美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

ゴムシンと軍靴

2013-03-09 11:23:04 | Weblog

「男の身だしなみは足元から」という言葉もあるように、ピカピカに磨かれたお洒落な靴をさり気なく履きこなしている紳士を見ると、それに比べ随分と年季が入り、踵もだいぶすり減ってきた我が靴がみすぼらしく思えて、少し反省します。もう少し若いころは、靴選びもスタイルやブランドを優先して選んだ頃もありましたが、今はとにかく履き心地と歩きやすさです!足甲がしっかりした東洋人に合う、高さも幅もゆったりしたものを求めて、お洒落で先がすっきりしたスマートな革靴には手が伸びなくなってしまいました。その上、長く履いて足になじんでくると、少々くたびれてきても履き替える気持ちが薄れ、妻に文句を言われつつ今日も同じ愛靴で出勤となります。

400~700年前、主に四足で行動していた祖先が、高いところにぶら下がっている食べ物をとろうとして上体を起こしたまま短い距離すり足で二足歩行したのがヒトへの進化の一歩ならぬ‘二歩’だったといわれます。その後、恒常的に立って歩行することで、手は自由に使え道具も持てるようになり、何より重さを垂直に支えることで脳も大きく発達することが可能になりました。しかし、同時に全体重が両足にかかり、足底を寒さ、熱さ、怪我から保護する必要が生じたのが‘靴’の使用の始まりとなります。現物が残っている最古の靴は紀元前2000年頃のシュロの葉や動物の革で作られた貴族用のサンダル状のものですが、ワシントン大学の人類学チームの研究によると発見された人骨の足の形から、それよりずっとさかのぼり4万年以上前からヒトは靴を履いていたと推定しています。足を保護する道具として広まった‘靴’は移住する環境や目的で様々な形に変化、改良され、やがて実用性だけでなく審美的な意味も持ちながら今に至っているわけです。

クツといえば、韓国に全体がゴムで作られた上履きのような形の‘ゴムシン’というものがあります。ゴムであるため、軽くて柔らかく非常に履きやすいですが、最近は韓服を着るときくらいで、都会ではあまりみられなくなりました。「ゴムシンを反対に履く」という言葉は、男友達が軍隊に行くと、すぐに(クツもまともに履かず、逃げるように)心変わりする女性を意味します。最近は逆のパターンで「軍靴を逆さに履く」という言葉もあるようですが、やはりゴムシンの方が柔らかく逆でも素早く履けそうですけどね。

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隣人との付き合い方

2013-03-09 11:22:19 | Weblog

2013年、日韓中の三国は、それぞれ新しい指導者のもと新しい年の門出を迎えました。昨年秋以降の領土問題を発端としたこれら東アジアの関係は、近年においては最もギクシャクしたものになっています。内閣府が毎年行っている意識調査において2012年10月の時点での「韓国、中国に対する親近感」は、調査を始めた1978年以降過去最低を記録しました。特に韓国に対しては、2000年前後の韓流の影響もあり、前年までは親しみを感じるとした割合が62%まで上昇していたものが、昨年8月の李明博大統領の発言と行動後、一気に39%まで下落しました。単純に好き嫌いというイメージは、マスコミの報道や、ブームなどに影響され、単に数字に表れる‘親近感’には大きな意味は感じません。むしろ隣国として本当の関係構築は、表在化した様々な問題や考え方の相違を直視することから始めてなければいけないのでしょう。

18世紀初頭、徳川幕府の招待で来日した朝鮮通信使の一人、申維翰が記した日本紀行文に「海遊録」という本があります。本の中で、通信使を迎える人々の熱狂ぶり、大阪の街の繁栄や見物におと連れた人の衣装のきらびやかさなどを素直に驚いています。中国で生まれた儒教は、国内の思想統一のため漢の武帝により国教として広まりましたが、そこから発展した朱子学など、精密な学問大系として本家以上に受け継ぎ、国の規範として昇華させたのが当時の李氏朝鮮でした。幕府が国を挙げて朝鮮通信使を歓迎した理由の一つが、身分秩序を重視する朱子学を国内支配の基礎学問としての思惑もあったことでしょう。高い観察眼を持ち、漢文による筆談で日本側の多くの人々と接した申維翰でしたが、逆に16世紀の大儒学者‘李退渓’に対する必要な質問を繰り返す日本の学者や、人々の歓待ぶりの中で、儒学先進国であるという学問的優越感と相まって、日本にたいする冷静な評価を曇らせた面があったかも知れません。結果的に、その後も儒教的教養主義を貫いた朝鮮に対して、日本は儒教精神より実利主義をとり、欧米的な近代化の道を目指して行きました。

時代々で変化するパワーバランスの中で善きにせよ悪しきにせよ影響を与え合った隣国との付き合い方は一筋縄ではいきません。歴史作家の司馬遼太郎も、他国の特に政治評価に対しては難しさを感じていたようで「その国の政治現象は、歴史的結果であり、歴史を知りぬいたうえで、愛を持って見る以外にない」と綴っています。

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