自宅からワイナリーまで電車を通す/ヴィラデストへの道

はるかに仰ぎ見る丘の上のワイナリーに心の中で鉄道敷設をする話

ハプスブルグ帝国の人たちはトリエステからイタリアのロンバルディア平原も本当の領地だと思っているのだな

2012-03-03 20:23:28 | 私には分からないことばかりです



きっとそうだと
思うんです



この画像を見ると



アドリア海の

トリエステの
イリー社の珈琲

エスプレッソを発明した
イリー社の紹介の
番組で

ハプスブルグ家

すなわち
オーストリアの

ウィーンの人々にとって

トリエステこそが

海に開いた
港であって

物資の集積地



その名残りと言うか
仕組みはまだあって

ドイツ民族
ウィーンの物資は

まだここに
積まれている



そういうことだと思う



遠くジャパンから

見ているのと違って

現地では

ウィーンドイツの
人々にとって

トリエステ

クロアチア方面は

地球の裏の日本から
思っているより

ずっとずっと
重大な場所なんだ



だから当時

帝国全盛の頃は

あーん

帝国の人々からすると

領地は
今のオーストリア&ハンガリー

だけでなくて

それと同じくらい

北イタリア

フィレンツェ、ミラノ、トリノ

それから


今回の画像では
範囲に入ってないけど

占有目標としては

長靴の太モモの上の位置の
トスカーナあたりまでが

ハプスブルグ帝国の
正式な

まっとうな

領地

という意識だったのだと
思う



イタリア人の方の気持ちは
ともかく

征服者
皇帝一家としては



まあローマ以南は
入らないと
思うんですが

いちばんイイトコ

北イタリア
ロンバルディアは

自分たちの
基盤領土

だったんじゃ
ないかなあ



ついでに
スペインにも
息子を入れて
支配したわけですけど

北イタリアは
本家の分

みたいな



だっから

そのイリー社の
エスプレッソを

トリエステに行って

カフェで味わえば

文化

すぐそこに
ウィーン

だと思うんだ



勉強しないと
分らないもんだ



メデセデ・ベンツや

アフファロメオで

走る
ほんの数時間の
距離なんだなあ

きっと

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