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都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

渡邊ビルヂング

2020-02-14 | 港区   
渡邉ビルヂング
所在地:港区 浜松町2-4
建設年:1931(昭和6)
構造・階数:RC・3F+RF
解体年:2015(平成27).8
Photo 2011.12.13

 新幹線からも見えていた近代建築。浜松町の渡邊ビルは世界貿易センタービルの建て替え・再開発(浜松町二丁目4地区A街区)に伴って、2015年7月から解体が始められた。

 東側階段室の塔屋の屋根は切妻で、青い瓦葺き、鴟尾が載っていて、軒先も和風。しかし全体としてはスクラッチタイル張りのビル。なぜ和風(中国風?)の屋根を部分的に載せたのか、ちょっと謎な建物だった。


 Photo 2015.7.18

 浜松町駅から東芝ビル方面へ向かい、JR線を横断する跨線橋から。写真上部は東京モノレールの桁。道路に面した部分はスクラッチタイル張りだが、それ以外の面は打ち放しペイント仕上げのようだった。また、1Fは南北共に大きめの窓になっていた。
 なお、写真中央に入っている縦線は、跨線橋の窓に鉄線がある影響。


 Photo 2015.7.18

 北側の壁面には「昭和シェル石油(株)特約店、関東礦油」と書いてあった。同社のウェブサイトを確認したところ、1955(昭和30)年から2013(平成25)年まで、このビルに本社を置いていた会社で、現在も近くの芝大門2丁目のビルに本社を置いているそうだ。なので、ビル自体は関東礦油という会社とは別に昭和初期に建てられたものだったことになる。


 東側壁面の様子 Photo 2015.7.18

 階段室は縦長のスリット窓。上下に日本建築でいう木鼻のような装飾が並ぶ。切妻屋根だけでなくパラペット部分や玄関庇の屋根も青い瓦。窓まわりのコンクリートを厚めにしていたのは耐震のためだろうか。


 Photo 2005.10.1

 1F玄関部分は緑色の細いタイル張り。アールデコ風といえば良いのだろうか。。


 1F玄関わき上部のステンドグラス Photo 2015.7.18

 派手な装飾はあまりない建物だったが、玄関には小さな花をあしらったステンドグラスがあった。


 東南側から Photo 2015.7.18

 見る方角によって印象が異なるのも不思議な感じだった。1階の北東側、階段室下にちゃんとした玄関があるが、東南側角にも鉄製扉の両開き扉があって、その上部には「渡邉ビル」の文字があり、屋上のパラペットも三角形に尖ったデザインで、こちら側も正面と言えなくもない。ただこのコーナー部の2、3階は窓が小さく、東北側の玄関と階段室に比べると地味。


 Photo 2011.12.13

 東南側角のすぐ隣にも両開き扉があり、また西南角の三角屋根の張り出し部分にも小さな扉があった。あちこちに扉があって、使われ方がよく分からない建物だったことも記憶に残る。2015年の写真は解体直前だったため、1Fの窓部分に木の板が張られてしまっていたが、この時点ではまだ閉ざされていなかった。


 西南側から Photo 2015.7.18

 西南側角も階段室だったようだ。周囲は2013年頃までに全て解体されていて、最後まで残っていたのが渡邉ビルだったが、この少し後に解体されたのだった。


 Photo 2015.7.18

 東南角部分。正方形に近い四角い窓が4つずつ並ぶ壁面。スクラッチタイルは横に細長い形。トイレとか給湯があったのだろうか? 内部の様子は残念ながら知らず。

浜松町二丁目4地区A街区本格始動 | プレスリリース | 鹿島建設株式会社

関東礦油株式会社

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #近代建築  #オフィス 


西山商店

2020-02-06 | 港区   
西山商店
所在地:港区三田4-3
構造・階数:木・2F
建設年代:戦前
解体年代:2010〜13(平成22〜25)
Photo 2007.7.1

 出桁造りの町屋だったが、こちらも数年前に消失。看板に「食料品」と書かれているが、どのような食料品を扱っていたかは記憶がない。
 2007年時点で既に自販機のみの営業になっていた。店としては2000年代前半に閉じたのかもしれない。
 跡地のGHビルは2013年3月竣工。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #出桁造り 

旧 木村春東邸

2020-01-24 | 港区   
旧 木村春東邸
所在地:港区 高輪3-18
建設年:1907(明治40)
構造・階数:木・3F
解体年:2012(平成24)
Photo 2006.3.5

 1907(明治40)年完成で、築100年以上。華やかな屋根装飾を持つ木造3階建て住宅が、東禅寺わきの小さな住宅地にあって、なぜこんなところにこんな建物がと驚かされる代物だった。


 Photo 2006.3.5

 改装されて増築もされていたのか、部分的に張り出していたり、2階への梯子段が付いていたりで、入口周辺は奇妙な感じ。

 建物を建てた木村春東という人は徳川慶喜の従医だった人という。代替わりはしていたが、最後の頃まで木村家が使用していたらしく、門柱には木村という表札がまだ掛かっていた。


 Photo 2012.12.4

 それほど規模の大きくない3階建てだったが、屋根はスレートと銅で葺かれ、デザインはまるで西洋の宮殿風。個人住宅でこれほどの装飾のある屋根は稀。小路の奥にあったため全景を撮れなかったのが残念。

 使われなくなったという話を聞いていたので、近くを通りかかるたびに気になって見に行っていたのだが、2012年の12月4日に訪れてみたら、ちょうど解体業者が来ていて、既に家財道具などが運び出され、解体準備真っ最中だった。現在、同所にはタカナワテラスという集合住宅が建っている。

高輪に建つ明治からの洋館がもうすぐ解体。最後の記念に数枚。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #住宅系  #近代建築  #洋館・洋風住宅 


東京大学生産技術研究所(旧歩兵第三連隊兵舎)

2019-07-18 | 港区   
東京大学生産技術研究所(旧歩兵第三連隊兵舎)
所在地:港区六本木7-22
建設年:1928(昭和3)
構造・階数:RC・3F
Photo 1995.5.27

 東京大学生産技術研究所の建物は、戦前に歩兵第三連隊の兵舎として建てられたもの。一帯は江戸期には伊予宇和島藩(愛媛)伊達家の上屋敷だった場所で、明治期に陸軍用地となった。

1874(明治7)歩兵第三連隊設置。
1923(大正12)関東大震災で木造兵舎が焼失。
1928(昭和3)歩兵第三連隊兵舎として上記写真の建物がRC造で竣工。
1945(昭和20)米軍に接収され、ハーディーバラックス・エリア1(Hardy Barracks Area1)となる。
1958(昭和33)日本側に返還(エリア1の一部は未返還)。
1962(昭和37)東大生産技術研究所が千葉県からこの場所に移転。
2001(平成13)東大生産技術研究所が駒場に移転し、この後、建物が解体される。
2005(平成17)政策研究大学院大学が跡地に移転。
2007(平成19)国立新美術館が跡地に開館。

 第二次大戦後は一時米軍に接収されたが、返還後、東大生産技術研究所として使われるようになった。写真はこの時期のものだが、この数年後に生産技研は移転し、建物が解体されて国立新美術館が造られることになった。撮影当時、既に計画はあったのかもしれないが、私がそれを知るはずはなく、私自身はこの敷地内、建物内を見学することはないまま終わった。

 建物は「日」の字型をしていた。昔の建物は採光のため、光庭を取った建物が多かったが、この建物ではそれに加えてコーナー部が丸くなっていて、廊下も長方形ではなく、角を斜めにした八角形だったようだ。一説には、万一何者かが侵入したとき、似たような廊下が続き、侵入者が自身の場所が分からなくなるようにしたと言われている。


 六本木ヒルズ森タワーから  Photo 2003.5.20

 写真の頃には昔の庁舎建築の一部分だけを残した状態で、国立新美術館の建設が行われていた。
 この後、2007(平成19)年1月に国立新美術館は開館。

 旧歩兵第三連隊兵舎の建物のうち、上記写真で残されていた一部分は保存されて別館となった。ただし写真の塔屋部分は残存していない。また北面部分は更に削られ、ガラス曲面の壁面とされた。結局、保存されたのは全体の1/10に満たない部分のみだった。

保存された一部分の現況 → 国立新美術館-3(都市徘徊blog)

Wikipedia > 歩兵第3連隊

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #官公庁  #研究所  #近代建築 

旧麻布保健所(港区麻布保健所)

2019-07-16 | 港区   
旧麻布保健所(港区麻布保健所)
所在地:港区六本木6-16
構造・階数:木・2
建設年代:1950年代?
解体年代:2002〜03(平成14〜15)
Photo 1996.5.15

 六本木ヒルズの再開発地に隣接したすぐ南側の通りに面して建っていた。六本木ヒルズの再開発(当時は六本木六丁目再開発事業)が動き出した頃、既に空家のようになっていたので、当然一緒に再開発されるものだと思っていたら、なぜか再開発対象地からはちょっと外れてしまい、ずっと空き家のような感じで残り続けていた。もともと公共施設なので、一時的に別の公共施設として利用されていたこともあったようだ。しかし、2005年の春になって訪れてみたら、やはり取り壊されていて、六本木ヒルズへとつながる斜面の公園になっていた。場所柄、欧米人の子供が家族と共に遊んだりしている。

 すぐそばに玄碩坂からクランク状に上ってくる階段の出口があるのだが、出口部分は建物と共に残されている。下部の階段は地形がまるごと変わってしまったので消失してしまった。ポケットパークの草むらの中に、奇妙な感じで小径が残っている。

2018.6.13
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #官公庁  #オフィス  #公共施設 

国税庁麻布分室

2019-07-14 | 港区   
国税庁麻布分室
所在地:港区六本木6-5
建設年:戦後まもなく?
階数 :2F+塔屋
備考 :廃屋化→1996(平成8)頃解体
Photo 1994.8.21

 現在の六本木ヒルズのすぐ東側の一角、賑やかな表通りから横道にそれて奥に入った所に、人々から忘れられてしまったかのような廃屋があった。袋小路にあるので人通りは少なく、都心なのが嘘のように静かな空間。裏通りにこのような時計台のある建物が建設されたこと自体、今考えてみればちょっと不思議だ。

 窓の部分まで這ったツタ、壊れたガラス、閉じられた雨戸、鍵が掛かって錆び付いた門扉、いつから止まっているのか分からぬ時計など、紛れもなくそれは廃屋だった。

2007.2.26

2025.1.6追記
 戦前、1937(昭和12)年時点ではまだ建てられていない(火保図)。また同所近辺は戦災で焼失した地域。ただ戦後まもなく、1945〜50年の航空写真(国土地理院)には建物が写っている。
 1963(昭和38)年の東京都全住宅案内図帳には「麻布税務署」、そして1980年代から90年代初めの頃までの住宅地図には「東京国税局麻布分室」として掲載されているが、その後、写真のような廃屋になり、1996年頃に解体された。現在、同所にはアートギャラリーが入居する3階建て建物が建っている。

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#失われた建物 港区  #官公庁  #オフィス  #近代建築 
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フィリピン大使館(旧小田良治邸)

2019-07-12 | 港区   
フィリピン大使館(旧小田良治邸)
所在地:港区六本木5-15
建設年:1924(大正13)
階数 :2F+塔屋
設計 :J.M.ガーディナー(James McDonald Gardiner)
備考 :空き家化→焼失→1996〜98に解体
Photo 1995.5.27

 建物を建てた小田良治は、1872(明治5)大分県生まれ。米国、欧州を留学の後、三井物産社員となり、三井物産札幌出張所長などをつとめ、北海道で鉱山経営にもあたった人。その後、札幌で初めての近代的デパートである「五番館」を経営し、実業家として成功したという。

 屋上に天体望遠鏡用の観測ドームが付いていて、背の高い煙突も2つある独特な洋館だった。

 いつ頃からフィリピン大使館になったのか正確な年代は未把握だが、1963(昭和38)の東京都全住宅案内図帳では既にフィリピン大使館となっている。

 しかし1981(昭和56)年の住宅地図では大使館ではなくなっており、空白。1991年の地図では「鹿島建設管理地」になっていた。

 門の隙間から敷地内の建物を見る。1995年時点では既に廃墟化しており、窓も破れていた。この後、しばらくして焼失してしまい、その後解体された。

 門前の様子。ベニヤ板や塩ビ波板で目隠しがされていた。

 建物の解体後、1999年にパーク・コート麻布鳥居坂というマンションが完成、フィリピン共和国大使館も同建物内に入っている。

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#失われた建物 港区  #官公庁  #オフィス  #住宅系 

金光邸

2019-07-10 | 港区   
金光邸
所在地:港区六本木5-5-9
階数 :2F
建設年代:震災前?
解体年代:2007〜09(平成19〜21)
Photo 1997.5.10

 鳥居坂を上って外苑東通りに出る直前の左側、ロアビルの南側にあった洋館。

 撮影時、既に使われておらず空き家だったようだが解体はされず、2007年まで存在していたようだ。また、解体後もなんらかの開発が行われたわけではなく、現在に至るまでコインパーキングになっている。


2025.1.6追記
 1937(昭和12)年の火保図では河合鉄二邸。同氏は第百銀行常務、川崎貯蓄銀行副頭取、日本火災保険・川崎倉庫各取締役を務めた人。戦後、1963(昭和38)年の東京都全住宅案内図帳では氏名等が記載されていない。そして1973(昭和48)年以降の住宅地図で金光邸とされていた。

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三田無線研究所(旧茨木邸)

2019-07-08 | 港区   
三田無線研究所(旧 茨木邸)
所在地:港区南麻布1-2-1
構造・階数:木・2F
建設年 :1930(昭和5)
解体年代:1996〜99(平成8〜11)
Photo 1991.6.15

 仙台坂の途中にあった建物。三田無線という会社の建物だったが、オフィスというよりは個人の洋館のような雰囲気。昔の住宅地図を見たところ、創業者の自宅だったようだ。
 1990年代後半には建て替えられたようだが、現在も同所には三田無線研究所がある。

 外壁はスタッコ仕上げとかだったのだろうか。1、2階は洋館のような外観だが、屋根は日本瓦の入母屋屋根。2階ベランダのアーチから軒庇までがやや長く、不思議なプロポーションをしている。2階の天井高を高く確保したかったのだろうか。

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三田4丁目の銅板張り看板建築

2019-07-06 | 港区   
三田4丁目の銅板張り看板建築
所在地:港区三田4-2
構造・階数:木・3F
建設年代:震災後〜昭和初期
解体年代:1993〜95(平成5〜7)
Photo 1992.6.20

 桜田通り沿いに建っていた木造3階の銅板張り看板建築。写真の時点で既に一部は空き家だったようで、この1、2年後には解体されてしまったようだ。

 3間分の幅があり、かつ3階建てとわりあい規模が大きかっただけに、この写真1枚しか撮っておかなかったのは残念。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #看板建築  #銅板張り看板建築