雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

古代ブログ 70 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 38 東区豊町の羽鳥八幡神社 <再録>

2018年06月26日 11時24分56秒 | 遠州古代史

古代ブログ 70 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 38 東区豊町の羽鳥八幡神社 <再録>

 
「遠州の遺跡・寺社20 豊町の羽鳥八幡神社

2010年07月28日 05時31分28秒 | 遠州古代史

 笠井市街の東側の田園のなかに、この羽鳥八幡神社があるというので、行ってきました。

 神社は南向きで、やけに長い参道(アプローチ)を歩きます。

 祭神は誉田別命、つまり応神天皇です。
 まあ八幡神社なんだから当然ですね。

 なお「八幡神社」とは「8のはた」という意味で、漢音読みをすると「はちまん」ですが、日本語読みをすると「やはた」になります。
 北九州市の「八幡」ですね。
 このことも、もっと深く考えたいと思います。

 問題は「羽鳥」という名前がつくことです。
 ここの地名は「豊町羽鳥2174番地」で「羽鳥」は、たぶん字(あざ)名だと思います。

 この「羽鳥(はとり)」は、当然、「服部(はっとり)」や「秦(はた)氏」を連想させます。
 つまり、朝鮮からの、鳥をトーテム(部族のシンボル)にする渡来人系の神社ではないでしょうか。
 もちろん、神社の説明にはそんなことは一切、書かれていません。
 石に刻まれた説明では「創立は不詳である。当社は江戸時代にて」と書かれているだけですが、もちろん、江戸時代に創立されたなんてことは無理です。
 
 なぜなら、この羽鳥八幡神社の南側に、東西を横切る道路を隔てて、浜松市の沖積層では希な、有名な「蛭子森(えびずもり)古墳」があるからです。
 つまり、神社と古墳は一体のものです。
 ということは、この羽鳥八幡神社も、蛭子森古墳の時代までさかのぼることもあり得るということです。
 と、すると、蛭子森古墳の時代である古墳時代後期まで神社もさかのぼっても、おかしくないでしょう。

 蛭子森古墳自体は、もう一度、「遠州の遺跡・寺社」で考えたいと思います。
 蛭子という名前も、考察の余地がありそうです。
 なんて、おもしろいんだろう!

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。