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豊後国分寺、早吸日女神社

2014-05-11 22:32:04 | 神社

豊後国分寺

 天平13年(741年)の聖武天皇の発願により、全国に「金光明四天王護国之寺」が建立された。
 その一つが、豊後国分寺である。

 豊後国分寺には、かつて七重塔があり、高さ67.3メートルを誇る壮大な塔だったと推定されている。

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 この場所には、江戸時代に観音堂が建てられた。

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 観音堂の周囲には、七重塔の礎石が九個現存(三個欠)している。
 約1250年前の奈良時代の礎石だ。

 豊後国分寺の梵鐘は、大東亜戦争の金属供出のため現存しない。

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 現在の梵鐘は、昭和61年に鋳造されたもの。

 「宝永五年城主松平対馬守源昭因公寄進 昭和十九年太平洋戦争に供出 昭和六十一年丙寅歳鋳造」と刻まれている。

 宝永5年は、1708年。

 この年の豊後府内藩主を調べると、第三代藩主の松平近禎だ。

 対馬守でもある。

 「昭因公」とは、近禎のことだろうか。

 次回大分に行く機会に確認してみたいと思うが、ご存知の方にはご教示いただきたい。

・・

早吸日女神社

 久しぶりに佐賀関方面に。

 道の駅で、りゅうきゅう丼・関あじ丼をいただく。

 早吸日女神社もおそらく5年ぶりくらいだろうか。

 ちょうど平成26年3月に修築等が完了したようで、きれいになっていた。

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 拝殿は実に立派な建築物。

 宝暦13年(1763年)再建と伝えられるが、嘉永3年(1850年)という説もある。

 87年も違う・・・

 屋根には、亀に乗った浦島太郎や竜宮城等が飾られている。

 さすが佐賀関、海の神だ。

 本殿は、宝暦13年に肥後藩主細川重賢により再建された。

 佐賀関は、大分県に属するが、江戸時代においては熊本藩領だった。

 宮司の小野家住宅は、明和年間(1764~1769年)の建築。
 

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 江戸後期の様式を持つ大分県下に残る数少ない社家住宅で、大分県指定有形文化財だ。

 屋敷内には、加藤清正を祀る小祠もある(写真手前)。

 小野家住宅の前に、お菓子の高橋水月堂がある。

 明治39年創業の老舗だ。

 天皇皇后両陛下も召し上がられたという関あじ・関さば最中を購入。

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