病院の遅い夏季休暇を利用してソウルに行きました。予定の数日前から大型台風が沖縄から朝鮮半島という進路で通過するという予報があったため、何とか出発日にはぶつからずにと願ったにも関わらず、まさに当日に朝鮮半島上陸という事態になりました。それでも、当日は、朝早めに空港に向かいながらネットでソウル行の発着情報をチェックすると、案の定午前中の便は、ことごとくdelayと表示されていました。ただ私が搭乗する韓国の航空会社の便だけはdelay ではなくnew timeとなっていました。当然他の便と同じように台風の影響が納まる夕方に変更になるだろうと考え、時間のつぶし方など考えながら空港に到着しカウンターにいくと、何やら急いで搭乗手続きを進めていました。説明によると「少しでも台風が近づく前に出発します」とのことでした。結果的には、その日の午後にソウル近郊を台風が接近したことで、夕方には仁川空港は閉鎖されたため、見事な判断!だったわけです。
全世界で繰りひろがれているサムスンとアップルの特許訴訟戦の一つ、カルフォルニア州の連邦陪審では、ほぼ全面的にアップルの勝利となりましが、その数日後の東京地裁では別の特許に関してサムスンに軍配があがりました。アップルのホームである米国での敗訴から、細かい工夫や技術面での改善、進歩よりもソフトやスタイルの独創性を重んじる欧米の意識を垣間見た気がします。飛ぶ鳥落とす勢いのサムスンが、アップルのホームグランドで、痛い一撃を受けたわけですが、十数年まえに米国市場に乗り出し、最初は奇異な目で消費者から見られながらも、とにかく派手な広告とずば抜けた製品開発のスピードで、今ではあの大アップルと互角にやりあうまで成長した事実にむしろ感慨深く思うも多いのでしょう。90年代まで全世界に緻密さと精巧さで様々な製品を送り出した日本のメーカーは、アップルの独創性に対し、集中とスピードで対抗するサムスンの姿は、単純に日本の模倣を懸命にしただけだとは看過できないのではないでしょうか。
戦後間もなく陸軍で使用していた無線用小型エンジンを改良して自転車に取り付けた原付自転車がホンダのバイクの始まりでした。やがて、BMWなどの外国製オートバイを手当たり次第に分解して研究し独自設計の日本製オートバイ ‘ドリーム号’が完成するのです。もし、この時 特許という概念があったら今のHONDAは存在しなかったでしょう。