東日本大震災が発生して一年。被災地では、多くの人々がその甚大な被害の傷跡から未だ回復できずにいます。さらに原発による併発事故まで重くのしかかり、東北地方に限らず、日本全土が不安の中で過ごしてきた一年でもありました。毎日のように体感する揺れの中で、政府や専門機関による地震予測や見解も、その数字の解釈や表現は異なりますが、今の日本は、結局のところ地震が、どの地域にいつ起きてもおかしくない時代に生きていることを自覚すべきなのでしょう。震災を漠然と心配するのではなく、起きたとき、そしてその後どう対処すべきかを真剣に準備する必要があります。そしてそれはグローバル化した現代日本人だけでなく、ある意味日本人以上に不安感を抱く外国人も含め、同じ社会の運命共同体として一緒に考えていかなければならない課題です。
17年前の阪神淡路大震災のとき、灘地区の一部の住民が瓦礫で道路が塞がれ、指定された避難所までたどり着けずにいた100人余りの人々を西神戸朝鮮初中学校が受け入れ、学校の生徒父兄と長い時間励ましあいながら一緒に過ごした事実があり、それまで近くにいながら全く知らなかった住民たちとの交流は今でも続いているそうです。同様な出来事は、東日本大震災でもありました。一方、その他様々な外国籍の人の中には、十分に地域に溶けこめない状態で孤立したり、言葉の壁から十分な援助や情報を受けられなかった被災者も多くいました。阪神淡路大震災の死亡者数5497人の内、外国人は3.17%の174人でした。日本では、それまで余り一般的でなかった多文化共生という言葉や概念、そして支援する運動が始まったのは阪神淡路震災がきっかけでした。
電通総研で行った震災前後での人々の意識変化を調査したものがあります。男女共に、総じて‘人との絆’を改めて見直し、「本当に大切な人との関係を再構築したい。」という思いが強まったという結果です。震災という困難の中での絆の大切さは、これから進むべき多文化共生社会においても、改めて見直すべきことです。一方的な支援ではなく、お互いを大切に想う努力から生まれるものでしょう。