ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

当区ガイドの会の勉強でリレーウォークに参加

2013-04-06 20:10:52 | 日記
 今日は他の市で行なわれているリレーウォークに当区ガイドの会の勉強会として参加することになっているが、費用もかかるし、その人の都合もあるので参加は自由である。

 当プリフェクチャーの最も南に位置する市で江戸時代には大名が参勤交代で通った古道の沿道を中心にした地域を回るウォークに参加したのである。

 朝も早いうちは天候の方も特に問題はなかったが、所によっては午後から荒れ模様になるとのことである。

 現地は昔こそ温泉もあった宿場町(村?)だったと言うことだが今は枯れたのか、その面影は古いコンクリート橋に刻された「○○温泉橋」という名が残るのみである。

 当区からはずっと南に位置して、峠を境に他県と境を接する手前の集落である。

 その集落のある手前の駅に分までに来るように集合する必要がある。

 その場所は都会と違ってコンビニもないということで昼食は各々自分で持参することになっているので、昨夕、スーパーでオニギリを個とml入りのお茶を購入しておいた。

 朝方自宅を出る最寄りのJR駅分発の普通列車に乗って途中で快速が止まる駅で乗り継ぎ、後は一本道である。

 到着したのは分であるが、聞くところによれば同じ列車で乗って来て車両は違ったが元副会長のN氏が降りずにそのまま乗って行ったということだった。

 直ぐ反対方面の列車に乗れればいいが田舎のことだからそれもどのくらいの時間がかかるかよく分からない。

 心配すること分程してN元副会長が現れたのでヤレヤレである。

 到着した駅では雨が降りだしたので雨カッパを着る人が何人もいたが私は今迄雨具と言えば傘しか持ったことがない。

 この市では初めてのガイドの人達と言うことで急拠講習を回やり、つい先日リハーサルをやったところで未だ慣れていなくて、案内するのは初めてだということだった。

 それでもそれなりの人が集まって来ているし、商工会などの地元の団体もサポートしているとのこと。

 集合地点での受付にしても、案内をする代表の人が色々話していたが、この人は慣れた感じなので地元のガイドさんなのかもしれない。

 この人が色々話しているのに横の方でアアじゃコウじゃと喋っているので余り聴こえない。

 この辺りもまだまだだという感じであるが、しかも班~班まで班毎に色分けしたリボンを各班毎に付けて貰ったはいいが同時に出発するから、前の班が説明が終わるまで後ろの班はその間待たなければならいないというチグハグなことが最初から起きている。

 この辺りのセッションが不十分である。

 ようやく動き出して山道に入ったが、この道は途中迄は舗装されているがその先は地道になっている。

 いわゆる古道で江戸時代には参勤交代でこの道を通ったということだが、峠に差し掛かる手前までしか道が繋がってなくて途中が崖崩れで通行不能になっている。

 車が通らないのでワダチが付いていないのでロケにピッタリだと言うと「何のロケ」と近くにいたT女史が口を入れる。

 「そりゃ昔の映画シーンを撮るときだよ」と言う。

 段々坂道も雨に濡れてぬかるんで来だしたが、出来るだけ滑らないだろう所を選んで歩く。

 突き当りの崖崩れの個所まで行って下を覗いて同じ道を引き返していく。

 下に降りて来てから国道を上がって行くが途中に王子社の址があるということでそこでも説明があったが、そこから道路の反対側に渡る時は見通しが効かないのでサポーターがカーブの前と後ろに立って安全を確認してから指示を出す。

 そうやって宿場町にやって来たが、当時は軒程の家だけだったそうだが、そのうち半分は旅籠だったということである。

 今は軒程の家数になっているとのことで昔の風情が残る。

 その街道は市が金を出して観光に力を入れ始めたということで、最近、石畳で舗装されていたが、しばらく行くと立派な元庄屋の家があり、今も子孫の人が暮らしているとか。

 先程王子社の址を見たが、この集落の鎮守である祭神と共にこの神社に合祀されていて写真も参考のために撮ったが、小さな祠である。

 終りの方でこの集落のお寺に入り説明を受けたが、説明が終わった後、全員が「ぜんざい」の振舞いを受ける。

 そしてお土産にということで紅白の小餅をめいめいに渡されたのには恐縮した。

 そしてその上の方にある「ワンパク広場」なる施設で休憩しそこで、少し遅めの昼食と言うことで持って行ったオニギリを出して食べる。

 その後、解散と言うことになったが、元来た道を少し戻り最初に降りた駅からつ目の駅から乗車して自宅へと戻って来た。