雨宮日記 11月3日(水) 里山で草刈りと「沢へ降りない常識」談義
土日が通常の休みのN子さんですが、このところ土日に他の予定が入っていて、里山にいっしょに行けませんでした。
久しぶりに、N子さんと一緒に里山へでかけました。
ぼくの命名する「トンボ谷」の6段の「棚池」は、FさんとKさんとU♀さんで、ほぼ水の道をつくり、整備をして、周囲の崖に生い茂ったシダや草を刈って、見違えるようになりました。
トンボ谷から振り返ると里の家です。
今日は、里の家の周囲の草を何人かで刈って、里の家も少しキレイにしました。
U♂さんは、新しく買った草刈り機で、上の方から草を刈っていきました。
ぼくは里の家の西の柿の木の周辺の生い茂った草を少しづつ克っていきました。
N子さんは、その西で、上から下へ下る窪地の草を刈っていくと、左側のお茶の木のためものか、昔の石垣が見えてきました。
U♀さんは、橋に使った木の幹の残りを電動のこぎりで切って運んだり、里の家の中をきれいにしたりしました。
里の家も、その周辺と裏山も、まだまだたくさんの仕事があります。
冬のあいだ、いろいろしたいと思います。
夕方、みんなで集まってコーヒーを飲み、お菓子を食べて、いろいろ話をしました。
川根での「ハイキング遭難」の話になって、何の準備もなしに山に行くのは、たんなる「バカ」であるという結論になりました。
それと「沢へ降りない」のは常識なのに、という話になりました。
そういえば、むかしの古道である「秋葉街道」は、天竜川よりかなり山の上にありましたね。
科学的に言うと「危険な沢へは降りない」となるのですが、縄文時代からの日本人の信仰と常識から言うと、いつ水が出て荒れるかわからない「川」は女性神である蛇や竜がシンボルです。
たたりや水害を恐れて、山の上に道を作り、浜松の縄文時代の代表的な住居跡、蜆塚遺跡のように、高い台地の上に住居をつくろのも「沢に降りるな」と同じ思想だと思います。
土日が通常の休みのN子さんですが、このところ土日に他の予定が入っていて、里山にいっしょに行けませんでした。
久しぶりに、N子さんと一緒に里山へでかけました。
ぼくの命名する「トンボ谷」の6段の「棚池」は、FさんとKさんとU♀さんで、ほぼ水の道をつくり、整備をして、周囲の崖に生い茂ったシダや草を刈って、見違えるようになりました。
トンボ谷から振り返ると里の家です。
今日は、里の家の周囲の草を何人かで刈って、里の家も少しキレイにしました。
U♂さんは、新しく買った草刈り機で、上の方から草を刈っていきました。
ぼくは里の家の西の柿の木の周辺の生い茂った草を少しづつ克っていきました。
N子さんは、その西で、上から下へ下る窪地の草を刈っていくと、左側のお茶の木のためものか、昔の石垣が見えてきました。
U♀さんは、橋に使った木の幹の残りを電動のこぎりで切って運んだり、里の家の中をきれいにしたりしました。
里の家も、その周辺と裏山も、まだまだたくさんの仕事があります。
冬のあいだ、いろいろしたいと思います。
夕方、みんなで集まってコーヒーを飲み、お菓子を食べて、いろいろ話をしました。
川根での「ハイキング遭難」の話になって、何の準備もなしに山に行くのは、たんなる「バカ」であるという結論になりました。
それと「沢へ降りない」のは常識なのに、という話になりました。
そういえば、むかしの古道である「秋葉街道」は、天竜川よりかなり山の上にありましたね。
科学的に言うと「危険な沢へは降りない」となるのですが、縄文時代からの日本人の信仰と常識から言うと、いつ水が出て荒れるかわからない「川」は女性神である蛇や竜がシンボルです。
たたりや水害を恐れて、山の上に道を作り、浜松の縄文時代の代表的な住居跡、蜆塚遺跡のように、高い台地の上に住居をつくろのも「沢に降りるな」と同じ思想だと思います。