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福岡髭爺の今日も絶好調!!

労働法、神社、郷土史、グルメ、他
※記載事項について、一切責任を負いません。

『黒田家と福岡の神社』

2014-05-24 23:18:57 | 神社

26.5.24

福岡地方史研究会例会。

先月末頃、会長の石瀧豊美先生から話しをいただき、例会の発表者を担当することとなった。

テーマは『黒田家と福岡の神社』。

このテーマは、今年8月発行予定の会報に寄稿した著作のタイトルでもある。

しかし、多くの歴史の研究家の前で話しをすることは、労働法の講演よりもはるかに難しい。

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写真撮影は、2年前に宗像大社沖津宮にご一緒いさせていただいた作家の浦辺登さん。

例会会場に到着したら、いきなり浦辺さんが受付をされていたのでびっくり。

お会いするのが沖ノ島以来だ。

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歴史は幅が広いだけでなく、奥も深すぎる。

本日約2時間、お話しした神社。

メインは、光雲神社、堅磐神社、荒津神社。

特に聖照権現社、水鏡権現社、幹亮権現社を中心に、黒田家譜等から引用しつつお話しした。

その他には、①黒田家御祭神、②黒田家産神・福岡産土神、③黒田家ゆかり、をそれぞれ。

①太宰府天満宮境内如水社、桜井神社、春日神社(八幡)

②警固神社、鳥飼八幡宮、紅葉八幡宮

③香椎宮、筥崎宮、水鏡天満宮、住吉神社、高祖神社、橋本八幡宮、鷲尾愛宕神社、宇賀神社、福岡縣護国神社、菊池神社

発表者は、専門分野や得意分野でお話しするわけだが、それに関する事項でも知らないことが多すぎる。

福岡の神社を研究していることを知っていただくことで、逆に情報をいただけたりすることが有り難い。

今日も、石瀧先生から、聖照権現社と水鏡権現社が城内にあった頃の場所について、現在記念プレートがあることを教えていただいた。

近いうちに確認に行きたい。


筥崎宮、博多曲物

2014-05-24 23:02:25 | 神社

26.5.24

福岡地方史研究会の例会で、発表担当だ。

その前に、筥崎宮参拝。

さつき大祭の案内がされている。

もう明明後日、5月27日・28日が日露戦争日本海海戦記念日だ。

毎年参列したいと思いつつも、今年も平日昼間で仕事の予定が入っている(それも箱崎で)。

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今日は少し時間があったので、久しぶりに社殿の周囲をまわった。

6月27日には、池島殿大祭が予定されている。

手足の神様だ。

さて、表糟屋郡と那珂郡との境界石も、久しぶりに確認に。

ちゃんとあった。

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文久元年(1861年)再建とあるが、既に153年も前の再建だ。

ここでひらめいたのが、博多曲物。

個人的に高柳商店さんの博多鋏は4寸、5寸、6寸の3種類とも購入して使用しているが、博多曲物の柴徳さんには一度も立ち寄ったことすらない。

ちょっと足を伸ばすことに。

途中、「道具山神社」参拝。

境内には「不老石」と刻まれた石碑があり、その前に石があったりするが由来等はわからない。

とにかく「不老」は魅力的な言葉でそう願いたい。

境内奥には、猿田彦神社、庚申等と刻まれた石碑がたくさん集められていた。

この地域のいろんなところに立っていた道祖神を一箇所に集めた感がある。

それからすぐ、博多曲物柴徳さん。

有限会社柴田徳商店、伝統工芸博多曲物職人柴田徳五郎氏の作品が展示されている。

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中はこんな感じ。

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米櫃を購入。

現在展示中の品しかなく、少し傷物だが使用上は全く問題ないということで、6500円の1500円引きで5000円ということだった。

人間心理として、1500円くらいならきれいな物が良い気もしないでもないが、使用すれば結局同じだし、本日持ち帰ることができるメリットは大きい。

米が炊けたら、とにかく米櫃にぶち込み、食べるときに米櫃のままレンジで保温してよいとのこと。

炊飯器に入れたままだとぱさぱさになってしまうが、米櫃だとこれがうまいらしい。

個人的には,米櫃に入れたまま直接食べてみたい。

3合を購入したが、2合くらいでもよかったかもしれない。


官祭妙見馬出招魂社の碑

2014-05-24 22:20:16 | 神社

26.5.24

福岡縣護国神社の創建は、明治元年の招魂社創建に遡る。

妙見招魂社と馬出招魂社とが造営された。

明治39年に妙見招魂社は馬出招魂社の隣接地に移転。

昭和13年に両社は合祀され、福岡招魂社となった。

さらに昭和14年に福岡縣護国神社と再改称。

昭和18年に現在地に遷宮。

東公園に、招魂社時代の碑があることは知っていた。

しかし、未だ実際に訪問したことがなく、本日やっと訪問。

東公園は広いので、入り口にある喫茶室アールの方に先に尋ねてみた。

「招魂社」という言葉が全く通じず、お客さん達も誰もわからない・・・

しかし、店主が「あっちに碑があるけど、招魂社かどうか分からない」ということだったので、とりあえずそちらに向かった。

招魂社の碑だった。

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碑文によると、招魂社はここから約250メートル北にあったようだ。

そのため碑文の向かって右後方の碑には、「官祭妙見馬出招魂社遺跡保存地」と刻まれる。

この場所は「遺跡保存地」なのだ。

そして、昭和41年までは墓石や人名標石玉垣等も元の場所にあって、戦後は倒壊、破壊されて清浄を保持し得ない状況にあったという。

やはりこの碑はもっと早く見に来るべきだった。

碑には猫がいた。

上記写真にも写り込んでいる。

この後、喫茶室アールに発見のお礼を言いに立ち寄った。

すると、「猫ちゃんがいたでしょ!あの碑はいつも猫ちゃんが守っている」ということだった。

この猫は、神の使いか、それとも・・・


豊後国分寺、早吸日女神社

2014-05-11 22:32:04 | 神社

豊後国分寺

 天平13年(741年)の聖武天皇の発願により、全国に「金光明四天王護国之寺」が建立された。
 その一つが、豊後国分寺である。

 豊後国分寺には、かつて七重塔があり、高さ67.3メートルを誇る壮大な塔だったと推定されている。

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 この場所には、江戸時代に観音堂が建てられた。

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 観音堂の周囲には、七重塔の礎石が九個現存(三個欠)している。
 約1250年前の奈良時代の礎石だ。

 豊後国分寺の梵鐘は、大東亜戦争の金属供出のため現存しない。

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 現在の梵鐘は、昭和61年に鋳造されたもの。

 「宝永五年城主松平対馬守源昭因公寄進 昭和十九年太平洋戦争に供出 昭和六十一年丙寅歳鋳造」と刻まれている。

 宝永5年は、1708年。

 この年の豊後府内藩主を調べると、第三代藩主の松平近禎だ。

 対馬守でもある。

 「昭因公」とは、近禎のことだろうか。

 次回大分に行く機会に確認してみたいと思うが、ご存知の方にはご教示いただきたい。

・・

早吸日女神社

 久しぶりに佐賀関方面に。

 道の駅で、りゅうきゅう丼・関あじ丼をいただく。

 早吸日女神社もおそらく5年ぶりくらいだろうか。

 ちょうど平成26年3月に修築等が完了したようで、きれいになっていた。

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 拝殿は実に立派な建築物。

 宝暦13年(1763年)再建と伝えられるが、嘉永3年(1850年)という説もある。

 87年も違う・・・

 屋根には、亀に乗った浦島太郎や竜宮城等が飾られている。

 さすが佐賀関、海の神だ。

 本殿は、宝暦13年に肥後藩主細川重賢により再建された。

 佐賀関は、大分県に属するが、江戸時代においては熊本藩領だった。

 宮司の小野家住宅は、明和年間(1764~1769年)の建築。
 

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 江戸後期の様式を持つ大分県下に残る数少ない社家住宅で、大分県指定有形文化財だ。

 屋敷内には、加藤清正を祀る小祠もある(写真手前)。

 小野家住宅の前に、お菓子の高橋水月堂がある。

 明治39年創業の老舗だ。

 天皇皇后両陛下も召し上がられたという関あじ・関さば最中を購入。

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光雲神社春季大祭

2014-04-27 21:37:08 | 神社

26.4.20

光雲神社春季大祭。

柳生新影流兵法奉納演武。

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・・・残念ながら、カメラマン(小職の妻)が参列していなかったため、写真はない。

演武前に撮影した写真から。

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この日は、いつもよりも奉納が多かった。

一、奉祝演武 福岡黒田藩傳柳生新影流兵法 荒津会 母里市兵衛忠一一門

一、奉納舞  「黒田武士」 舞 寿菊派若柳流 若柳菊 唄 日本民謡協会筑前会 石川朝昌

一、琴演奏 「さくら舞曲」「八千代獅子」日本当道音楽会 大賀邦子社中

一、琵琶演奏 「官兵衛ものがたり有明城」より 筑前琵琶保存会 寺田蝶美

演武後、着替えたり喫煙したりしていたら、もう筑前琵琶になっていた。

寺田蝶美さんの非常に良い感じの演奏を撮影。

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ところで、以前は節信院や福岡縣護国神社で頻繁にお見かけしていた筑前琵琶の中村旭園さんはお元気だろうか。