アマオケ活動記ブログ版

所属しているアマオケ(群馬シティフィル)での活動を中心に演奏会案内や練習状況など零します。

2楽章だった;

2008年03月03日 | Weblog
先回の日記でカウントが取りづらい「3楽章」を譜読みしていったと書いたが、2楽章の間違いだった;
どうも一つ振りのこういう音形の楽章ってイメージ的に3楽章にありがち、というのがあってつい間違えてしまったーー。
一つ振りって難しいんだよなあ。そんで私はシンコペも苦手だし。
へミオラって何?それって食べられます?ってくらいなもんだし。

話はまったく変わるが、私は九州の片田舎育ちで、両親ともに音楽の素養はまったくなく家には音楽的環境はなかった。
強いていえば、二つ上の姉がピアノを習っていて、さらには中学でブラスに入り、クラリネットを始めた。姉は負けず嫌いで優等生で中高と殆ど首席で通したような人だったから、クラものめりこんで、わざわざ自分で楽器も買ってしまったくらいだ。その姉の影響で私も中学ではブラスに入ってクラをやった。
私はなぜだかE♭クラリネットだったが;

なんで私ら姉妹は音楽に向かったのかなーと考えることがある。姉はピアノを習ったが私は不器用だったので、人前で恥をかくのが非常に嫌いだった。両手両足別々のことをやるなんてムリ!と思って、できないこと苦手なことを避け、ピアノではなく書道を習っていた。でも音楽は好きだった。

うちの両親は田舎者だったけども、やっぱりどこか美しいものに憧れるようなところがあったのだろうと思う。
LPなんてまだまだ高くて家にはそんなに枚数もなかったが、私が子供の頃に繰り返し聴いた一枚が「少年少女世界の旅」とかなんとかいう世界の童謡みたいなものを集めたものだった。ウィーン少年合唱団の歌う「美しき青きドナウ」で始まるそれを私はなんだかたいそう気に入っていつも繰り返し聴いて、歌詞カードを見ながら適当なドイツ語で一緒に歌ったものだった。小学生くらいの時。
多分私が今クラシックをやってる原点はあの一枚のLPだったんじゃないかな、という気がする。
高校の時は合唱部しかなかったから合唱に入ってソプラノで歌った。大学では合唱も吹奏もあったのになぜか管弦楽団を選んだ。バイオリンがやってみたい、ただそれだけだったのだけど。歌を続けていても良かったのだけど。

それと文学と絵画への憧れも、やっぱり家の環境にあったのかなあ。。とも思う。母は昔文学少女だったんだそうだ「昔狭き門とか読んだのよ」と言ったことがある。(私は今だに読んだことないよ>母)
父が私らに揃えてくれたのは小学館の「少年少女世界の文学全集」。
家にはそんなにたくさん本はなかったから、ともかく私はこれを繰り返し読んだ。ドイツ、フランス、イタリア、中国、ロシア・・様々な国の物語を綺麗な挿絵で読めたのは子ども時代の私の原点になっている。
(ちなみに中学・高校時代は図書室に毎日通っていたので、学内で一番本を借りたと表彰されたことがあったが;単に本を買えない貧乏だったからでは;という思い出が。)
国によって違う世界観・イメージがあることがここで自然に吸収できたのは良かった気がする。。。というのも、今、音楽をやっていて、曲を聴くとぱーっとイメージが広がるからだ。楽典の難しいことは勉強していない私には分からないのだが、作曲家がイメージしている音が理屈抜きに分かる部分がある、それはあくまでも気がするだけなのだが;それがいわゆる「感性」というものなのだとしたら、田舎育ちながら、本好き音楽好き絵画好きに育ててくれた両親の憧れに感謝したい。あの人たちは何も持たなかったけども、何かやっぱり原点を与えてはくれていたのだな、という気はする。


・・とはいえ、広がるイメージを具体的な音にするのは結局は音楽的なテクニックであり、知識であり、練習である。。そこに対してセンスをもってるか?というと、うーん、、という感じなので、やっぱり地道に精進あるのみだな;

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