美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

極限状態で残るもの

2015-05-12 15:50:21 | Weblog

先週はじめにチリ南部のカルプコ火山が54年ぶりに大噴火したのに続き、その数日後にはネパールでは81年ぶりという大地震が発生しました。小さな国土に世界の活火山の7パーセントが存在し、4年前には東日本大震災を経験した日本は勿論、地震とは無縁と考えられてきた韓国も、ここ数年は明らかに地震発生頻度が激増しており他人事ではありません。ある地域では数十年~百年に一度とはいえ、私たちが今こうして日常の生活を送っている瞬間も、世界のどこかでは大きな災害、あるいは戦争や内乱が起きています。天災や戦禍に限らず、様々な不幸な状況に直面したとき、外部的、物質面な困難に対するサポートは勿論ですが、内面的、精神的な問題に対して私たちはどう立ち向かっていけるのか考えてみる必要があります。

東日本大震災後、被災地で多く読まれた一冊の本がありました。ユダヤ人の精神科医ヴィクトール・フランクルがナチスの強制収容所での壮絶な体験を綴った『夜と霧』です。1947年に初版となったドイツ語の原題「…trotzdem Ja zum Leben sagen: Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager」は直訳すると、「・・・それにもかかわらず、人生にイエスと言う:一人の精神科医強制収容所を体験する」となります。邦題の「夜と霧」は1941年ヒトラーによる「ユダヤ人やその他の非ドイツ国民の中で国に対して反逆の疑いがあるものは家族ごと捉えて収容所に拘束せよ」という特別命令が、夜間に霧に紛れて秘密裏に実行されたことから通称「夜と霧」命令と言われたことに由来するものです。この本は単なる精神科医の悲惨な経験の記録ではなく、原題にある「・・・それにもかかわらず」が示すように、強制収容所での言語を絶する、理不尽な、まさに極限状態の連続の中で生き残る為に必要なものを問い続けた哲学書です。収容所では些細な偶然やナチスの将校のきまぐれによって生死が分かれ、そこには夢、希望、人間としての欲求など全く存在しません。そんな環境の中で自ら生きることを放棄する人も多くいました。それでも最後まで希望を捨てず耐え抜いたのはどんな人だったか?「繊細な性質の人間、感受性の豊かな人間がしばし頑丈な身体の人々よりも、収容所生活をよりよく耐え得た」暗く寒い闇の中でも神に祈り、僅かな食事休憩の間も歌で心を癒す繊細さです。

「私はもはや人生から期待すべき何ものもない」人は目的を失ったとたん存在の意味も感じなくなります。そんな人間にフランクは語りかけます。「『私が人生の意味を問う』のではなくて、『人生が何をわれわれから期待しているか』が、問題なのである。(その為に)苦しむことは、それだけでもう精神的に何事かを成し遂げることだ。」人間とはとんでもなく愚かでもあり、偉大でもあると気づかせてくれる一冊です。

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