遠州の遺跡・寺社・地名 97 浜松の船岡山と京都の船岡山
「遠州の遺跡・寺社 71 坂上田村麻呂伝説、東区半田山の船岡山・法源堂 」で紹介した「船岡山」ですが、その名前の起源は、どうも京都の「船岡山」ではないかと思いつきました。
京都の船岡山は北区にある112mの岡で、平安京の南北の中心軸である「朱雀大路」の延長線上にあるため京都の都市計画の原点になったのではないかという説があります。
船岡山には岩石祭祀の跡があり、平安時代にも宮廷の祭祀の場とされていたので、京都の原点という資格は充分あると思います。
清少納言さんの『枕草子』の「231段」に「岡は船岡」と出ているそうですので、やはり「整地」だったのでしょう。
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そういう「船岡山」が浜松にあって、しかも古代の坂上田村麻呂伝説に関連して出てくるということは、渡来人の伝説と言うことです。京都が渡来人の「秦氏」の地盤だったことは有名ですし。浜松でも坂上田村麻呂伝説の「漢氏」計だけではなく、「八幡」の地名がたくさんあるように「秦氏」がかなり栄えていたことは確実です。
浜松の「船岡山」の南には、浜松の古代の中心都市があるでしょうか?古代から中世の「曳馬宿」があって、京都と浜松、規模は違いますが、北の「船岡山」とまっすぐ南に伸ばした「中心市街地」ということは共通しています。
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和歌山県に「船岡山」があるのを見付けました。関係あるかどうか。
滋賀県東近江市にも船岡山がありました。ここは万葉の「蒲生野」で、南に都市はなさそうです。滋賀県の「船岡山」は渡来人と関係ありそうですが。なぜかというと、天智天皇は「百済系」、天武天皇は「新羅系」という説があるからです。
新潟県小千谷市にも船岡山がありました。