美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

オリンピック 政治とスポーツ精神の狭間

2013-10-03 11:08:22 | Weblog

 

 東京での2度目のオリンピック開催が決定しました。1964年最初の東京五輪当時まだ赤ん坊の私は、大会自体記憶しようもないわけで、生きているうちの身近で五輪競技を見物できることを素直に喜びたいと思います。勿論、大会の招致に関しては。震災復興、原発や内外の政冶、経済問題など少なからず課題を抱える中、その意義や負担に対しての効果などに疑問を持つ人々もいたことは事実です。しかし、今回立候補した他の都市に限らず、過去のどの立候補地においても同様に何かしらの問題から開催に異を唱える声がある中での決断であったでしょう。

 特に70年代後半から80年代は東西冷戦の真只中であり、世界情勢も不安定な状況下、オリンピック開催は赤字を抱えるだけのお荷物とも捉えられ、あえて立候補する国は僅かでした。1984年大会は立候補地がロサンゼルスのみ、1988年もソウルと名古屋の二都市のみだけです。すでに経済大国で財政的にも盤石な名古屋に対して、朴正煕大統領暗殺後、軍部を掌握し自ら大統領に就任した、全斗煥政権下の決して平穏とは言えない時期のソウルとの争いとなりました。このような状況の中、最後の最後、に締切ぎりぎりで名前を挙げたソウルの立候補は、ある意味無謀とも考えられ、当初は名古屋の圧勝との予想が大勢でしたが、蓋をあけるとソウルの大逆転となります。オリンピック招致活動には表舞台で行われるもの以外に、水面下での様々なロビー合戦や、駆け引きがあったとの噂はあります。しかし、その後の困難な条件の中で成し遂げたオリンピックの開催は、国民にとっては大きな自信と誇りになったことは間違いありません。

 90年代以降は国際政治のパワーバランスに振り回されまいとした結果、商業主義に傾倒しているとの批判を受けるようになるオリンピックですが、逆に立候補都市は増加し、開催招致レースは熾烈になっています。様々な思惑や開催までの道のりは純粋にオリンピック精神に則ったものだけではなくとも、最終的な勝利者はスポーツを楽しむことで生じる喜びや力であってほしいと願います。

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