ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

古道連協1月定例会

2018-01-27 23:18:15 | 日記
 昨日の大手建設会社のツアーが終わったばかりの今日、古道連協の定例会が午後1時30分から行われることになっている。

 このところ高大に行く日以外は7時30分に目覚し時計をセットしているが、昨日寝るのがいつもより1時間程遅かったので目覚しは鳴ったもののそのままうとうとしてボタンを切ったまま1時間ばかり寝てしまい遅がけの朝食となったので菓子パンと牛乳、トマトにソーセージと簡単に済ませた。

 その後はいつものようにメールとカレンダーのチェックをした後、MSNニュースやYouTubeを見ることとなる。

 一時は北朝鮮とアメリカの間でドンパチが起きるかもと言った緊張感もあったが、アメリカと北朝鮮が秘かに会談をしていたようであるが、北朝鮮で内部崩壊の兆しがあるようなのでアメリカも放っておいても北の体制が崩壊すると見て手を出さないのだろうと言うことの様である。

 なにぶん、北は金一族が支配できる体制であれば国民の生命財産などはどうでもいいと言うところであろう。

 最近、国連の安全保障会議で北との貿易、特に石油を輸出していた中国が表向きは手を引いているが公海上でタンカーを横付けにして石油の受け渡しをしていると思われるところを海上自衛隊のP3C哨戒機に捕捉されているぐらい切羽詰った状態にあり、脱北者の証言や木造の小舟が日本海に漂流している状態からもその困窮の度合いが推し量れるというものである。

 また実際に北朝鮮国内でも暗殺の動きが見られるとか、上層部と一般民衆の間に不穏な空気があり、内部崩壊の前兆が見られるという。

 ところで昼食はこのところ近くの牛めし屋さんで続け様にお世話になっていて、今日も牛丼の並を食べてから地下鉄駅へと向かう。

 路線を乗り継いで定例会や勉強会の時に使わせて貰っている施設の部屋に入ったのは定刻30分前の午後1時だったが、部屋の明かりが点いている。

 大抵私が1番乗りになることが多いが今日は既に誰か来ているようで中に入るとYさんがいてカップラーメンを食べている最中であった。

 「今日は朝から出かけて家に帰る時間もなかったのでカップラーメンを買ってきてお湯を沸かして食べています」と言うことだった。

 いつぞや私が同じことをしていたので同じようにしたと言うことの様である。

 ここは水回りや冷蔵庫もあるし、ポットも使用できるのでコーヒーやお茶を入れるのにも持って来いである。

 しばらく二人で話している時にS事務局長もやって来たが、やはり気になるのは2月初めに入院して手術をするので、入院前の定例会ということで入院している間は上手く会が運営できるかどうか、心配だろうことはよく分かる。

 今日はメンバーも参加できない人が多く、4名+アルファだということで主要なメンバーであるMさんが抜けるのは大きな痛手である。

 S事務局長に少なくとも今年度は定例会や勉強会に出席できず、場合によっては来年度にも影響するかもしれないということを伝えているようである。

 そうなると今後の会の運営にも大きく影響することになるから事務局長も心配なのである。
 
 Yyさんに続いて重鎮のTさんもやって来たので早速定例会が始まった。

 最初に昨日の大手建設会社のツアーが無事に終わったことでお互いの慰労の言葉があった後、簡単な報告が行われる。

 当日はツアーの途中に雪も降って来て風もあり寒い中を頑張って案内したものである。

 問題は後半の来年度企画のツアーに付いての話合いに重点が置かれる。

 来年度の企画と言うのは『東海道五十三次膝栗毛』、つまり弥次さん喜多さんが歩いた中で当地区を歩き回った場所を辿るツアーの企画についてである。

 当地に着いてからあちこち広範囲に歩き回っている訳だが、当初は講話を誰にして貰うか何人かの候補を当たったが、講談師や落語家はそんなに名が売れている人でなくても結構な金額を払わなければならないのでプロはダメと言うことになった。

 そこで昔の風俗などを研究されている人の候補を上げて当たったところ以前も別の件でお世話になったことがある郷土史の研究をしている人に了解を貰ったということでその人に決まった。

 で、その方の都合のいい土曜日にということになったが会場の都合で当初思っていた会場が取れずにその南隣区の区民センターに決まった。

 問題は講話の後3回に分けて弥次喜多が歩き回った場所を歩くツアーだが歩き回った道順に行くとかなりあちこちと広範囲になるので地域を分けて3回シリーズに分けて歩くことが決まった。

 ということで講演会が1回とツアーが3回の計4回に分けて行なうことが決まった訳である。

 そこで実際に歩いたルートを捜しながらの下見となるが、肝心のS事務局長は2月早々に入院となるので今日の参加者のうちYさんとYyさん、それに私の3人で2月に入ってから場所を確認をしながらの1回目の下見歩きをすることになった。

 2回目、3回目のルートも2月の20日過ぎまでに一緒に歩くことに決まった。

 というのも地域の広報紙に載せて貰う関係上、締め切りに間に合わそうと思えば3つのルートをハッキリさせる必要があるためゆっくりしておれない訳である。

 ということで日程を決めてから解散となり、自宅へ帰る時に、北方面のスーパーへ寄ることにしたので地下鉄とバスを乗り継いで行く。

 スーパーに到着して昨日もなかった魚があるかと鮮魚コーナーを見たが今日もなかったので別の魚ということでハマチを買うことにした。

 他の品薄のものも買って自宅へと戻って来て夕食作りとなる。


 
 

大手建設会社ツアー本番当日(1/26の日記)

2018-01-27 00:06:42 | 日記
 今日はまた一段と寒さが増した一日であった。

 いよいよ今日が今年度最後となるツアーとなるが、その本番がやって来た。

 事前の天気予報では雨の確率が午後から40%になっていると言うことで、建設会社の方からもしも雨が降ったならばツアーの方は取り止めて講演の時間を30分から1時間に変更して講演主体にして欲しいとの要望が出されたというメールが入って来た。

 その際には当日、ガイドを担当する人にも協力をお願いするかもしれないとのことであったが、急にそんな依頼があったとしても簡単に受けられる問題ではない。

 午前中はいつものように過ごした後、先週リハーサルで訪問した時と同じ時間と場所で集合し、大手建設会社の担当者がエレベーターホールに迎えに来てくれたので一緒に会場がある階でおり、会場の大きな広間へと入って行く。

 講演会は1時30分からなのでまだ受講者たちはチラホラと生きている状態だったが、我々メンバーはスクリーンの両脇に分かれて4人づつ座る。私達4人が座った長机とは反対側にパソコンをセットし、プロジェクターでスクリーンに写し出すことになる。

 講演時刻がやって来て先ず担当者からの挨拶があり、私達の会を紹介して貰った後、講演者のS事務局長の紹介があり、あいさつの後、いよいよ講演が始まった。

 内容は先週のリハーサルでも紹介したように当地域の成り立ちで、マントルの活動により隆起した部分が山脈や台地となったこと、その後の温暖化や冷却化を繰り返し、縄文海進により海面が上がって波蝕による崖の浸食により崖が後退して現在のようになったこと、また二つの河川により砂礫が堆積したことなどを話していく。

 2時前に講話が終わり、各班のガイドの紹介があって先ず私が起立し、順次5班までのガイドが紹介された。

 時間差を設けて出発することになるのでスタート地点までは地下鉄を乗り継いで移動し、出発地点最寄りの地下鉄駅を上がって5分程歩いた公園でスタートすることになる。

 1班の人達は私達1班のスタッフと共に地下鉄の電車に乗ってスタート地点にやって来たが、2班以降の人は次の電車か、その次の電車で時間を空けてスタートすることになっている。

 スタート地点の公園で準備をして早速スタートしたのは午後2時30分である。

 台地の上になるので余計冷たい風が強く吹いている中、公園を横切り西端の断崖までやって来て最初のポイントが明治時代に富士山の形をした展望台が作られていたという場所である。

 そしてその南側には煙突状の突起したものが地面から突き出ている状態でこれは何かと言うその答えは弾劾を降りて行った先にその面影を残しているが、陸軍が使っていた防空壕で、煙突状のものは空気抜きでいくつもあったが、今はその1つだけ残すのみである。

 更に階段を下りて行くと南北の広い道路に出るが、弾劾の上と下の段差が10m以上あるが、縄文海進による波蝕によってここまで崖が後退したということで2万年前に隆起した断層はずっと西の方にあるということである。

 その南北の広い道に沿って南へと下って行くが、その道沿いにはずっと寺が並んでいる地域でいわゆる寺町となっている。

 その寺々には色々いわくのある寺もあるが今日は通常は2時間コースだが、大手建設会社の意向で75分間でゴールしなきゃいけないのでポイントで説明する時間は余りなく歩くだけでも1時間近くかかる道のりである。

 一旦下の道まで降りたが、今度は小説にも出て来る坂道を上がることになる。

 ちょっと趣がある坂道だが、天気のいい時などは絵を描いたり、写真に収めたりしている人も見受けられる坂道である。

 登り切った左側に松尾芭蕉の供養碑がある寺がある。

 そして少し東に行って直ぐに南の方へと曲がると江戸時代の天文学者が葬られている寺があり、その先をずっといくと市内で最も古い桃山時代の木造建築の多宝塔がある寺の前を通りまた坂道に差し掛かる。

 この坂を下る途中の左側に江戸時代3大料理店のひとつであった有名な料理店があったという場所に写真や絵図もある説明板がかかっているが、この高台にある料理店から見る景色は格別であったという。

 その坂道を降りた辺りにはキレイな水がアチコチから湧き出ていたとみえ名水の名前が書かれたところだけでも何カ所かある。

 いわゆる東の方にある遠くにある山地からの水が地下水脈を通って伏流水としてこの断崖付近で湧出している訳で、地下鉄が通る以前はそれこそ断崖のあちこちからキレイな水が出たと言うことである。

 その料理店の南側とこの後行く寺との間にもその寺の名がついた坂道になっているが、今日はその寺の奥の方に当市ないで滝行ができる神聖な場所を見学することになっている。

 時たま実際に滝行をしている人がおられるが、このところすごく気温も下がり水の温度もかなり低いと思われるが、今日私の班のサポーターとして入ってくれているTさんは今日の本番に備えて昨日初めて下見を一緒にして貰ったとのことだったが、昨日は修行している女性の人がいて滝に打たれていたと言うことである。

 歩いている途中で雪が降って来だした。

 午後から降雨確率が40%だと言うことだったが、高空ではかなり冷えて雨が雪に変わったのであろうが、ヒラヒラしている雪だから積もることはない雪である。

 その滝行をする所に入る時に帽子をかぶっている人は私だけだったので脱帽するとともに一礼して中に入ったが、皆さんにも神聖な場所だから一礼して入るように言って中に入って行く。

 そんなに広い場所ではないが崖の途中から3つの樋に導かれて水が落ちている場所へとやって来た。

 しばらくして直ぐに外へ出たが、この寺には舞台があって昔は遠くまで見通せたが今は舞台も簡略化され数本のコンクリート柱の上が舞台になっている。

 今日は時間もないので舞台に上がらず寺を出て、南に少し下がってから、最初に坂を下りた広い道まで出た。

 その時は南に下る途中でまた坂を上ったが、そのまま上がらずに広い道をずっと南に下がって来ればこの同じ場所へやって来ることになる。
 
 広い道の横断歩道を反対側にある西の歩道へ渡り、そのまま南へと下って行くと、広い道の交差点にやってくる。

 歩行者はそこから南へ渡る横断歩道はなく、陸橋を上がらないと南の方へはいけないが、その東西の通りは名前が付いた最南の坂となる。

 今は車が多く通る坂道だが、昔はずっと狭い坂道で以前は市電を通すために広くし、坂の勾配も少なくしたということである。

 牛馬車などが行き交っていた時代は坂も急なので坂道を上がるために大変苦労をしたと言うことである。

 陸橋を渡り切って更に南の方へ歩いて行くが、この先は許可のある車だけは通行できるが、一般車は通れないということである。

 我々歩行者はそのまま歩いて行くとしばらく行くと一体は財閥の屋敷があった場所で転宅の時にこの辺りの土地や庭園などを当市に寄贈したと言うことで今は市民の憩いの場所となっている。

 と言うことでここが今日のゴールだが、建設会社の付添いの女性が記念の集合写真を撮るということで辞退したが一緒に入ってくれと言うことで一緒に入る。

 そこで解散となり2班以降の班が来るまで待つことになるが、今日のサポーターのTさんは月命日でお寺さんが来るので先に帰らせて貰うということで別れ、私一人で後続の班を待つことになった。

 2班から4班までの大体出発時の時間差ぐらいの間隔でやって来たがさいごの5班だけ結構遅くなっている。

 大分してからやって来たが、最後までずっと話し込んでいるようで同じ会の同僚の話しではあの人は話しだしたら長いと言っていた通りである。

 5班が解散した後、スタッフが揃って反省会をすることになり地下の喫茶店に行く。

 今日の状況を話し合ったが、明日また定例会があるということでそんなに長くは話さず5時になったので解散となった。

 そこから地下鉄駅は直ぐあるので自宅方面の路線があるホームまで地下道を歩いて電車に乗り自宅へ帰って来てしばしコーヒーを飲んでくつろいだ後、区民センターダンスの準備をして出かけることになる。

 区民センターに到着して順次メンバーも集まって来たが、今日は寒いと言うこともあって人数も少ない感じである。

 今回のシリーズでは余り足の難しいことはせずにベーシックをキッチリ出来るようにし、その応用でちょっと難しい足もするということである。

 前半はワルツで後半はチャチャチャだが、特にワルツでの動きの中で応用した動きは最初目新しい足だったが、段々何とかなるようになり、先ずはクリアー出来たのでひと安心である。

 ラテンのチャチャチャは動きが早いだけに動きのポイントを掴んで素早く身体が動くように体重を乗せたり反対に移動したりが的確に出来ることが大切であるが、中々早い動きの中でそれをこなすには身体づくりも大切になって来る。