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福岡髭爺の今日も絶好調!!

労働法、神社、郷土史、グルメ、他
※記載事項について、一切責任を負いません。

四国一宮参り

2013-10-06 02:05:01 | 神社

25.8.29-9.3

初めて四国訪問。

厳密には、大学生の時に少林寺拳法本山合宿で、香川県の多度津だけ行ったことがあるから2回目かもしれない。

ただ、少なくとも徳島、高知、愛媛は初めて。

四国というと八十八カ所巡礼の旅。

小職も関心がないわけではないが、まずは神社参拝だ。

25.8.29

リスク法務実務研究会にて最初の挨拶だけで退出し、車で高速を走る。

天神北インターから倉敷まで走った。

25.8.30

倉敷総鎮守の阿智神社参拝。

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拝殿から本殿まで渡り廊下のようなものでつながれ、少し距離がある。

福岡では見かけない構造だ。

阿智神社、御祭神は宗像三女神。

これから、瀬戸大橋を渡る。

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天気がイマイチだったのが残念。

香川県に入り、最初に向かったのは金刀比羅宮、こんぴらさんだ。

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往復に相当の時間を要する。

途中まではタクシーで行くことが可能。

天気も悪い等言い訳はたくさんあったので、タクシーにて。

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次に、讃岐宮参拝。

香川縣護国神社だ。

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次に、讃岐國一宮、田村神社参拝。

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境内はとても賑やか。

次に、一気に徳島県に入り、阿波国一宮、大麻比古神社参拝。

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ご神木が見事。

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拝殿裏のドイツ橋。

第一次大戦で捕虜となったドイツ兵953人が、大麻町の板東捕虜収容所に収容された。

ドイツ兵と地元住民の交流が盛んで、帰国前に母国の土木技術を生かしてドイツ橋がつくられた。

25.8.31

抜刀道講習会参加。

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写真は高知駅前、坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太。

坂本龍馬が有名だが、この三人が生きた時代では間違いなく武市半平太が偉かったはずだとかちょっと思った。

25.9.1

抜刀道審査会。

型と実技の審査で、初段合格。

終了後、土佐國一宮土佐神社参拝。

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御祭神は味鉏高彦根神。

福岡では主祭神としてはなかなかみかけない。

社殿のつくりはちょっと変わっていて、上から見るとトンボの形とのこと。

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夜の高知城。

25.9.2

坂本龍馬生誕地。

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龍馬の生まれたまち記念館。

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高知県立坂本龍馬記念館。

シェイクハンド龍馬? 「握手龍馬」じゃだめなのか。

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桂浜坂本龍馬銅像。

予想以上にでかい。

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桂浜。

天気がよければ・・・

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武市半平太旧宅。

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武市神社・瑞山記念館。

神社横、少しのぼったところに、武市半平太墓がある。

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高知縣護国神社参拝。

維新の志士も多く祀られている。

境内に向かう途中に、カニがいる!

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一気に愛媛県松山市。

道後温泉。

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25.9.3

道後の守護神・伊佐尓波神社参拝。

珍しい建築で、回廊式で中に摂社も鎮座。

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愛媛縣護国神社参拝。

愛媛のご遺族が多くの立派な記念碑を建立。

境内には多くの記念碑が。

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しまなみ街道、途中大三島で降りる。

伊予國一宮大山祇神社参拝。

伊予國一宮だが、日本総鎮守でもある。

全国大山祇神社総本山。

四国唯一の大社(旧国幣大社)。

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境内の紫陽殿には、大山祇神社に奉納された多くの武具が展示されている。

皇室、源義経、弁慶など、とにかくすごい。

刀剣、鎧兜等、国宝がいくつも!

撮影禁止が残念。
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帰路、途中広島にて高速をおり、お好み村に。

原爆ドームに手を合わせ、福岡に急ぐ。

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国内でまるまる4日間、駆け足の旅。

この後、多少仕事に追われることに・・・


神宮式年遷宮お白石持ち行事

2013-08-03 22:00:30 | 神社

25.7.29

神宮式年遷宮お白石持ち行事当日だ。

5時50分朝食前に、真っ白な衣裳に着替え、朝食後バスに乗り込む。

内宮のお白石持ち行事は、7月26日~29日、8月2日~5日、9日~12日の12日間行われる。

原則として地元の「神領民」が参加する行事。

しかし、2回前の昭和48年式年遷宮から、全国の崇敬者等が「一日神領民」として参加できる制度が創設されたのが始まりで、「特別神領民」制度となった。

小職も「特別神領民」としての参加だ。

おはらい町から内宮を目指してお白石を曳く。

そのお白石を積んだ山車が既に準備されている。

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太宰府天満宮の特別神領民一団は、29日の一回目(同じ日に2回行われる)の「伊の一玉」だ。

「いの一番」の最初の「い」は、「いろは」の「い」。

お白石持ち行事の番号の付け方は、面白い。

二本の綱を曳くが、一本につき両側に特別神領民が並んで綱を持つ。

神宮に向かって右から順に、「伊」、「勢」、「神」、「宮」の文字が割り振られる。

そして、曳く場所が前から4つの団体に分けられ、順に「一玉」、「二玉」、「三玉」、「四玉」となる。

特別神領民は木札を首からかけて参加するが、この木札に伊勢神宮のいずれかの漢字一文字と、結び目の玉が1コから4コで区分されるのだ。

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写真は少し見にくいと思うが、左から伊、勢、神、宮、だ。

小職の横並びの方々の協力を得て写真撮影したため、全員一玉。

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出発前、西高辻権宮司と一緒に記念撮影。

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この綱を曳く。

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出発前に、さらに記念撮影。

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「エンヤ!エンヤ!!」のかけ声で綱を曳く。

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小職より後ろの人、人、人。

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前にも人、人、人。

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内宮到着まであと少し。

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到着すると、このように綱がまかれていく。

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宇治橋を渡って境内に。

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お白石を渡される。

このお白石を、遷宮後の新しい内宮の正宮脇に置くことになる。

そのまま20年間、天皇陛下と神職を除いて誰も入れない場所となる。

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参道にてお祓いを受ける。

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正宮に向かう。

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なんと一般参拝者はこの先に入れない。

即ち、内宮参拝できないということだ。

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遷宮後の新しい正宮に入っていく。

この中は、もちろん撮影禁止だ。

この鳥居をくぐり、まっすぐ進み、さらに中に。

ここは、天皇陛下と神職しか入れない場所だ。

新しい社殿の横に、お白石を置かせていただいた。

とても有り難い経験をさせていただいた。

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終了後、記念品をいただく。

この後、この日の二回目のお白石持ち行事の団体が入ってきていた。

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自分が参加していると見られない部分が見られて良かった。

さらに・・・

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到着後のお白石、このように運ばれるとは!!

この後、昼食、そしておはらい町・おかげ横町を自由散策。

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伊勢うどん。

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赤福。

集合後、再度外宮に向かい、せんぐう館拝観。

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なかなか良い感じの展示。

神宮参拝の際は、ぜひ観覧することをお勧めしたい。

この後、バスは奈良に向かう。

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興福寺と鹿。

団体行動のため仕方が無いが、奈良ではこの興福寺の国宝館観覧だけ。

既に夕方、近くに春日大社もあるのに参拝できず残念。

この日は奈良に泊まり、また翌朝は早起きで大阪に向かう。


浜参宮

2013-08-03 21:19:14 | 神社

25.7.28

朝7時20分、博多駅筑紫口集合。

太宰府天満宮ご一行、神宮式年遷宮お白石持ち行事に参加する41名の団体だ。

41名は、神職4名、飛梅講社25日会33名、崇敬会青年部4名。

小職は崇敬会青年部として参加。

日頃全く青年部の活動をしていない幽霊会員だったが、会員ではあったため、幸運にもお白石持ち行事に参加する機会を得た。

有り難い限りだ。

新幹線で、新大阪に向かい、その後バスで伊勢を目指す予定。

ちなみに、太宰府天満宮ご一行は3団体あり、全部で100人くらいだ。

新幹線に乗車したのがとても久しぶりだった。

いつ以来だろうか?

昨年、博多-小倉、博多-久留米の区間を乗車したことはあったが、少なくとも新幹線で九州から出て行くのはかなり久しぶりだ。

新大阪でバスに乗り換え、途中上野のドライブインに。

ご当地キャラ「忍にゃん」が迎えてくれる。

忍者の格好をした猫だ。

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先日羽田空港にも熊本のくまもんがいたが、なんと忍者の里・上野にもくまもんが!

くまもん、すごすぎる。

さて、バスは最初の目的地、二見興玉神社に。

伊勢神宮は、内宮と外宮とがあり、「外宮⇒内宮」の順で参拝するのが正式とされる。

しかし、さらに正式には、二見興玉神社で禊ぎ祓いをしてから外宮⇒内宮と参拝する流れだ。

そして、この流れで二見興玉神社でお祓いを受けることを、浜参宮という。

この日は、神宮式年遷宮お白石持ち行事に参加するため、正式に浜参宮だ。

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二見興玉神社の鳥居前で、お祓いを受ける。

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お祓い後、海沿いの参道を。

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有名な夫婦岩。

皇居を遙拝できる。

浜参宮の次は、外宮参拝だ。

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式年遷宮工事中のため、手水舎は工事中のため仮の手水所。

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外宮参拝。

鳥居の中は、写真撮影禁止だ。

檜皮葺の屋根が、20年のときの流れを感じさせる。

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外宮向かって左、遷宮後の新しい建物が見える。

次回神宮参拝のときは、こちらをお参りすることになる。

続いて境内摂社を参拝。

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多賀宮。

こちらも式年遷宮で、向かって右に新しい社殿が見える。

神宮は、摂社末社あわせて125社鎮座し、このすべてを20年以内に建て替える。

すごい作業だ。

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風宮。

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土宮。

二見興玉神社、外宮とも、4年ぶりの参拝となった。

外宮参拝後は、ホテルに。

鳥羽市の戸田家。

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写真に写っているだけで、左から「広瀬神社」、「神奈川県神社庁相模中央支部」、「太宰府天満宮」、「石川県神社庁石川支部」、「青森県神社庁」、「長野県神社庁」とある。

神社関係者で貸し切り状態のようだ。

夜は、太宰府天満宮関係者100人で夕食。

西高辻宮司のお話をいただいた。

明朝は5時起床。

早めに就寝。


東京神社めぐり

2013-08-01 00:04:06 | 神社

25.7.25

東京3日間の中日は、特段の予定はない。

午前中は、東京の安藤健一社会保険労務士事務所に出勤し、メールチェック等を行う。

その前に、宿泊しているすぐ近くの神社に参拝する必要があった。

数日前、郷土史家の石瀧豊美先生に東京出張の予定をお話ししたところ、鐵砲洲稲荷神社への参拝を奨めていただいた。

鐵砲洲稲荷神社には、「繆斌(みょうひん)」という人を顕彰する碑が建っている。

繆斌は、緒方竹虎と連携して蒋介石と日本との和平工作を取り持った人。

無残にも、戦後は口封じのため漢奸裁判で死刑第一号となってしまった人だ。

鐵砲洲稲荷神社がどこにあるか調べて驚いた。

小職の宿泊予定のホテルから500メートルくらいしか離れていない。

すごい運命のようなものを感じた。

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日中和平工作を行った時期が、なんと昭和20年3月。

東京大空襲の頃の話しだ。

既に日本の敗戦は確定的となっている頃において、蒋介石の命を受けた繆斌が和平工作をしていた事実は大きい。

そしてわずか5カ月後には、大東亜戦争は敗戦を迎える。

写真右の碑は、「和平神繆斌顕彰碑」。

日分の中に、日本側として、首相小磯国昭、国務相緒方竹虎、中将石原莞爾、そして東久邇宮稔彦殿下の名が見える。

写真左の碑は、東久邇宮稔彦殿下と繆斌の会談の写真、そして会話が刻まれている。

この鐵砲洲稲荷神社、富士山信仰の神社として有名で、境内になんと「富士山」が。

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この後、安藤健一社会保険労務士事務所に出勤し、午前中は事務所を貸してもらった。

昼食は一緒に近くの老舗で。

茅場町の鳥徳という店。

とてもお客さんが多かった。

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午後は、東京神社めぐり。

最初に、愛宕神社。

愛宕神社は、愛宕山という低い山に鎮座。

急階段で有名だ。

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急階段を上から見ると・・・

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次に、乃木希典大将の乃木神社。

旧乃木邸横に鎮座。

参拝時、神職は1名だけだったが、なんと若い女性だった。

大学卒業後、奉職3年目ということだ。

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ちなみに、「乃木坂」はもちろん乃木大将にちなんで名付けられた名称。

乃木坂になる前は「幽霊坂」と言ったらしい。

次に、靖國神社。

一の鳥居、とにかく大きい。

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次に、築土神社。

平将門を御祭神とする神社。

さすが東京、参道が建物の下というなんともいえない構造だ。

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次に、東京の伊勢神宮である東京大神宮。

とにかく若い女性の参拝が目立った。

縁結びとか恋愛とかのおみくじが人気のようだ。

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次に、神田神社。

神田明神と言った方が名が通っているように思える。

立派な楼門、社殿等を有する。

こちらも御祭神に平将門。

ただ、明治天皇が参拝される際に、賊のため御祭神から外された時代を持つことが興味深い。

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最後に、湯島天満宮。

こちらも湯島天神と言った方が名が通っている。

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移動は、地下鉄を主とする公共交通機関。

かなり歩き疲れた。

ホテルに戻り、一風呂浴びて、再度安藤健一事務所に。

その途中、小さな日比谷稲荷神社を発見。

八丁堀駅から茅場駅の途中あたりで、現在は八丁堀三丁目である。

由緒書きによると、このあたりはかつて日比谷町だった。

日比谷は元々江戸海岸の入江で、太田道灌の江戸城築城に際して城外日比谷海岸(現在の日比谷公園)に祀ったのが日比谷稲荷神社の始まり。

徳川家康が征夷大将軍に任じられ、江戸城の拡張工事にともなって、神社の場所に江戸城日比谷門が建設されることに。

このため、現在の新橋に日比谷神社、そしてこの地に日比谷稲荷神社が遷座した。

日比谷稲荷神社は、どうしても海岸に祀られなければならない事情があったという。

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さてさて、安藤健一事務所への訪問は、そのまま飲みに行くため。

小職がサラリーマンだったときの同期6人が集まった。

そのうち1人は、わざわざ愛知の豊橋から新幹線で来てくれた。

(そして、2時間くらい同席し、新幹線で帰っていった・・・)

同期6人のうち、そのまま勤続24年目なのが2人。

4人は転職し、2人は会社勤務、2人は小職と安藤健一の社会保険労務士事務所経営だ。

そして、小職を除く同期5人のうち、会うのが小職在職中以来というのが3名!!

うち1人はフェイスブックでつながっているが、残り2名は本当に久しぶり。

しかし、会った次の瞬間は、昔と同じように話しをしているのが、同期の良いところだ。

次回は、福岡で同期会を開催することになった。

本当に開催されるのか、かなり疑問だが。

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