今日も”LOOKING GOOD!”

いつまでも楽しく色んな所を走り回りたいと願う中年ランナーのお話です。

久しぶりに淀へ

2015-04-28 10:01:03 | スポーツ
4月25日土曜日
 午前中は自宅で留守番。お昼過ぎに妻が帰ってきたので、LSD走に出かけました。
 今日の予定は久しぶりにサイクリングロードを淀まで走って京阪電車で出町柳まで戻って事務所に到着。そのあと、散髪。
 最近、父親の介護と言う問題が生じ、家を空けるということができなくなってしまいました。本来なら、この日から2泊3日の予定で宮城県入りをするはずだったのですが‥
 まあ、しかし、こればかりは避けて通れない道なので、同じするなら楽しくやりましょう。このブログの趣旨とは違うので書きませんが、介護もなかなか面白いですよ。
 この日も暑い日でした。青空ピーカンです。
 1時過ぎに出発です。サイクリングロードをひたすら南下するわけで、面白いことはありません。長いところを走っておかないと、5月16日の”東尋坊愛のマラニック”の完走がおぼつかなくなります。これは近場なので出ときたい。
 松尾橋の左岸を走ってここから橋を渡ってここから右岸。サイクリングロードを走ります。でも、左岸を走ると、わずかな区間だけれどちょっと雰囲気のいいところもあるんですよ。


 200ートルほど緑の回廊が続くんです。(これは翌日26日に撮ったもの)
 この日は本当に好天に恵まれすぎ。帽子をかぶって出なかったので暑いことこの上なしです。とぼとぼキロ7分ぐらいで走っていますから、走りに集中できません。いろんなことを考えます。それでも暑いなあ、しんどいなあと肉体的なコンディションのことを考えだし始めるとそれなりにランニングに集中することになり、スッキリしだします。これがランニングのいいところです。
 西大橋を渡り、再び左岸に。6キロまで来ました。

 この坂を上がった先は八条通。少し東に行き小休止、いつもの自販機で水分補給です。前は90円やったのに消費税が上がったので100円になってた。
 再びサイクリングロードに戻り南下です。
 吉祥院グラウンドまできたら今日はラグビーをやっていました。

 昔、長男と二男が中高でラグビー選手だったのでここによく来ました。孫が小学校でラグビースクールに入っていますから、また来る日もあるのかな?
 京川橋まで来て最近はここを左にばかり行くのですが今日は右に行きます。

 後はゴールまで6キロぐらいかなあ。案外ありません。直線だと短いもんです。すぐ、羽束師橋が見えてきます。

 羽束師橋には案内板がありました。

 後、橋は一つ。左手に淀の競馬場が見えてくるはず。

 しもた、クライアントの宝梱包さんの「寶」の看板をチェックするのを忘れてた!すいません<(_ _)>

 いつ来ても、この競馬場のスタンドを見ると「走ったなあ」という感じがします。でもサイクリングロードとしては16キロぐらいなんです。いつの日か三川合流点を越えて、木津川を遡りたいですね。退屈やろけどね。
 そしてゴールの京阪淀駅です。高架のきれいな駅になっています。


 ここから各停で丹波橋まで行き特急に乗り換えます。”おけいはん”は特急でも大阪まで1時間近くかかるから、もうJRとの勝負は捨ててる感じです。ただ来た特急がトーマス電車。


 これにはびっくりしたなあ。子供は喜ぶよ。
 とにかく、いい練習になりました。これからゴールデンウイークになるので、距離だけは走ることにします。

御室八十八ヶ所霊場から御土居へ

2015-04-21 09:14:19 | スポーツ
 諸般の事情で、更新が遅れました<(_ _)>。
 さらに、雨がよく降るので、最近はあまり写真が撮れていません。ということで、今回は3月28日(土)に走ったときの話です。
 この前日,NHKの「ブラタモリ」で京都完全版をしていました。琵琶湖疏水、御土居、新京極を取り上げていたのですが、知らないことって地元にいながら結構あります。あることは知っていても御土居って案外行ってないなあ。
 この日は。行ってみましょう御土居へ、タモリの足跡を辿って‥。
 御土居は豊臣秀吉が京都を囲むように築いた土塁で、洛中と洛外を分けるために築いたと言われています。(諸説あります)中世のヨーロッパも防御のため城壁都市を作りましたから、御土居もそうだったのでしょう。秀吉亡き後、土居は崩れていき、現在、痕跡が残っている程度です。
 11時過ぎに自宅をスタートです。一条通にでて、京都マラソンのコースを走ります。ブラタモリに写っていた目指す御土居は鷹峰にあります。(もちろん洛中を取り囲むように遺跡は点在しているのですが)このまま、金閣寺から千本北大路に行き鷹峰街道を北上してもいいんですが、それでは面白くないですやん。仁和寺の裏手にある御室八十八ヶ所霊場を途中まで行って、そこから原谷を経由して玄琢から鷹峰街道を下ることにしました。
 御室八十八ヶ所霊場は「文政10年(1827)に、本四国(四国八十八ヶ所)への巡拝が困難であった為、時の仁和寺29世門跡済仁法親王の御本願により四国八十八ヶ所霊場のお砂を持ち帰り、仁和寺の裏山に埋め、その上にお堂を建てたのが御室八十八ヶ所霊場の始まりです。」とのことです。
 私のランニングコースの一つですが、結構きつくて正直あまりやりたくないです。でも今日は途中で抜けるんやから‥。

 これが第一番霊山寺です。この辺りはフラットですがだんだんきつくなってきます。

 木漏れ日が差し、感じのいい日です。この辺りから先行する参拝客を追い越しだしますが、結構しんどい。汗がしたたり落ちてきます。

 何やようわかりませんがとりあえず上ったり下ったりしながら走るというようなスピードではなく進んでいきます。

 ここで36番青龍寺ですか。まだまだ上ります。でもなんかこの辺りで上りは終了やったんと違うかなあ。43番まで来るとちょっと横手に逸れてみます。愛宕山がよく見えるところがあるのです。ハイカーがお弁当を食べていました。よう考えるともう半分来ています。あとは下りやから、もうやり切ったも同然みたい。

 さらに行くと236m成就山山頂の標識があるお堂に出ました。62番宝寿寺?ここが頂上やったんかなあ。何か下っているような感じがしてるんやけど。

 さらに下って、65番三角寺のとこからちょこちょこっと抜けて原谷への道に出ます。

 これで終了です。後は原谷を抜け、千束から玄琢の急坂を上ります。この辺りには紙屋川が流れていて天然の土塁になっていたとブラタモリで言ってましたね。
 玄琢から鷹峰街道を下るとテレビでも写ってたお醤油屋さんです。


 いい匂いです。観光に来てたら買うところですが、今日は身軽なランニング姿なのでパスです。さらに下ると、ありました目指す鷹峰旧土井町の御土居です。


  テレビでは特別に入らせてもらっていましたが、私は一般人、もちろん入れません。こんもりした森みたいですね。この御土居の向かいにはおいど餅ならぬ御土居餅のお店がありました。

 ここももちろんテレビでも映ってました。このあともう一つの御土居へ。テレビとは反対側から行きます。

 タモリさんこんな階段上がってたでしょ。

 ここの御土居はほんと、鬱蒼としています。ぐるっと回って玄琢下の正面に行きました。


 こんな感じ。短期間で凄いもんを築いたものです。時の権力者の力を見た思いがしました。今日はいい観光が出来た。せっかく京都に住んでいるんやから、この調子で、御土居遺跡全制覇してやろうと思いました。
 この後、私のクライアントであり妻の友人でもある森下泰子さんのアトリエ、”BLUEMOON&CONG”という手織り工房で発表会があったので、ご挨拶に伺いました。このアトリエは小山元町(北山通衣棚上る)にあるので、玄琢下からだと走ってすぐです。

 凄い大作が迎えてくれました。糸を染めるところから始めたそうです。森下さんの写りがイマイチだったのですが載せちゃお。もっと素敵な方です。

 「どうぞ上がってください」と言っていただいたのですが、汗だくなので遠慮して、玄関で失礼しました。このあと、事務所まで走り、この日のRUNは終了、有意義な一日でした。

横浜マラソン2015 その5

2015-04-12 11:05:09 | スポーツ
 横浜マラソンも”その4”で終わりにしようとしていたのですが、ビッグニュースが入ってきたので、もうちょっと書くことにしました。
 ビッグニュースというのは、公認申請をしようと検定したところ、フルで186.2M、10キロで94.1M短かったというものです。
 フルの方は高速道路の計測が当日までできなかったということで、わからなかった部分も無きにしも非ずなのですが、ずっと市街部分を走る10キロも違っていたとはびっくりです。公認記録をほしかった人はさぞかし残念なことでしょう。
 私に関して言えば、未公認の大会に山ほどで出ていますし、それを含めてのフル100回完走ですから、「あっ、そう」ぐらいです。高低差が半端なくあったり、河川敷を行ったり来たりなどいろんなコースがありますから、概ねフルの距離を走ったらそれでええやん。ただ公認を得ることを「当日計測で何とかなるやろ」ぐらいに考えていた事務局は怠慢の誹りを免れませんね。

(これ高速部分の写真を再掲しています)
 問題にすべきと思うのはそのことよりも、参加方法と参加費用の問題です。まず、1万5千円という「100キロマラソンなの?」と思うような高額な参加料です。
 大会運営に関しては、コースの半分が高速道路の上下を走らすので観客の応援がないといった問題はあるにせよ、第1回にしては十分すぎるぐらいの組織だった運営ができていました。これは◎。
 しかし、私が参加した大阪・京都といった一般の都市型マラソンに比べてそんなに変わらないのも事実です。これらのマラソンに比べて4千円は高い。それこそ首都高を止めるための費用だったとすると、これは本末転倒でしょう。危惧するのは1万5千円という新たな基準ができて、参加費用が高騰することです。
 ここまで、高額な参加費用にするのなら、今回の計測ミスについては、ネット上で謝罪文を掲げるだけではなく、参加者に直接文書でするべきではないでしょうか。
 次にエントリーをしたときの問題です。ローソンをスポンサーにしたためか、PONTAカードをまず作らされ、これを作らないとエントリーできませんでした。こんなのは初めてのことです。PONTAカードの会員増強のためこんな手段をとったのでしょうが、今後、ほかのコンビニはマネしないでほしいものです。
 もう横浜マラソンに参加の予定はないですが、市内のランは楽しかっただけに今後の改善を望みたいと思います。

(表彰式の風景です)

(4時間30分のペースランナーのゴールです)

(私が撮ったゴール写真です)

横浜マラソン2015 その4

2015-04-02 09:14:56 | スポーツ
 マラソンから2週間も経つと、忘れていることもあります。
 35キロポイントは横浜港シンボルタワー前を折り返してからなのに、折り返す前だと思っていました。プログラムで思い違いであると確認。

 ということで、この折り返し地点の写真は”その3”に載せるべき写真でした。<(_ _)>
 記憶がどんどんどんどんエエ加減になるので、間を詰めて”その4”です。
 35キロを過ぎると本当に暑くなってきました。首都高の降り口まで戻り、山下公園の真ん中あたりが40キロになります。応援も増えてきたので、とにかく頑張って走ります
 遡って、私が首都高を降りた頃、妻と伏見実代子さんは中華街の散歩をしてその流れで山下橋に移動、歩道橋からマラソンを眺めていたそうです。



 ここらあたりで走っている人は、ゴールで3時間30分ぐらいの人でしょうか。結構速かったと言っていました。昔はこの辺で走ってたんやけど‥
 第16給水所(37.1キロ)まで来て、水を飲もうとしたとき、隣に有名人がいる
 ラッスンゴレライ
 8.6秒バズーカ?(っていうコンビなんですよ)
 もちろんそんなわけない。仮装なんやけどクオリティーが高い片一方が太ってて、もう片一方が痩せている。
 思わず「撮らせて撮らせて!」

 しばらく、並走することになるのですが、さすが旬の芸人(の偽物)、沿道から「ラッスンゴレライ!」の声援がひっきりなしにかかります。またそれに応えて「いや、ちょっと待ってちょっと待ってお兄さん。ラッスンゴレライってなんですのん?」ってネタやるんですワ。見事なサービス精神です。ひょっとしたらホンマモンと思っていた人もいたかも。ナイス
 次の給水所(37.9キロ)まで行くと今度はフラダンスのパフォーマンス、フラ好きとしてはこれは撮っておかんと。

 もうあと5キロぐらいですが、暑さが効いてきたのかちょっとへばってきました。後半も快調に走っているとは言えなくなってきました。それでも、「あと何キロ」という表示が減っていくので、何とか気合いが入ります。
 ここで妻から電話です。「ゴールしたとこの右側で待ってるしね」「了解!」

 そして、40キロです。この5キロは31分57秒
 落ち気味ですが、あと2.195キロ。何とか何とか粘らんと。
 抜いたはずの8.6秒バズーカにも抜き返されました。やっぱり、彼ら若いわ。

 赤レンガ倉庫が見えてきて41キロ。もうちょっと。
 ラッスンに抜かれた代わりと言ってはなんですが、16キロでトイレに行ったため、先行を許した被り物白塗り全身白タイツのおっちゃんをこの先でとらえました。(写真がない、残念)シンドイ恰好やけどインパクトはラッスンには勝てへんなあ。
 左折をするとゴールはもうすぐです。

 ここからは必死に走ることもなく気持ちよくゴールです。

(妻が撮ったゴール写真、わかるでしょう?タイムも写っています)
4時間39分42秒(ネットタイム4時間32分40秒)最後の2.195キロは14分32秒。
総合順位は10,581位/21,561人。おっ、半分より前やん!
 トイレ関連を除けると4時間25分ってとこかな。上出来、上出来
 妻から電話です。「ゴールまで戻ってきて」
 ホンマはアカンねんけど、遠くから来ているので堪忍してもろて戻ります。




 おかげでいい写真をたくさん撮って貰えました。ここには、伏見さんのお友達の真由美さんも合流していました。真由美さんはなんでもNHKの大河「竜馬伝」のロケが三浦であったとき、福山さんにお酌をしてもらったという何ともうらやましいエピソードの持ち主です。
 この後、みんなで横浜駅東口まで歩き、横浜スカイビル10階の「すし遊洛」で昼ご飯を食べました。(昔はフルを走った後、食事なんか「とてもとても」だったのですが、今はゆっくり走っているためか、何ぼでも食べられます)
 食後、お二人とはお別れしましたが、そうそう、やっぱり記念写真を撮らんと。

(右から伏見さん、真由美さん、妻です)
 ついでに私も一緒に。

 あれやこれや忙しく動き回り、妻も私も楽しい旅行になりました。伏見さん、2日間、妻と遊んで頂きありがとうございました。