日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

発達検査の使い方。

2015-03-30 15:39:17 | 発達応援
 今日も暖かい鹿児島です。
いや、暑いのかな?

 やっと、バイクのタイヤを交換。
これで、雨が降っても気にせず走れます。
ただ、新品タイヤは滑りやすいので、ちょびっと注意です。

 中学校で支援員をしていたときに、
「きちんと宅習をしてこないとだめだよ。」と言っても、
「きちんと」というのが、どういうことかわからなかったり、
「ノートちゃんと出しなさい!」といわれても、
「ちゃんと」という言葉が通じなかったりする子どもがいることに気がつきました。

 「宅習は、1ページを行を飛ばさずに、なるべく、きっちり書きましょう。『なるべく』ってわかる?」
というふうに聞くと、うなずいてくれたり、
「なるべくがちょっと…」と言ってくれたりすることもありました。

 少し、私とは言葉の理解の仕方が違うし、
他の子どもたちがひっかからないような言葉でつまずいて、
指示されたことがわからなくなっているという子どもたちと出会うことがありました。

 そういう子どもと偶然にも関わりを持ち、
手探りで対応しているときに、担任の先生や特別支援の係の先生に
「発達検査を受けてもらってはどうでしょうか?」と提案することがありました。

 しかし、特別支援の係の先生から担任に話がいった時点で、必要ないとされたり、
担任の先生が保護者の方に話をされたけれど、必要ないとされたり、
なかなか、ハードルが高いことでした。

 担任の先生が必要ない、とされた例では、
本人が甘えているからできていないんだ、ということだったり、
専門家でもない自分たちが、そんなレッテルを貼るようなことをなんの証拠があって保護者にいえるのか、等。

 子どもは甘えている様子ではなく、状況がわからない中叱られていると私には見えたのですが、
結論を変えることはできませんでした。
また、発達検査を受けることがレッテルを貼る、と考えているその思考回路にも驚くことでした。

 保護者の方が必要ない、とされた例では、
まさに、「うちの子に何か障害があるというんですか!」ということだったり、
「小さい頃からみんなより遅れていたから大丈夫です。」という私的には?な力強い言葉だったり。

 発達検査を受けさえすれば、その子に応じた対応がぱっ!っとできますとは言えませんが、
子どもがどこの部分が弱くて、今の状況を引き起こしているかがわかると、
少しは、子どもにわかるような対応がこちらにもできるのに…、そんな思いでいっぱいでした。

 でも、近頃、発達検査で、本人の強いところを教えてもらって、
そこを足がかりにして、認知の理解を図っていったほうが良いのではないかなというふうに、
少し考え方が変わりました。

 得意なところを少しずつでも伸ばしてと、そこを足がかりにして、不得意な部分も少しずつ、上にあげていく。
目に見えて、劇的な変化を起こすような方法は、私にはわかりませんが、
気がついたら、小高い山を登っていた!となるように。

 登る山は1つとは限らず、簡単に登れたり、中々頂上が見えなかったりでしょうが、
一緒に学ぶ子どもと一緒に、転げ落ちても諦めず、歩みを進めたいと思います。

 そんなことを思いながら、発達検査ができるようになったほうがいいかもな、と近頃思うことです。


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