豊後国分寺
天平13年(741年)の聖武天皇の発願により、全国に「金光明四天王護国之寺」が建立された。
その一つが、豊後国分寺である。
豊後国分寺には、かつて七重塔があり、高さ67.3メートルを誇る壮大な塔だったと推定されている。
この場所には、江戸時代に観音堂が建てられた。
観音堂の周囲には、七重塔の礎石が九個現存(三個欠)している。
約1250年前の奈良時代の礎石だ。
豊後国分寺の梵鐘は、大東亜戦争の金属供出のため現存しない。
現在の梵鐘は、昭和61年に鋳造されたもの。
「宝永五年城主松平対馬守源昭因公寄進 昭和十九年太平洋戦争に供出 昭和六十一年丙寅歳鋳造」と刻まれている。
宝永5年は、1708年。
この年の豊後府内藩主を調べると、第三代藩主の松平近禎だ。
対馬守でもある。
「昭因公」とは、近禎のことだろうか。
次回大分に行く機会に確認してみたいと思うが、ご存知の方にはご教示いただきたい。
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早吸日女神社
久しぶりに佐賀関方面に。
道の駅で、りゅうきゅう丼・関あじ丼をいただく。
早吸日女神社もおそらく5年ぶりくらいだろうか。
ちょうど平成26年3月に修築等が完了したようで、きれいになっていた。
拝殿は実に立派な建築物。
宝暦13年(1763年)再建と伝えられるが、嘉永3年(1850年)という説もある。
87年も違う・・・
屋根には、亀に乗った浦島太郎や竜宮城等が飾られている。
さすが佐賀関、海の神だ。
本殿は、宝暦13年に肥後藩主細川重賢により再建された。
佐賀関は、大分県に属するが、江戸時代においては熊本藩領だった。
宮司の小野家住宅は、明和年間(1764~1769年)の建築。
江戸後期の様式を持つ大分県下に残る数少ない社家住宅で、大分県指定有形文化財だ。
屋敷内には、加藤清正を祀る小祠もある(写真手前)。
小野家住宅の前に、お菓子の高橋水月堂がある。
明治39年創業の老舗だ。
天皇皇后両陛下も召し上がられたという関あじ・関さば最中を購入。
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