アマオケ活動記ブログ版

所属しているアマオケ(群馬シティフィル)での活動を中心に演奏会案内や練習状況など零します。

ショスタコーヴィチを聴く

2012年03月06日 | Weblog
ショスタコーヴィチ交響曲10番
カラヤン指揮 ベルリンフィルを聴いた。

マーラーの「大地の歌」を聴いてから聴いた方が良かったかもしれないが、マーラーはちょっともうおなかいっぱいになったので手元にあったCDを飛ばして(「復活」とかもあった)たまたま次にあったやつを聴いたのだが、これがまあ重い。
カラヤンはショスタコではこの曲しかやってないらしい。
そもそもスタイリッシュなカラヤン(と言う言い方が正しいかどうかはおいとくが)この曲をなぜ振ったのか、そこには政治的な絡みでもあったんじゃないか?と勘繰ったりしてしまうが、まあその辺のとこは置いておく。
一曲しかやらなかったとこを見ると、カラヤンはショスタコの曲を別に好きではなかったんじゃなかろうか、だってなんかこの音楽性がもう暑苦しいじゃないっすか…w

それはそれとしてこの演奏自体は素晴らしいのではあるが
いやまあ、もうほんとにおなかいっぱい。
全然好きにはなれない。
共産圏の鬱屈と憤懣の音楽。
独裁者スターリンの死後、一気に書かれた曲らしいが
スターリンのスケッチとかなんとか作曲者本人の言質もあったり?でもスケッチとかより、ともかく溜まりにたまっていた憤懣が一気に噴出するかのような荒々しい情動だけはよく分かった。
最終章では解放もあるが、美しさはない。
ロシアではなくソ連の音楽である。
楽典的な知識がないので、オーケストレーション云々の部分は全然分からないので、暗い情動の噴出の音楽を聴いてもなあー、好きにはなれそうもない。
なんとなくアーミーカラーの国民服を着た団体が無機質にかつ荒々しく動くようなバレエをイメージした。そういう振り付けには生きる音楽かしらん。
しかも、この作曲家は自分のイニシャルのモノグラムを音楽の中に入れてるらしい。なんちうナルシスティックな;きもいわ#

Wikiより
≫自分のドイツ式の綴りのイニシャルから取ったDSCH音型(Dmitrii SCHostakowitch)が重要なモチーフとして使われている(こうした手法をモノグラムという)。このモノグラムが『ショスタコーヴィチの証言』でスターリンの音楽的肖像画であるとされた第2楽章までは現れず、第3楽章になってから現れ始め、第4楽章に至るとあらゆる場面で用いられることからも、スターリン体制が終焉し解放された自分自身を表現しているのではないかとも言われている。



偶然だが、昨日はスターリンの命日だったらしい;
(余談だがプロコフィエフも昨日命日だったらしい…)

そしてプーチンが再選した。

日本に住んでいても日々鬱屈は溜まるものだが、よそごとながらロシアはもっと恐ろしいように思わるる。

この音楽の持つ憤懣や鬱屈は全世界的にまだまだ全然現役だ;
もっと美しい音楽が満ちる世の中になってほしい。



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