日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

心配性と心配しない性。

2015-03-26 16:52:28 | 発達応援
 暖房器具を一切使わなくてもよいお日柄です。
猫も丸くはならず、適度にのびています。
日なたが好きな猫は、日なたで寝ているし、
カーテンの隙間にはいって寝ている猫もいます。
よい季節ですね。

 関わりのあった子どもたちが、
高校や支援学校の高等部を卒業して仕事に就いたとの知らせがありました。
介護施設に仕事が決まった子やスーパーやレストランなど接客業に就く子、様々です。

 それぞれが高校で成長した証なのだろうなぁ、と嬉しく思うと同時に
新しい環境は慣れないのが当たり前なのだから、
少しのことでめげずに、仕事を辞めずにがんばって欲しいなぁとの思いが去来します。

 特に心配なのは、「新しい環境だからどうしよう、緊張するなぁ。」という心配性の子どもではなく、
「はい、高校卒業した。次は、就職。」という感じで、
小学校から中学校、中学校から高校へと行ったのと同じような感覚でいる、
あまり緊張していないタイプの子どものほうです。

 心配性の子どもは、先々、何があるかわからないし、できないことで怒られるかもしれないし…と、
色々なことをネガティブにではありますが、予想したり、想像する力があります。
そのおかげで、新しい環境に覚悟をもって臨むこともできます。

 しかし、緊張しないタイプの子は、
怒られてもめげないタイプで、注意されてもケロッとしている子もいるのですが、
単に、想像する力が弱いだけで、注意を受けたり、怒られるとびっくりして、
そのまま、いなくなったり、仕事を辞めてしまう子もいるように思います。

 心配性が嵩じて杞憂で動けないのも困りますが、
緊張を知らずに、飛び出した猫のようになってしまうのも困ります。
本人の性格にもよるでしょうが、どちらにしても打たれ強さは必要ですね。

 自分でお金を稼ぐ!好きなこともできて楽しみが増えた!とよい循環を経験して
仕事を続けてがんばって欲しいものですね。
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認識できた!

2015-03-25 21:20:23 | 発達応援
 久しぶりの5時半出勤。
信号が青になり、行こうとしたら救急車。
そのまま停車して、救急車を見送りました。

 こんな早朝に救急車を呼ぶ事態になった家の方は、さぞ心配だろうな、と
朝から知らぬ人のこととはいっても、胸がきゅっとなりました。
快方に向かわれますように。

 全く、大きさが変わらない同じ形を「同じ形!」と認識し、
向きが違っても、同じ形と認識する。

 そして、例えば正方形なら、1辺の長さが変わっても、
正方形は正方形と認識すること。

 こういうことを私たちは、どのような手順を経てわかるようになったのでしょうか。

 本を読んでいたら、
ものごとを認識するというと脳の認識という機能だけで解明しようとするが、
脳と身体、さらに身体と環境の相互の関係の中で認識というものを考えなくてはならない、
とい記述がありました。

 本当にそうだなぁ、と考えさせられる記述です。

 たとえば、毎日、自分が使っているご飯茶碗。
それはとは別に、お店に行って和食か何かを頼んでもご飯茶碗は認識できるし、
友人宅でも「ご飯茶碗取って」といわれれば、
並ぶ食器の中から、ご飯茶碗を取り出すことができると思います。

 それは、今までの経験から、家で使っているものと違うものでも、
だいたい、何となく、ご飯茶碗というものを頭の中で想像し、
その特徴をピックアップすることができるからだと思います。

 要するに、脳の機能だけの問題ではなく、
経験だったり、見る視点だったり、色々な認識による可能性であるわけです。

 認識のための具体的な方法も千差万別。
それをこつこつ考えるのも仕事のうちですね。


 
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おいしかった野菜。

2015-03-24 16:52:30 | 養生・薬膳
 少しアクのある野菜がおいしい季節になってなってきましたね。

 春はカラダが緩む季節です。
緩む季節にアクのある苦みのある野菜、緩んだところに、ちょっとしめる苦味。
なんだか、バランス良いですね。

 ちょうど、先週の今日、初級の養生講座で宮崎県の綾町にい行きました。
そこで、たくさんの新鮮な野菜を買い、畑から直接抜いたりもして、
人参だけでも7kg程、その他にネギやセロリや大根、春キャベツ、ふき、等々買いまくり、
担いで、腕にぶら下げてと大荷物を抱えて帰りました。

 料理を作るのはおもしろいもので、
ひとつ作り出すと、芋づる式にづるづるづるっとメニューを思いつきます。
焼いたり、生でだったり、味も塩や醤油と鰹節とシンプルですが、
このときの野菜は、調味料いらずな味の濃さでした。

 そして、そういう野菜が作られているのは、
10年かけて完全無農薬、無科学のにするために畑を作られたそうで、
野菜につく虫たちを毎日、人力でとっているそうです。

 たった1度だけ、自分で野菜を作ったことがあります。
無農薬で作りましたが、ほとんどを虫に食べられて、
しかも人参などはミニキャロットサイズになってしまいました。
どれだけ野菜を作ることが難しいことか。

 畑作りから考えられて作ってくださっているとおもうと、
買った野菜はきれいに食べ尽くそう、おいしく食べよう、と大事に食べます。

 どこぞのだれさんが作っているということがわかるだけで、
食べ物へのありがたいなぁという気持ちが、増量する…
単純な私であります。
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盛夏を憂う。

2015-03-23 15:24:32 | 発達応援
 朝の仕事に行くときに、今までは月や星に見送られながら、
暗い中をバイクで走っていました。

 今朝は、ふと気がつくと、空の色が違います。
夜は明けないものの、闇の中に青さを感じられました。
少しずつ、朝が明るくなっています。

 「どうして、みんなそんなに自信にあふれてるの?」とは、
今日、職場で同僚の言ったひと言でした。

 しかし、私はびっくりしました。
同僚が、「ああ、どうしよう、どうしよう。」と悩んでいたのは、
もう少しして汗ばむ季節になったら、汗かきの自分はどうしたらいいの、ということだったからです。

 「暑さ対策をしたらいいんじゃない?」というと、
 「どんな?教えて。どうしようって悩んでる。」とのこと。

 今まで、バイクのジムカーナの練習会などで、
夏はTシャツから塩ができるほど練習したこともあるので、
汗を発散させる素材のものを重ね着するといいことや水分とミネラルの補給をすることなどを伝えました。

 しかし、納得できない同僚は、
長袖は着れないとか、化粧がとれたらどうすればいいかとか、
汗で下着が透けないか、すけたらどうしたらいいか、等々こちらが思いもしない疑問を次々と言い、
そして、最初のセリフをため息まじりの憂鬱そうな顔でつぶやいたのでした。

 まだ、あまり汗もかかないこの時期から、
盛夏の心配を微にいり細に入りする同僚の思考回路は私にはないもので、
しかも、悩んでいる内容も、私はちっとも悩まない内容だったので驚きました。

 同時に、自分の想像の及ばない圏外で悩みを抱える人はもっとたくさんいて、
その人たちからすれば、私はがさつな感覚の持ち主なのだろうな、と思いました。

 そして、汗をかくことが平気なことを、
「自信にあふれている」と表現するほど、同僚にとっては苦痛なのかと思うと、
感覚の過敏さや体内温度の調節は大丈夫かな、と余計なことが心配になりました。

 季節に適応して、苦なく過ごせるカラダはやはり大事ですね。
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続けること。

2015-03-22 10:13:50 | 日記
 「ご飯!」「遊んで!」と要求があると、
よいしょよいしょとよじ上ってくる桃ちゃん。



 薄着になってきたから、痛いでござるよ。

 今日は、久しぶりの友人と再会。
お昼ご飯を食べ、お茶を飲みおしゃべりを数時間。

 40歳にさしかかろうとする友人は、
今からの人生をどう生きるか!という気持ちに満ちて、
まるで、小学校にあがる新1年生のように、
初々しく、やるぞ!やらねば!という思いでいっぱいの様子。
その姿は、不安ものぞいているけれど、とてもキラキラとしていて、
こちらも掛け値なしに「がんばれー!」と応援したくなることでした。

 私は、ちょうど40歳になる年に、
学校での支援員という仕事に出会い、何をすればいいかわからないものの、
先生方に上手に使っていただいたおかげで、
自分の仕事の方向性を見つけて、試行錯誤しながら、
「ああ、私はこの仕事が好きだわ!」
「この仕事で、自分ができるだけのことをやってみよう!」と思ったころでした。

 その少し前から、アロマテラピーについても学びはじめ、
支援員をしながら、仕事が終わったら夜にアロマトリートメントを学びに行き、
「あら、アロマって楽しい!」と学び続け、
今は、仕事の一部になっている、というのが、
あら、そんなことになるなんて!嬉しいわ!という感じです。

 何かをはじめるときには、
そのことが好きで、もっと知りたいな、ここは?これは?という思いだけやっています。

 その好きなことが将来、
自分にとってどんな役割を果たすなんていうことは考えてもみないし、
役に立つかどうかさえ、どうでもよくて、
ただただ、好きだからやる!というだけのお気楽な感じです。

 何事も、続けてみなくてはわからないのだなぁ、ということを
やっと、少しだけわかってきた年女の春です。

 
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