最近の韓日関係を憂慮する声は多くあります。反面、どうせ一時的なもので、選挙が終われば自然に落ち着くだろうとの意見も聞かれます。反日が嫌韓を呼び、嫌韓が反日に油を注ぐような感情的対立は決して望ましいものではありません。しかし、ただ時期が来れば、熱が冷めて何となく納まればよいとするならば、それも今後の両国関係を真剣に考えた場合望ましいものとは言えません。領土問題も慰安婦問題もその根本にあるのは、日韓併合から戦後までの数十年の歴史的事実を共有できていない為ではないかと考えます。日本の戦争前後の近代史に関しての教育内容の少なさは、以前から感じるものがありますが、対日史に対するとらえ方は韓国側も紋切型ではなく客観的に見つめる時期に来たのではないでしょうか。
「朝鮮人特攻隊・・・日本人として死んだ英霊たち」(淵弘著、新潮新書)はフィリピンと沖縄で航空特攻隊として散っていた若い命の中に20人近い朝鮮特攻隊員がいた事実に焦点を当てたものです。彼らは結果的に祖国解放をもたらした戦争で「皇国軍人」として戦ったことが、韓国では「反民族行為」と解釈され戦時中の「親日派」=「売国奴」の烙印を押されます。遺族も罪人のようにその存在を隠し、彼らの魂は韓日いずれの行事でも慰霊されることなく今も彷徨い続けているのです。著者は彼らが何者で、なぜ特攻に志願し、誰のために死んでいったのか、そして本当に「売国奴」などと蔑まれる存在であったのかを冷静に問おうと考えました。35年続いた日帝植民地統治の下、皇民化政策は民族性の抹殺であることは間違いありませんが、被統治民族の朝鮮の人々にとって指導層の軍に入ることは差別社会の構造を変える少ないチャンスでした。つまり祖国を売って志願したものでも、天皇に忠誠を誓うために死んでいったのではなく、朝鮮出身のエリートたちが、自らのプライドを守るため狭き門であった航空士官への道を選んだもので、時代の狭間での宿命であったとしています。同じ士官の道を歩みながらも生き残った人の中には、その後の韓国空軍の創設に関わり英雄、愛国者として評価される歴史解釈になにか釈然としない想いを抱くのは著者だけではないでしょう。
彼らの行為が、「近代化が遅れた朝鮮の人が自ら日本人化することを望んだ」というような「民族抹消」を正当化する詭弁に利用されまいとするあまり、その魂まで抹消してはなりません。
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