今日も”LOOKING GOOD!”

いつまでも楽しく色んな所を走り回りたいと願う中年ランナーのお話です。

第25回田沢湖マラソン その2

2010-09-27 09:36:02 | スポーツ

 私がマラソンを走っている間、妻&豊田夫妻は田沢湖芸術村というところでわらび座のミュージカル「山神様のおくりもの」を感動して(女性2人は)涙を流しながら見ていたそうです。実に有効な待機時間の使い方ですが、そのため私のマラソンシーンは”その1”にupしたもので終わりです。(それはそれで涙です)

 というわけで、あとは文章でお楽しみ下さい。まず、ラップタイムです。

5キロ  29分35秒(スタート地点まで20秒ぐらいかかりました)

10キロ 29分8秒

15キロ 29分3秒

20キロ 28分33秒

25キロ 28分57秒

30キロ 28分36秒

35キロ 29分10秒

40キロ 31分20秒

goal   12分39秒

中間点 2時間2分44秒 total  4時間7分1秒

 還暦を迎える前々日だったためギリギリ50歳代での完走となったのですが、この年代では時間内完走者189人中95位ということでちょうど半分というところです。いつもより順位が悪いようですが、これは、最近のマラソンでは制限時間は6時間・7時間が普通なのに、この大会は5時間と少し厳しいため、後ろの人数が少なくなったのです。もちろん、60歳代なら順位は上がりますが、50歳代のほうがいいです。でももう終わりなんや!

 マラソンコースは前半と後半で見事に雰囲気が違います。スタート・ゴールは田沢湖湖畔なのですが、まず、前半は国道341号線や田沢湖駅などの市街地を走り、応援の人もそこそこいます。意外にアップダウンがありますが、国盗りマラソンのため各地方の起伏の激しいコースを走らざるをえない私にとって何のことはありません。ただ、夏の暑さで長い距離がこなせてない身にとっては、最初からガンガン行くのは怖さが先にたって、キロ6分をかろうじて切る程度でしか走れませんでした。

 後半は田沢湖周回になります。涼しくてフラットで本当に気持ち良いコースですが、応援は皆無です。前半が走れていないので、落ち込みもなく快調です。河口湖マラソンのようにここ2周でも良いのになあ。でも湖は広い!ゴールの対岸にある“たつこ像”がなかなか近づきません。

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 そして、35キロ過ぎから最大の難関の上りが待っています。たちまちスピードが落ちますが、前を歩いている人を何とかパス・スルーします。ここを歩くのと走るのとでは結果がぜんぜん違います。日頃の練習量が問われるところです。(といってもこの5キロを31分かかったので、口ほどでもないですが…)

 ここの起伏をなんとか抜け、エイドステーションのおいしいスイカをほおばって、ペースアップしてゴールです。疲れていなかったので、妻たちがやってくるまでに完走者に手渡される日の丸弁当と豚汁を平らげてしまいました。

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(ゴール風景。この写真では、ゴールタイマーが4時間9分12秒を指しています。私は写真右後方で弁当を食べ始めていたはずです)

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(友恵さん撮影。ありがとう)

 このあと、私はレンタカーを運転し、秋田市駅前のホテルに移動し、3日目は男鹿半島観光に向うのですが、その話は”その3”をお待ち下さい。


第25回田沢湖マラソン その1

2010-09-22 11:14:28 | スポーツ

 いよいよ秋のマラソンシーズンです。私の国盗りマラソンも残り10で、カウントダウンが始まりました。年内には5県を制覇する予定ですが、今回はその第一弾、秋田県・田沢湖マラソンです。

 マラソンの開催地が観光適地の時には妻も同行します。(北海道、沖縄、青森など一緒に行きました)今回も角館・田沢湖・男鹿半島と秋田を満喫できるので夫婦で出かけました、と言いたいところですが、今回は、幼馴染の(隠岐の島ウルトラマラソンにも一緒に行った)豊田夫妻が「良さそうな所やから私らも連れてって」ということなので、4人旅になりました。旅は道連れ…、しかも人数が増えればレンタカー代も割安になるし大歓迎です。(豊田夫はこの秋の私の出場マラソンのうち、更にあと2回ついて行ってやるとのことで、彼にかなり好かれています)

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(豊田夫妻です。二人ともドクターなので、安心して旅行ができました) 

 秋田へは当然飛行機です。3連休なので、飛行機代が結構割高やけれどこれは仕方がないです。空港でレンタカーを借りて、まず角館へ。武家屋敷の見物です。小京都だそうですが、見事に整備されています。

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(小さく妻&豊田妻が写っています)

 桜の季節ならどれだけすばらしいだろうなあと思わせるロケーションです。

 そして、田沢湖へ。受付を済ましてナンバーカード(1334)を貰いました。今日は足ではなくナンバーカードにチップが付いています。大会当日は車の通行規制が実施されるので、とりあえず田沢湖一周です。定番のたつこ像に行きました。

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 秋田は今、TBS系でも放映された韓国ドラマ「IRIS」の舞台となったということで、どこへ行ってもアイリスだらけなのですが、特にこのたつこ像の場所はヒョンジュン(イ・ビョンホン)とスンヒ(キム・テヒ)の抱擁シーンが撮影されたということで大人気です。

 そして、今夜の旅館は田沢湖高原温泉郷駒ケ岳観光ホテルです。秘湯として名高い乳頭温泉に泊まりたかったのですが、ハイシーズンということもあり駄目でした。ただ、今日の宿は乳頭温泉と同じ源泉で、源泉掛け流しの湯です。硫黄の香り漂う乳白色の湯を楽しみました。

 マラソン当日は前日からの雨も止み、曇り空、さほど暑くなくこの時期 としてはベストでした。タイムは4時間7分1秒。ネットタイムは4時間6分40秒ですから、秋初戦としてはまあまあです。何しろ今年の夏は暑くて10キロ以上走れなかったのですから。

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 ゴール直前です。(妻撮影)

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 ブレていますが、かえって臨場感があります。(同じく、妻撮影)

 レースの模様は”その2”をお待ち下さい。

 

 

 


名残の猛暑日(9月11日)稲荷から宇治へ

2010-09-17 09:50:06 | スポーツ

 この時期、毎年税理士会の支部対抗ソフトボール大会があります。私は上京支部の厚生関係の役員を長年続けていた関係もあって、控え選手(応援要員?)として参加しています。

以前は勧修寺グラウンドで開催されていたのですが、今は太陽が丘グラウンドです。グラウンドへは恒例のように走っていきます。もっとも、自宅からだと距離がありすぎるので、JR嵯峨嵐山駅から電車に乗り、適当な駅からグラウンドまでを走ります。

勸修寺グラウンドであったときはJR稲荷駅から走っていましたし、太陽が丘グラウンドになってからはJR六地蔵駅から走っています。しかし、今年は選手ではなく支部の広報担当カメラマンとしての参加ですから、稲荷駅から走ることにしました。(123キロですかねえ)

811分嵯峨嵐山駅発の快速電車で京都駅へ、そして、奈良線に乗り換え838分に稲荷駅に到着です。トイレで用を済まして、まず稲荷駅をパチリ。844分スタートです。

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ここから太陽が丘へは最短ルートを採ることにしました。桃山御陵を抜けて走れば森林浴もでき楽しいのですが、10時過ぎに到着しないと開会式を撮影するという最初の役目が果たせないので断念です。まっすぐに上町通から24号線をひたすら南下、京滋バイパスとの交差を左折し、側道に入り宇治駅そして最後の坂登りで太陽が丘を目指します。

走りだしてすぐに聖母女学院の本館が見えてきます。赤レンガ造りのレトロな建物です。この建物は旧陸軍の第16師団の司令本部庁舎だったもので、私の父親も戦時中徴兵され、ビルマに行くまで勤務していました。

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続いて、1キロほど走ると藤森神社です。55日に行なわれる駈馬神事で有名ですが、私にとって今は亡き正蔵叔父がこの近くで下宿(須崎クリーニング店といったかなあ)をしていて遊びに行った思い出の地です。(叔父は、当時、聖母女学院の講師をしていました)

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24号線に入ると御香宮神社です。この先の交差点を左折すると桃山御陵参道です

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もちろん直進して、外環状線を越えると観月橋です。

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橋を渡れば向島です。ここから先は日陰もなく、暑い暑い!速く走らないとと思うものの足は進みません。向島は高層団地が続き、景色が変わらないのです。宇治市槙島に入り、やっと京滋バイパス宇治西ICまで来ました。写真撮影中、さきほど抜き去ったおっちゃんランナーにまた抜かれました。

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時間的には、10時が迫ってきます。「このままでは宇治駅に10時ぐらい。そこから太陽が丘までの上りがきついから30分ぐらいかかるかなあ」などと考えながらとにかく一生懸命走ります。950分ぐらいに宇治駅に到着。

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証拠写真を撮っていると、後方に止まった車から「有田さん、乗ってく?」と元上京支部長の近藤先生の声がしました。いつもなら「いえ、走って行きます!」とキッパリ言うのですが、今日は暑さのせいでどうにかしていました。ついついフラフラと「ありがとうございます!」と悪魔の誘惑(乗せて頂いたのに、近藤先生スミマセン!)に負けてしまいました。最後の、一番きついところはパスです。従って、次の写真は車で到着時の太陽が丘での写真になります。

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(爲國先生撮影)

さらに、優しい近藤先生とのツーショットです。

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(須藤先生撮影)

 肝心のソフトボール大会の撮影は爲國広報委員長が「時間ができた」とやってきたので、私は用なしでした。(何ちゅうこっちゃ!)

ただ、919日の秋のマラソンシーズン第1戦“田沢湖マラソンのための最終調整ができました。良い報告をお待ち下さい。


昭和58年版”ぼくのわたしの横顔” その2

2010-09-13 09:20:40 | スポーツ

 千里シティマラソンの後、レースづいて、1ヵ月後の昭和571128日、丹波けんこうマラソン20キロに出てしまいます。

これもたまたま京都府の広報誌を見て申し込んだのですが、出た経緯がケッサクです。

問い合わせの電話を掛けると「住所は?名前は?年齢は?」と聞かれ、答えると「30歳以上男子は20キロです」とエントリー完了、有無を言わさずその当時としては、眼のくらむような距離を走ることになってしまいました。参加費は千円以下だったような気がするなあ。

この後、大会は距離を30キロにグレードアップ、大規模な大会に衣替えするのですが、このときはプログラムを見ても分かるように65人です。(手書きのプログラムがなんとも言えず味があります。よく残していたものです)

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そのせいか、コースは簡単なものです。丹波自然運動公園がスタートゴールになっていて、公園を出るとそこは国道9号線ですから脇の歩道を瑞穂町目指して走り、そして折り返してきます。車の通行規制もありません、歩道のないところもありましたから、危ないところを走ったものです。最後、横断歩道を走路員の誘導で横断しましたが、ちょっと車を止めれば大丈夫程度だったのです。(現在行われている京都丹波ロードレースでは裏道の府道444号線を規制して使ってます)

やる気を出して練習を積んできたのですが、もちろん20キロは練習で走ったこともなく未知の距離です。スタートと同時にパーっとほとんどのランナーは前に行きます。数人がお連れになりました。

とにかく完走だけを考えて走ったのですが、丹波自然公園の入口の少し手前19キロぐらいでしょうか、2時間が切れると思ったとき足にピクっと痙攣が来ました。立ち止まるほどではなかったので、その後はとにかくゆっくり走りました。ゴールタイムは自分の時計では2時間を超えていました。

「まあ、ええか」と思い完走証をもらうと11648とあります。

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 「えっ、2時間切ってるやん!」ストップウォッチ付の時計ではないのでまたしても読み間違えたようです。とにかく滅茶苦茶うれしかったのを覚えています。

このタイムを見ると、若いというのはすごいことでちょっと練習しただけで速くなっています。こんな勢いで力がつくことは人生そうそうないので、“ぼくのわたしの横顔”を書いた頃には「僕って、サブスリーにまで速なるんちゃうかな!」と勘違いしています。(わが走友の谷村守茂さんは、この数年後、腹ぽちゃの体型にもかかわらず、防府マラソンでサブスリーを達成し、「ランナーズ」に完走後奥さんと抱擁している写真が載りました)大いなる誤解だったのですが、今日まで楽しく走れているのだから結果オーライ、それはそれでよかったんだと思っています。

「レース風景」

昨年、1118日大分県国東市で開催された第20回仏の国くにさきとみくじマラソンの30キロ付近です。「暑い!坂がある!」で苦闘して、かろうじてキロ6分をクリア、4時間1228秒に終わったのですが、日出町にある子会社に赴任中の従兄弟の恭造夫妻がサポートしてくれ(撮影も)、楽しい旅となりました。

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昭和58年版”ぼくのわたしの横顔”

2010-09-06 10:47:00 | スポーツ

 「忘れもしない去年1024日の第1回千里シティマラソン。なぜ申し込んだのかの理由は話せば長くなるので割愛しますが(個人的に聞いてください)10Kの部に申し込みました。そこそこいけると思ったのですが、結果は大違い。前を行くそれ程早くなさそうな中年のおばさんが「調子が悪い」とぶつぶついいながら走ったり歩いたりするのを抜くことができず情けない思いをしました。僕は単純で熱しやすいタイプですから「よし、それなら毎日走ってあのおばさんに勝ってやる。どうせならマラソン完走を目標にしよう。マラソンやるならホノルルだ」という具合に思考が飛躍して走り始めました。

しかし、おもしろいもので、走れば走るほどタイムがよくなり(当たり前か?)今年2月に京都ランナーズに入会したときには御所1周1552秒で走れるまでになりました。(ちょっと自慢風で申し訳ない)あとはみなさんにいいみやげ話ができればいいのですが。(後略)

この文は私が走り始めた動機について、当時会員だった走友会(京都ランナーズ)が作成した”ぼくのわたしの横顔”という小冊子に投稿を求められて書いたものです。(基本的に文体が変わってないなあ。成長の跡は?です)この小冊子は私の原稿をそのままコピーして掲載しているため悪筆で読みづらいので打ち直しました。

 このレースのことは今でもはっきり覚えています。当時通っていた西中島南方の税理士受験校の帰り、阪急電車の棚にあった夕刊フジを拾い読みしたら、そこに参加募集の記事が載っていたのです。

 なぜか出ようと思ったのですが、以前に書いたように、御所1周4キロを走ったのが最長距離でしたから本当に不安でした。1時間30分という何のことはない制限タイムにもびびっていました。

 一生懸命走ってゴール、疲れ果ててオシッコちびったのを覚えています。(情けない!)ところが、いまこのレースの記録証を見るとジャジャジャジャーン!

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 10キロを48分56秒で走ったことになっています。1キロ5分を切っていますから当時の私にしては「は早い、早すぎる!」私の前を歩いたり走ったりしながら、ついには置いていったあのおばさんはどんだけ早いねん!

 タイムは私が書き入れたものです。たぶん、誤記したものだと思います。

  この大会では、各人が大時計を見てタイムを書き入れることになっていました。(しかもスタートは5分ごとに3組に分けて走りました)疲労困憊の余り見間違えたというところだと思います。当時ストップウォッチ付きの時計なんてものは持っていませんでした。

 正確なタイムは今となっては藪の中なのですが、多分10分遅い58分56秒だと思うのです。私は3組だったから、時計のタイムから10分引いて書いた記憶があるのです。

 仮に58分56秒だとしても、練習してない割には上出来です。竹内結子のプレミアムモルツのCMではないですが、「でかした!28年前の私」。

 ここでやる気を出したことが現在に繋がってきています。私の人生のターニングポイントだったとこの齢になって思うのです。

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 現在のゴール風景

(写真は昨年6月6日、千歳JAL国際マラソンの私のゴールシーンです。23キロで肉離れを起こし、耐えて走った4時間2450秒でした。測定用のICチップをシューズにつけて走っています。ゴールラインにはマットが見えますが、この下の測定器(?)にICチップが反応しタイムを計ります)