美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

流鏑馬と三つの的

2012-12-05 14:25:58 | Weblog

 

 休日にふと思い立って車で日光に出かけました。日光といえば、まず頭に浮かぶのはユネスコの世界遺産に認定されている日光の社寺と華厳の滝ぐらいの私ですから、とりあえずその一つ東照宮を訪れました。運よくその日は春秋の例大祭に催そられる流鏑馬(やぶさめ)神事が始まろうとしていました。私と違いこれを目当てに集まった人観衆の中、色とりどりの装束をまとった3名の射手が表参道に設けられた約220メートルの馬場を疾走、「インヨーイ」の掛け声とともに3つの的に次々と矢を放っていきました。

 流鏑馬は「天下泰平、五穀豊穣」を祈祷しておこなう神事ですが、その起源は三韓時代(二~六世紀)の朝鮮半島に深い関わりがあることが弓道の武田流司家に伝わる古文書に記されています。三韓とは東の辰韓、西の馬韓、南の弁韓を指しますが、当初はいずれも日本とはきわめて良好な関係を保っていました。しかし、欽明天皇の世に朝鮮半島で戦乱が起こり、その調伏を祈念して宇佐八幡が造営された際に、馬上より3つの的を射たことが流鏑馬の始まりとされ、つまり‘3つの的’とは三韓である馬韓、辰韓、弁韓を意味すると書かれています。一方、これもユネスコ文化遺産に登録された高句麗古墳群の壁画に流鏑馬らしい図が見られます。高句麗は紀元前1世紀から7世紀まで、満州から朝鮮半島にかけて栄えた国ですが、騎馬民族との関連が強いせいか、壁画にも多くの馬が描かれており、5世紀前半の徳興里古墳や薬水里古墳には、「馬射戯図」というまさに日本の流鏑馬を表わす壁画が残されています。その一つの絵をみると、やはり的が三つ描かれていますが、これは偶然でしょうか、何か不思議な感じがします。

 実は日光東照宮には江戸時代 朝鮮通信使も訪れています。 寛永13年(1636)、朝鮮通信使が初めて日光まで足を延ばした際は、当時将軍と天皇の勅使しか通行が許されなかった日光東照宮の「神橋(しんきょう)」を通信使一行は通ったといわれます。 朝鮮通信使は、豊臣秀吉によって一度は絶たれますが、家康が再び再開します。17世紀初めから19世紀初め、日本と朝鮮半島は世界に類を見ない平和な隣国関係を、確かに保っていたわけです。

 

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