荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「石丸忠兵衛」の墓と石碑

2024年06月23日 | 散文

伊予桜井駅の裏にやって来ました。

駅舎を覗く場所です。

あの木が茂った場所が石丸忠兵衛の墓があった場所です。

中に入れません。入っても何も有りません。数年前に確認済みです。

以前は隣の田圃の畦道を通って一周できたのですが、ご覧のとおりイノシシ避けの柵が設置されています。

反対(駅)側も草が茂って行けません。この後、既出の部落総代から聞いた話によると、もうずっと昔に移転したそうです。跡地だけが保存されています。

墓所を背後に山の麓を見ます。あそこに白く石碑が見えます。

みかん畠の中です。

これが石丸忠兵衛の石碑です。前回の訪問時にはもっと沢山のみかんの木が有りました。切ったのでしょうか?もう畠の雰囲気はありません。野原の風情です。

「開拓 新田 石丸忠兵衛 寛永」の文字がかろうじて読めます。部落総代が言います。「石丸忠兵衛が桜井を拓きました。子孫はこの地に居ません。忠兵衛の墓は何処に有るのか分かりません」

石碑の背後には何も書かれていません。彼が拓いた土地を眺めます。

総代が言います。「背後の山に石丸一族の墓が有ります。今は誰も参っていません。時々この畠の持ち主が草を刈っています」

部落総代が飼っているミツバチの巣です。

「昨日分蜂を見ました。その箱から女王蜂が働き蜂を従えて、あの向こうの巣に引っ越しました。私も初めて見ました」その後、既報の綱敷天満宮の絵馬の話を聞いた次第です。

私は彼の生活を羨み、彼は私の生活を羨みました。幸せって、何処にあるんだろう?

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東京都知事選挙ポスターが異常!

2024年06月23日 | 散文

前回(2020年)報告した東京都知事選挙ポスターの記事にアクセスが多いです。今回も皆さんが注目している選挙です。ただし、その注目対象は掲示板です。

今回はそれ以上の騒ぎになっています。N国党によって立候補者掲示板がジャクされている事がニュースになっています。各所で注意して見ていましたが、全ての掲示板がそうなっている訳ではありません。そんな中、これが近くの公園に有りました。TVニュース等で見たのとは掲示内容が違います。色々な種類のポスターがあるようです。女性のヌードも有るとか? 

このポスターは赤ちゃんが怒っています。「わたしたちの未来をどうしてくれるのか!!」と。内容は真っ当な、選挙のたびに選挙管理事務所が苦心している「投票促進」です。でもね、批判を避ける為に作ったポスターのように思えます。こうやって、硬軟織り交ぜる戦略でしょうか?掲示責任者は立花孝志氏です。

彼は選挙掲示板を第3者に売って商売にすると明言しています。儲かるらしいです。法に触れないそうです。その発想力と企画力は抜群です。

でもね、その才能が残念に思えます。その才能を金儲けでなくて、本当の政治家らしい方向で発揮すれば、多くの人に支持されるのになあ・・・。

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伊予桜井駅

2024年06月23日 | 散文

田舎には不釣り合いの広い道路です。左右に日通や西濃運輸のトラックが横付けされていました。中学生の頃の話です。貨物の中継店や商店や精米所や床屋が在りました。漆器製造・販売の在る浜桜井地区に対する流通の中心地だった、郷桜井です。

昔は沢山の自転車預り店が在りましたが、モータリゼーションによって自家用車が増えると駅を利用する人が減りました。今はこの1軒だけです。

突き当りは「JR伊予桜井駅」です。

多くの高校生は駅前に路駐しています。違法ではなく、駐輪場になっています。駐輪しているのは、地元今治東高の、ここから電車で帰った生徒たちか、地元以外の高校に行っている、これから電車を降りて自宅に帰る地元の生徒です。

「綱敷天満宮」最寄り駅です。

予讃線の終着駅だった時期もあります。国分寺・国分尼寺等も在って、国府の中でも「府中」と呼ばれた政治・商業・文化の中心地でした。

駅舎です。

今年は「予讃線 伊予西条駅⇔今治駅開通100周年」らしいです。

駅舎に入ります。

そこには地元今治東高生の研究成果が展示されていました。曰く「今治市に国府が置かれた理由は古墳が教えてくれた!」です。

要約すると、松山より狭く人口も少ないのに今治に国府が置かれていた理由は?

今治は数本の河川があり潮待ち・風待ちの津でした。古墳は墓だけでなく、津の位置を示す目印でした。

「白村江の戦い」に敗れたヤマト政権は朝鮮半島からの鉄の輸入先を近江に求め製鉄を独自に始めました。砂鉄が採れる今治でも製鉄が始められました。

まとめ:「鉄資源の獲得を初め、渡来人を介した技術導入の必要性から、瀬戸内海の安全航路は最重要課題であった。最大の難所である来島海峡に面し、多数の川が形成する今治の津は、絶好の潮待ち・風待ちの場所となり、古墳は安全な航路を導く目印の役目も果たした。更に島嶼部では盛んに塩も生産されたことから、ヤマト政権は今治を重要視した。

その証が前方後円墳の造成や三角縁神獣などの副葬、遺跡での銅剣出土である。加えて、白村江の戦いの敗戦は国内製鉄の必要をもたらし、浜砂鉄に恵まれたこの地が官製製鉄を行う場所に選ばれた。以上が今治に国府が置かれた理由である。」

その他、「古代の桜井」や「250年の歴史を持つ桜井漆器」の説明も在ります。勉強になりました。今治東高の皆さんありがとうございました。

ホームに出ます。向こうは2番線ホームです。背景の緑が濃いです。

陸橋で渡ります。今治まで2駅、280円です。

その線路の左手に、白い看板が有ります。

久し振りに行ってみます。界隈は歴史の宝庫です。

コメント (2)
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