにコマーシャル の仕事を辞めます。結局、アランとは別居後の1969年に離婚しています。1960年に“エスクァイア”誌に発表されたフォト・エッセイをかわきりに、“ハーパース・バザー”誌、“ロンドン・サンデータイムズ・マガジン” などに、次々と作品を発表し、徐々に評価を受けるようになります。彼女の雑誌の仕事は死後編集された“Magazine Work”Aperture 1984にまとめられています」。

「1962年には35ミリから当時はスタジオ用と考えられていたローライフレックスを使用しロケ先で撮影するようになります。1963年と1966年にグッゲンハイム奨学金を受け、米国全土を撮影旅行しています。1967年にはニューヨーク近代美術館で開催された“ニュードキュメンツ”展(ジョン・シャーカフスキー企画)にリー・フリードランダー、ゲイリー・ウイノグランドとともに選出されて評価を高めています。 の後1960年代の約10年の期間で主要作品を制作しています」。
「彼女の主題は性倒錯者、小人、巨人、精神病院の収容者、などの人々を扱ったものが多く、それらを被写体の日常生活の中でとらえています。また公園に集う人々、ヌーディスト、覆面舞踏会の参加者など普通の人間の中に潜む奇異なライフスタイル習慣や性格をも倒錯者と同様に暴き出そうとしています」。

「彼女の写真の特徴はグロテスクな被写体を追求することと誤解されますが、現実を可能な限りそのままに表現しようとする冷徹な姿勢にあるのです。被写体はどれもカメラに対して自分たちをさらけ出そうとしているかに見えますが、彼女自身のパーソナリティー、モデルに正面なポーズをさせるスタイル、正面からの直接のストロボを使用するライティングなどがその冷酷な被写体の演出に役立っています。彼女の直接的なアプローチは、1920年代にドイツで活躍したアウグスト・ザンダーの影響とも言われています」。
また、被写体が自身をどのように見ているかに対して強い関心を払っており、自分の持つイメージと他者の持つ自分のイメージの違いを意識して撮影していたことも作品の特徴といわれています。1971年7月26日の自殺と、翌年秋にニューヨーク近代美術館で開催された回顧展で彼女は写真史で伝説化されます」。
「その後世界中の美術館やギャラリーで作品が展示され、写真表現に多大な影響を与えています。生前には写真集がなかったアーバスですが、1972年に刊行された“Diane Arbus ”Apertureは25万部以上も販売されました。2003年10月から、サンフランシスコ近代美術館を皮切りに全米、欧州を巡回する、本格的な写真展“Diane Arbus:Revelations”が開催されました」。
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