フルダ著の『ヘーゲル・生涯と著作』という本を読んでいる。
前に、「精神現象学」の割とわかり易いまとめがあったのでここでも書いた。
今読んでいるのはフルダの本の、ヘーゲル「論理学」のまとめである。
論理学と言っても、単なる数式的な論理学とは、全く違う。
哲学の歩みと、概念の獲得の過程を一体としてとらえようという本。
本質とは、同一性とは、生成とは? などを説明して行って、
最後に精神の哲学について説き、絶対知まで説明して終わる。
こう考えてみると、ヘーゲルの構想は、「精神現象学」のアイディアを
論理学として、迂回して、哲学の旅で、意識が何を知るかを
再構成して書いた大著である。
アリストテレス式の論理学の堅実さは求めようもない、
「ヘーゲル、哲学の旅を論理学として語る、」という内容である。
私は、古い全集の数冊を古書店で買って、めくったことがあるが、
やはり最後の結論部分、精神哲学で絶対知に至るという所が、
ゴールであり、言いたいことの核心であるから、そこはおもろい。
「論理学」の意図と作りは、フルダの説明で大体納得した。
〇哲学の旅の歩みの道のりを論理を踏まえたどり直そう
前に、「精神現象学」の割とわかり易いまとめがあったのでここでも書いた。
今読んでいるのはフルダの本の、ヘーゲル「論理学」のまとめである。
論理学と言っても、単なる数式的な論理学とは、全く違う。
哲学の歩みと、概念の獲得の過程を一体としてとらえようという本。
本質とは、同一性とは、生成とは? などを説明して行って、
最後に精神の哲学について説き、絶対知まで説明して終わる。
こう考えてみると、ヘーゲルの構想は、「精神現象学」のアイディアを
論理学として、迂回して、哲学の旅で、意識が何を知るかを
再構成して書いた大著である。
アリストテレス式の論理学の堅実さは求めようもない、
「ヘーゲル、哲学の旅を論理学として語る、」という内容である。
私は、古い全集の数冊を古書店で買って、めくったことがあるが、
やはり最後の結論部分、精神哲学で絶対知に至るという所が、
ゴールであり、言いたいことの核心であるから、そこはおもろい。
「論理学」の意図と作りは、フルダの説明で大体納得した。
〇哲学の旅の歩みの道のりを論理を踏まえたどり直そう