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都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

梅窓院

2019-07-04 | 港区   
梅窓院
所在地:港区南青山 2-26
建設年:1925(大正14)
構造・階数:RC・2F
解体年:2000(平成12)頃
Photo 1991.5.11

 2000年頃まであった昔のお堂は、大正末期に鉄筋コンクリートで建てられた和風デザインのものだった。しかも、普通の寺院の堂のような形ではなく、四角い建物の上に塔を載せたような姿で、いま見ても、一風変わった建物だった。建設当初はかなり斬新だったのではないだろうか。妙な感じで目立っていたかもしれない。

 建築家・隈研吾氏の設計によって建てられた新しいお堂もなかなか斬新な設計らしい。寺院建築は、ともすれば昔ながらの建て方になってしまいがちだが、梅窓院は、前回の建立時と同様、建て替えるからには、その時々に合った、新しい寺院建築の在り方を模索したのかもしれない。

長青山 梅窓院|東京南青山

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #近代建築  #寺院  #塔 
2007.2.26

消防庁第一方面本部(旧田中長兵衛邸)

2019-07-02 | 港区   
消防庁第一方面本部(旧田中長兵衛邸)
所在地:港区三田 2-6-2
構造・階数:木・2F
建設年 :1921(大正10)前
解体年代:1989〜92(平成元〜4)
Photo 1989.4.2

 三井倶楽部などが建ち並ぶ、旧武家屋敷地の一角に建っていた屋敷。斜めに取り付いたドームのある塔屋が印象的だった。消防庁第一方面本部として使われていたということだったが、もともと個人住宅である洋館が、どのように使われていたのかちょっと疑問。接待用施設、もしくは会議施設として使われていたのだろうか。結局私は、この写真を撮ったときの一回だけしか目にすることはなかった。

Wikipedia > 田中長兵衛(2代目)

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #官公庁  #オフィス  #住宅系  #洋館・洋風住宅  #近代建築 
2007.2.26

三越湯

2019-05-28 | 港区   
三越湯
所在地:港区白金5−12
建設年:1928(昭和3)
構造・階数:木造・2F
備考 :解体
Photo 1995.2.23

 白金の街を東西に走る道沿いの商店街の一角に建っていた洋風の銭湯。屋根の様子は、和風の銭湯建物のように見えるのだが、玄関上の欄間はアーチ状になっていて、ステンドグラスが嵌っている。道路際にそびえる目隠し用ブロック塀が全景を見えなくさせていて、無粋で邪魔くさく、建物の印象を損なっていた気もする。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #銭湯 
2007.2.26

北里研究所本館・医学館

2019-05-26 | 港区   
北里研究所本館・医学館
所在地:港区白金5-9
建設年:1915(大正4)
構造・階数:木・2F
備考 :1979(昭和54)に明治村へ移築
Photo 1990.3.20 写真は移築後、明治村での様子
博物館 明治村北里研究所本館・医学館

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区 #古い建物 愛知県 #近代建築 
#大学 #研究所 #移築保存 

沖電気芝浦事務所

2019-05-24 | 港区   
沖電気芝浦事務所
所在地:港区芝浦 4-10
建設年:1934(昭和9)
構造・階数:RC・5F
備考 :解体(2004年?)
Photo 2003.5.8

 JR田町駅から海の方へ行った先の、芝浦の埋め立て地に沖電気の建物はあった。電気・情報・通信系の会社は、移り変わりが極めて速く、古い建物や工場がどんどん建て替えられても不思議ではないのだが、この建物は70年近く使われていた。比較的モダンな箱形の建物だったから、あまり古びることがなかったのだろうか。南側の端にある、時計台は、簡素なデザインだが、印象深いものだった。肝心の時計だかシンボルマークが、多分取り外されてしまっていて、ちょっと間抜けな感じになってしまっていたが。

 その後、このビルは取り壊され、工場敷地も売却され、超高層マンションが建てられた。

 2005年秋に現地を再訪した時点では、建物は解体され、暫定利用されている状態だった。

廃景録沖電気
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #オフィス  #近代建築 

芝浦の検番(芝浦協働会館)

2019-05-22 | 港区   
芝浦の検番(芝浦協働会館)
所在地:港区芝浦 1-11
建設年:1936(昭和11)
構造・階数:木・2F
Photo 1994.11.11

 旧芝浦三業地の中に位置する。検番は芸者の管理組合の建物のことだそうだ。近隣の芸者置屋に所属している芸妓さんを登録して、料理屋・待合からお呼びが掛かると派遣する、といった仲介業務をしていたという。詳しいことは「体験していない」ので残念ながらよく判らない。

 この近辺一帯は芝浦三業地だったと言われるが、今では当時の面影はほとんどない。芝浦協働会館として近年まで使用されていた検番の一棟のみが残り、隣接地に並ぶ料理屋等は解体された。検番の建物については保存運動が行われ、保存・活用されるという。


 Photo 1994.11.11

 中央の大きめの建物が検番(芝浦協働会館)、両脇は芸者置屋だったという。昔の住宅地図によれば、東隣(写真左)は協働会館宿舎第四寮、西隣は第三寮、その西隣(写真右端)が第二寮だった。また、手前の駐車場の場所には1970年代までは芝浦園という料亭があったそうだが、1980年代初めまでには無くなって駐車場になったようだ。


 Photo 2003.5.8

 1994年の時点では、検番を含めて5棟が残っていたが、現在残るのは検番の建物のみ。見番と他の建物が一緒になって、群となって街並み景観を創っていた場所は、この頃の東京には既になかっただけに貴重な景色で、それが無くなったのは残念。

旧協働会館保存・利活用のための整備計画

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#古い建物 港区  #失われた建物 港区  #商業系  #遊興施設 
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2022.8.25 

外務省狸穴通信分館

2019-05-20 | 港区   
外務省狸穴通信分館
所在地:港区麻布台1−8
建設年:昭和初期
構造・階数:木・2F
備考 :解体・建て替え
Photo 1989.4.2

 麻布台の某宗教施設のそばに建っていた洋館。大学生の頃にたまたま見かけて撮影した建物。後で調べて外務省狸穴通信分館という施設だったことを知った。だがこの写真を見ても、そのような建物にはどうしても見えない。

 その後、住宅地図等で調べたところ、建物は建て替えられたが、現在も外務省別館としてこの場所は使われていることが分かった。どうやら何らかの接客施設らしいが、目立つ看板もなく、相変わらず謎の建物。新しい建物は、外壁の色が以前の建物と似ていて、ディテールの雰囲気も似ている。旧来の建物のイメージを残しながら建て替えたようだ。

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#失われた建物 港区  #近代建築  #住宅系 
2007.4.4

防衛庁20号館(旧歩兵第一連隊本部)

2019-05-18 | 港区   
防衛庁20号館(旧歩兵第一連隊本部)
所在地:港区赤坂 9-7
建設年:1929(昭和4)
構造・階数:RC・2F
備考 :六本木防衛庁跡地再開発に伴い解体
Photo 1989.4.2

 防衛庁跡地の再開発(東京ミッドタウンプロジェクト)のために解体された。
 写真を撮った頃は、防衛庁の敷地内だったため、塀の外から無理矢理撮影。手前の塀が日陰になって黒く落ちていてかなり邪魔。全貌は見えず。かといって塀に上って撮影、なんていう無茶は当然できず。

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#失われた建物 港区  #近代建築  #官公庁  #オフィス 
2007.2.25

般若苑

2018-12-20 | 港区   
般若苑
所在地:港区 白金台2−20
備考 :般若苑 - Wikipedia
Photo 2003.9.7

 料亭などには全く縁がないので、ここがどんな場所だったのか、内部の様子などは全く知らず。撮影した時にはそれが料亭であることすらも知らなかった。後で場所を確認して般若苑という施設だったことを知ったが、それでも新興宗教かなにかかと思っていたぐらい。般若苑が実は結構有名な料亭だったということは、それが無くなってしばらくして知ったので、正面側などを撮影することはできず、写真もこの一枚しかない。

 Wikipediaによると、主な建物は1939(昭和14)に建てられたようで、戦後に売却され、1948(昭和23)に料亭になり、多くの政財界の人が利用したそうだ。

 般若苑が一般に有名になったのは、三島由紀夫の小説の舞台になり、更にそれに関連する裁判が起こったことにもよるらしい。ただその頃、私はまだ生まれていなかったので、そのあたりのことは全く知らなかった。今も詳細は理解していないし、だいいちあまり関心がない。従って詳細は他のサイトを当たって頂きたい。

 料亭としては2005(平成17)に閉店し、その後、解体されたという。写真は最後の頃に近い時期に撮ったものということになる。黒板塀の向こうにいくつも和風家屋が繋がって建っており、土蔵などもあって、白金台にはやはり立派な家があるものだなどと勘違いして思っていた。殺風景な駐車場の向こうの壁に小さなランプがあるあたり、恐らくここは勝手口の側だったのだろう。

 なお、跡地には2013(平成25)にテラス白金というソフトバンクグループの施設が竣工している。

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#失われた建物 港区  #商業系 

葺手町アパート

2018-06-11 | 港区   
葺手町アパート
所在地:港区虎ノ門4-1
構造・階数:RC・3F
備考 :2011年に解体
Photo 2008.5.21

 アパートの名は、現在の虎ノ門4丁目の一部がかつては芝葺手町という名だったことからだろう。

 どのような共同住宅だったかは分からない。場所柄、社員寮の類だったのかもしれないが詳細は知らず。2008年時点で既に住人はおらずフェンスで囲まれた廃墟状態だった。

 周辺の再開発が次第に進み、真新しいビルがかなり増えるなかで、コンクリート打ち放しの低層アパートは妙な存在感を醸しだしていた。


 Photo 2008.5.21

 現在この東南側で、虎ノ門トラストシティ ワールドゲート計画と、気象庁虎ノ門庁舎・港区立教育センター整備が行われているが、この2つの再開発事業敷地の間には新しく道路が造られる予定で、葺手町アパートの敷地はこの道路予定地となっている。

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#失われた建物 港区  #住宅系  #集合住宅