自宅からワイナリーまで電車を通す/ヴィラデストへの道

はるかに仰ぎ見る丘の上のワイナリーに心の中で鉄道敷設をする話

自ら親しんで◇

2010-07-01 21:20:08 | 大・中・小・豆


どうも

カフェ・ド・モロッコの
敷地内に

私が何度か出没し

画像を撮って
1分で逃げる

という話が

モロッコの
店主の女性に

伝わって

しまって



でもどうやら

そんなに
おびえなくても

いいんだ

という事が
私にも分かったので

もうそこまでは
プレッシャーはないんだ



でもほんとに

自分を受け入れてくれて
迎えてくれる

店、人、家

があるという事は

本当に幸運なことで

今もこうして
それを考えると
ため息のでるくらい
有難い

幸運なことだと思います

どのくらい
幸運かといえば

サッカーの駒野が
もう一度PK
やり直していいよ

と言われた
くらいだ

そりゃあ
幸運だ

夢にも出ますよね



『みずから親しんで』のこの言葉

はねつけられ

追い返されても

くじけず

私がどうしても
先達のように感じる

ブッダや
偉い方々が

粗末な着物で
托鉢のドアの前に立つとき

私はその姿が
どうしても
脳裏に浮かびます

宮沢賢治の
例の詩のように

でくのぼうと呼ばれ

苦にもされず

そのように
扱われても

くじけず

ドアの前に立つ



そんなことが
出来るだろうか
実際

そんな扱いを
されても
何事もなく笑って
ドアの前に‥

あああああ

やめよう

帰る

ジツハ
そのドアの前に
行かなきゃならない
心当たりが
数個あるんだ

でも無理

帰ります



そもそも
この言葉
『自ら親しんで』って

どこで最初に読んだか
それやったの一体誰だったか

誰かいたはずだと

ウンウン考えて
思い出して見ましたら

分かりました

分かりました

ああそうだ

その人いました
思い出しました

中国の


後漢の時代の
将軍 馬援が

少年時代に
2年下の
秀才『朱勃』が

詩や論語などを
スラスラ暗読し

若くして
県令の地位についた

超エリート
キャリア官僚

自分はそのとき
やっと勉学を始めたばかり

激しいショックを
受けたその時
父親代わりの長兄が慰めて

『朱勃は器が小さいから
 早く仕上がるが知恵はあれで止まり
 将来はお前に教えを請うように
 なるだろう』と

そしてやがて
馬援が後漢の大将軍になって
名声に包まれた時

朱勃の地位は
県令のままだった



県令って
日本でいうところの
郡の長で

それ地方の市長ぐらい?

それで馬援は
朱勃をあからさまに馬鹿にして
いたが

そう!

ここであの言葉が出たんだ!

『しかし朱勃は自ら親しんで』

馬援のドアの前に立ち

つきあった

親しさを失わなかった




それで

後年馬援が無実の罪で
弾劾された時

敢然と上奏して
彼をかばったのは
朱勃一人である





そうでした

この話で

私はこの言葉が
頭にのこったのでした

どの業界にもある
美しい話

でもどうも
馬援にはその気持ちが
伝わらなかった怖れもあり

どうかなあ

馬援も特異な
性質だったという話もあり

どんなところだったんでしょう?

分かりません

どんなあたたかい心も
高潔な意思も

その思う人に
かならず届くという訳ではなく

宙に消え
地に悲しく突き刺さる

こともあり

はてさて
このケースは



でもその困った君の馬援

金髪の美青年だったそうですよ

目も眉も
くっきりパッチリで

そうそう
三国時代の同族
馬超もハーフで

『目は流れる星のよう』

なんて『正史』に
記載されてるからなあ

馬援はハーフじゃなくて
100パーだから

目もきっとブルーで

おお

それじゃ
お釈迦様
ブッダと一緒ですね

はい

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