どうも
カフェ・ド・モロッコの
敷地内に
私が何度か出没し
画像を撮って
1分で逃げる
という話が
モロッコの
店主の女性に
伝わって
しまって
◇
でもどうやら
そんなに
おびえなくても
いいんだ
という事が
私にも分かったので
もうそこまでは
プレッシャーはないんだ
◇
でもほんとに
自分を受け入れてくれて
迎えてくれる
店、人、家
があるという事は
本当に幸運なことで
今もこうして
それを考えると
ため息のでるくらい
有難い
幸運なことだと思います
どのくらい
幸運かといえば
サッカーの駒野が
もう一度PK
やり直していいよ
と言われた
くらいだ
そりゃあ
幸運だ
夢にも出ますよね
◇
『みずから親しんで』のこの言葉
はねつけられ
追い返されても
くじけず
私がどうしても
先達のように感じる
ブッダや
偉い方々が
粗末な着物で
托鉢のドアの前に立つとき
私はその姿が
どうしても
脳裏に浮かびます
宮沢賢治の
例の詩のように
でくのぼうと呼ばれ
苦にもされず
そのように
扱われても
くじけず
ドアの前に立つ
◇
そんなことが
出来るだろうか
実際
そんな扱いを
されても
何事もなく笑って
ドアの前に‥
あああああ
やめよう
帰る
ジツハ
そのドアの前に
行かなきゃならない
心当たりが
数個あるんだ
でも無理
帰ります
◇
そもそも
この言葉
『自ら親しんで』って
どこで最初に読んだか
それやったの一体誰だったか
誰かいたはずだと
ウンウン考えて
思い出して見ましたら
分かりました
分かりました
ああそうだ
その人いました
思い出しました
中国の
昔
後漢の時代の
将軍 馬援が
少年時代に
2年下の
秀才『朱勃』が
詩や論語などを
スラスラ暗読し
若くして
県令の地位についた
超エリート
キャリア官僚
自分はそのとき
やっと勉学を始めたばかり
激しいショックを
受けたその時
父親代わりの長兄が慰めて
『朱勃は器が小さいから
早く仕上がるが知恵はあれで止まり
将来はお前に教えを請うように
なるだろう』と
そしてやがて
馬援が後漢の大将軍になって
名声に包まれた時
朱勃の地位は
県令のままだった
と
県令って
日本でいうところの
郡の長で
それ地方の市長ぐらい?
それで馬援は
朱勃をあからさまに馬鹿にして
いたが
そう!
ここであの言葉が出たんだ!
『しかし朱勃は自ら親しんで』
馬援のドアの前に立ち
つきあった
親しさを失わなかった
と
それで
後年馬援が無実の罪で
弾劾された時
敢然と上奏して
彼をかばったのは
朱勃一人である
と
◇
そうでした
この話で
私はこの言葉が
頭にのこったのでした
どの業界にもある
美しい話
でもどうも
馬援にはその気持ちが
伝わらなかった怖れもあり
どうかなあ
馬援も特異な
性質だったという話もあり
どんなところだったんでしょう?
分かりません
どんなあたたかい心も
高潔な意思も
その思う人に
かならず届くという訳ではなく
宙に消え
地に悲しく突き刺さる
こともあり
はてさて
このケースは
◇
でもその困った君の馬援
金髪の美青年だったそうですよ
目も眉も
くっきりパッチリで
そうそう
三国時代の同族
馬超もハーフで
『目は流れる星のよう』
なんて『正史』に
記載されてるからなあ
馬援はハーフじゃなくて
100パーだから
目もきっとブルーで
おお
それじゃ
お釈迦様
ブッダと一緒ですね
はい
◇