ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

平成30年正月3日目

2018-01-03 21:43:50 | 日記
 正月前に天気予報で正月3日間は寒波が日本列島を覆うとの予報通り今日も冷たい寒気が充満している。

 子供の頃、正月3日間は何もしないこと言われたように今日まではいわゆる「喰っちゃ寝」の体制を堅持してきた。

 しかもあまり強くないアルコール(と言っても日本酒なら1合、ビールなら350ml)なのだが朝・昼・晩と飲んできたが明日からは晩酌だけに戻す予定である。

 この3日間は同じように過ごしてきたので取り立てて記述することもないが、今日の午後といっても夕方近くにいつもの北方面のスーパーへ買い物に出かける予定である。

 というのも3日間は正月用のお節とまでは言えないが正月用の食料を少しだけど購入していたのでそれで賄っていたが、それらもほぼ消費したので明日からは通常のものに戻す予定にしているから品薄のものを買い出しにでかけるのである。

 ということでそれまでの間は自宅にずっと籠った状態であることは言うまでもない。

 することと言えば、いつもの様にパソコンの前に座ってのゲームやネットサーフィンだが、見るのは殆んどMSNニュースやYouTubeと決まっているのでサーフィンとまでは言えないかも知れないが、それでも色んなサイトにアクセスしているのでやっぱりサーフィンでいいのかな…。

 同じYouTubeであってもその人によって見る内容が違って色々だろうけど、私の場合は矢張り何と言っても今後日本がどういう方向に進もうとしているのかと言うことが一番の気がかりなのでどうしても政治・経済・安全保障が中心ということになってしまう。

 その場合に過去の日本の歴史とのつながり、世界の歴史との関わりがどうだったかと言うことが重要である。

 学生時代に習った歴史は近世まではある程度時間をかけて習って来たが、先生によって多少違うかもしれないが近代、現代はサラッと通してハイ終わりと言う感じだったのではないだろうか。

 大学では専門分野によっては詳しく学ぶことになるが、それ以外のところでは殆んど高校までに習った状態で止まっている訳である。

 何故習わなかったのか、というより教えなかったのか、ということになるとそういう教育方針であったからであると今ではハッキリしている。

 終戦後、アメリカがポツダム宣言を受け入れた日本に進駐して来た時、無条件降伏ではなく9つの条件を受け入れた降伏であったにも拘らず、日本軍の武装解除がなされて武器を取り上げてしまった後、占領政策は一貫して2度と日本が立ち上がれなくすることが目的であった。 

 その為に戦勝国側にとって不都合なことは頬かぶりして、日本に無理難題をゴリ押しした訳である。

 すなわち国際条約上認められていないことをアメリカは強引に日本に押し付けて来たといことである。

 貨幣についてもアメリカの軍票で支配しようとしたが、これは頑として受け付けなかった当時の大臣が男だったからだが、今の政治家に多くいるへなちょこ大臣だったら押し切られていた可能性がある。

 教育についても気骨ある教育者を排除して左翼思想を植え付けた今のシバキ隊みたいな連中を優先的に教育者にして行った訳である。

 そして日本が戦争を起こしたのは中国や東南アジアを支配して利益を得ようと始めた戦争であることを植え付ける教育をずっとして来た訳である。

 だから戦前は軍国教育で戦争をする為の教育をしてきたが、これからはアメリカが守ってやるから軍備は必要ないと最悪の憲法を押し付けて来た訳である。

 これも国際条約では違法で他国が憲法を押し付けることは出来ないことである。

 日本人にとっては初めての負け戦であったがために、何をどうしたらいいのか分からずいいようにされっぱなし状態で気骨ある人物が政治家にはいなかったということになる。

 だから戦後70年にもなるのに歴代の政権をになって来た自民党にはロクな人物しかいなかったということになるが、それも左翼を優先して採用してきたGHQに大きな非がある訳である。

 後になって解雇されたマッカーサーが上院議会で述べているが「日本は自衛の戦争をしたのであって、悪いのはアメリカである」とハッキリ言っているのも頷けるし、元々戦争に引き入れるためにハルノートを出して「中国満州や朝鮮から撤退してスタート地点に戻れ」というとんでもない条件を出して日本が戦争を始めるように持って行ったのはアメリカのルーズベルト大統領で今現在アメリカでも当時の公文書をもとに調査した内容が話題になっている。

 アメリカでは歴代大統領の人気でトップだそうだがそれは戦後アメリカを世界一の大国に導いた大統領だということからだが、もしここでルーズベルトが日本を戦争に引き入れた張本人だと分かったらアメリカ人はどういう反応を示すだろうか。

 つまり第1次大戦以降も、というより第2次世界大戦前まで世界中の殆んどの国は白人による植民地で、アジアで植民地にならなかったのは日本・タイ・トルコの3国だけで他は中国が欧州国により各地を蚕食されている状態だが、他は完全な植民地であった。

 日本が戦ったのはこれらアジアの植民地を開放するためでもあり大東亜共栄圏を作る目的があったが、これは日本の植民地にしようとしてではなく共に栄えて行こうというものであったのでこの戦争のことを「大東亜戦争」と言っていた。

 戦後はこの言葉もアメリカ軍は「太平洋戦争」と検閲で言い直すようにし、この言葉が侵略戦争であったかのような印象を持たせるようにしている。

 言いたいことは山ほどあるが後々折に触れてこういった問題を指摘して行きたいと思う。

 つまりは、日本人には日本と言う国が素晴らしい国だったと言うことと、今後も良い国でありたいし、いい国に生まれてよかったと思って欲しい。

 そして、そのためにも日本と言う国を誇りに思ってほしいのである。

 日記に戻るが、夕方に近い午後4時30分頃に北方面のスーパーへと出かけたが、夕方近くなのでグッと空気は冷えている。

 20分程かかって店にやって来たが、正月も3日ということで買い物客も左程多くなかったが、これはと言うものはないが普段に使う野菜をいくつか買うことになる。

 まだあると思っていた人参がなくなっていたし、ピーマンもないし、リンゴもなかったので買う。

 大根ももうすぐなくなるので買っておこうなどとアチコチ見ながら品薄のものを選んで買い物カゴに入れる。

 帰りは道も暗くなって来て自宅に辿り着いた頃にはかなり暗くなっていた。

 それと帰り路ティッシュが無くなっていることに気が付いたので一旦自宅に買物袋を置いてから近くにドラッグ店へ買いに行き、戻って夕食の準備に入る。