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福岡髭爺の今日も絶好調!!

労働法、神社、郷土史、グルメ、他
※記載事項について、一切責任を負いません。

香椎宮境内末社鶏石神社例祭

2015-09-01 20:14:14 | 神社

27.9.1

鶏石神社例祭に参列。

鶏石神社は、香椎宮境内末社。

珍しい全国唯一の「鶏石神社」である。

御祭神は不詳。

御神体は、鶏石。

鶏を祀る神様、そして鶏が夜鳴かないことから、子供の夜泣きに御利益があるという。

鶏石については、江戸時代に編纂された『雲根志』(木内石亭著)前編「変化類」(安永2年・1773年)に紹介されている。

一昨日8月30日、福岡地方史研究会総会。

拙著「香椎宮と勅祭~古代の勅祭、現代の勅祭~」が収められた『福岡地方史研究第53号』がお披露目された。

この中に、日本経済大学講師の竹川克幸氏執筆「福岡の鶏肉・鶏卵の食文化誌」も収められている。

小職が香椎宮関係の執筆をしていたこともあり、竹川氏から鶏石神社について触れていると話していただいた。

この翌日8月31日、「香椎宮と勅祭~古代の勅祭、現代の勅祭」の抜き刷り20部を香椎宮に奉納した。

足立憲一宮司とお話しさせていただいた際に、竹川氏が鶏石神社について書かれていることを話したところ、なんと年一回の鶏石神社例祭が明日9月1日に斎行されるとのこと。

その場で竹川氏に電話連絡し、一緒に参列させていただくこととなった。

参列者は、養鶏業者、鶏卵業者ばかり約20名。

竹川氏と小職だけ、異業種だ。

修祓、宮司祝詞奏上、養鶏業者代表者による祭文奏上、玉串奉納。

厚かましくも、直会も参加させていただいた。

日頃意識しないが、我々の食卓は多くの鶏の命と引き替えに成立している。

鶏魂祭は、鶏の例を祀る重要な祭りだ。

養鶏、鶏卵業者に限らず、水炊き、唐揚げ、チキン南蛮、とり天その他鶏料理を扱う飲食業者、卸売業者、小売業者も、鶏の例を慰霊するためにも年に一度参列すると良いのではないだろうか。

元々香椎宮は神功皇后のお社で、安産の神でもある。

子供の夜泣き防止の祭りを新たに始めても良い。

「夜不泣祭(よなかずさい)」等の名称とし、年二回くらい例祭日を設けて生後1カ月~7カ月くらいの子を対象とする祭りでどうだろうか。

残念ながらカメラを忘れた。

戻り後、いただいた「鶏石神社御守護」のお札を、今年の香椎宮御神璽と一緒に撮影。

 


節分祭

2015-02-03 21:16:27 | 神社

27.2.3

今年は年男。

ということで、節分祭は豆まきで豆をまくチャンスだ。

午前中、福岡縣護国神社。

開始前、巫女さんと豆。

豆まき。
あらかじめ「できるだけ遠くに投げて」と依頼されていた。
しかし、近くの人が「こっち、こっち!!」と叫ぶ・・・
基本的にできるだけまんべんなく、ということで。

全4台のうち、小職の台は巫女さんと二人。
他の台の豆がなくなり、宮司参戦!

宮司の慣れた「まき」。
毎年まけば、プロになれるのだろう。

終了後、中島禰宜と。

昼食をはさみ、午後は香椎宮へ。

楼門にはお多福。

待ち時間、社務所にて。

法被の背中には、畏くも菊の御紋。

節分祭のはじめに、御手水。
この後、祭主上原禰宜を先頭に、一列に並んで社殿に向かう。
正式参拝、年男年女一人一人の名前が入った祝詞奏上いただく。

拝殿廊下部分からまく。


連写1

連写2

連写3、ナイスキャッチ!

一緒に豆まきさせていただいた年男・年女。

いやぁ~、楽しかった!!
やみつきになりそうだが、次は12年後。
…還暦??

 


明けましておめでとうございます

2015-01-12 19:47:56 | 神社

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

今年の元旦は、熊本で初詣。
藤崎八旛宮、熊本縣護国神社、加藤神社に三社詣り。

福岡に戻ってからは、本日現在次の神社にお詣り。
香椎宮、筥崎宮、太宰府天満宮、福岡縣護国神社
櫛田神社、警固神社、光雲神社、鳥飼八幡宮、紅葉八幡宮
十日恵比須神社、鏡天満宮

平成27年は十年に一度の香椎宮に勅使が遣わされる勅祭の年。
今年の目標は、勅祭を中心に神社について知識を深めたい。


 


筥崎宮 日本海海戦大祭

2014-05-27 22:35:48 | 神社

26.5.27

「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」

「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」

109年前の明治38年(1905年)5月27日の日本海海戦記念日。

東郷平八郎率いる大日本帝国連合艦隊が、バルチック艦隊を迎え撃った日。

その後昭和20年まで海軍記念日とされた日。

日本海海戦は、外国では対馬沖海戦と呼ばれるらしい。

宗像大社沖津宮が坐す沖ノ島周辺が戦場となった。

結果は一方的な勝利をおさめたが、本当に国家興亡をかけた戦いだった。

戦後次々に植民地支配から解放されて独立したアジアやアフリカの諸国は、当時の日本の勝利に驚き、そして心から喜んだと伝えられる。

日露戦争がなかったら、その後の世界はどうなったのだろうか。

世界史上における、最も大きなターニングポイントの一つであることは間違いない。

筥崎宮において、毎年さつき大祭として日本海海戦大祭が執り行われる。

1

敵国降伏の扁額の下に、国旗、軍艦旗、Z旗が掲揚されている。

まさに海軍記念日の感じさせる。

洋上の船上で祭祀が行われるが、残念ながら未だ参列したことがない。

この日は、楼門が解放されており、社殿の前にすすんで参拝することができる。

千利休奉納と伝わる燈籠も見学可能だ。