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雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

過去現在未来のメモリーノート 54 「社会主義リアリズム」について 20181210

2018年12月10日 11時59分59秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 54 「社会主義リアリズム」について 20181210


 「唯物弁証法的創作方法」「社会主義リアリズム」というものがある。2つとも戦前の日本の「プロレタリア文学」運動において、指導的理論となったものである。

 今年「第十回手塚英孝賞受賞作」は、谷本諭さんの「「社会主義リアリズム」とは何だったのか ー 二一世紀の目で考える」という論文です。今日はこれを検討しようというのではありません。

 「唯物弁証法的創作方法」「社会主義リアリズム」を見るのに谷本諭さんの論文が適しているので、これで一瞥した上でボクの意見を書こうと思う。

「唯物弁証法的創作方法」「社会主義リアリズム」の命名に、文学の方法的混迷が現れているように思う。

 「唯物弁証法的創作方法」というが、「唯物弁証法」は哲学の理論である。哲学と文学ではジャンルが違い、方法も違うと思う。

 「唯物弁証法」は哲学の方法ですらない。哲学の方法で到達した理論的結晶が「唯物弁証法」だと思う。「方法」ではない。

 なにか勘違いか過誤がありそうなのだが、蔵原惟人さんの評論がまだ手に入らないので、今回はパスしておく。

 「社会主義リアリズム」のほうは、さらにおかしい。「社会主義」は社会体制である。どうして体制名を文学の潮流名にするのか。

 「奴隷制ロマンティシズム」「封建制リアリズム」「資本主義ロマンティシズム」「共産主義リアリズム」は存在するのか。

 「進歩的リアリズム」とか「批判的リアリズム」という言い方なら、その当否は別にして、感覚的にわかる。

 哲学や歴史の方法を、そのまま文学の方法とすることの無理・無茶について考えてみるべきではないか?

 


宮本百合子さんの1938年(昭和十三年)12月15日・16日・17日の手紙

2018年12月05日 13時16分52秒 | 過去現在のメモノート

 

宮本百合子さんの1938年(昭和十三年)12月15日・16日・17日の手紙


 この頃、宮本百合子さんの『宮本百合子全集』が出てきたので、日記や手紙をランダムに読んでいる。綿密に読んでいくのは来年にするが、いくつか気のついたことを書き留めておきます。

 宮本百合子さんと顕治さんの『十二年の手紙』は治安維持法などで非合法とされた日本共産党の中央委員だった宮本顕治さんが監獄に投獄されため、1934年から1945年までの12年間に書かれた宮本百合子さんの「獄中への書簡」と宮本顕治さんの「獄中からの書簡」です。

 以前、ボクが70年代に読んだ2人の『十二年の手紙』は筑摩書房の2巻本で「百合子凡そ千余通、顕治四百通ほどの手紙の中からえらび出されたもので」(「はしがき」)す。

 宮本顕治さんの『獄中からの書簡』(新日本出版社、上・下2巻)も手に入って、百合子全集の4巻(19~22巻)と併せて読む条件はできたのですが、いまはゆっくり読む時間がまだありません。

 表題の「宮本百合子さんの1938年(昭和十三年)12月15日・16日・17日の手紙」のことだけ触れます。

 これは「第八十二信の(A) さていよいよ総ざらいを始めます。これを、私は真面目な文学上の仕事に向うと同じような態度でやりたいと思う」で始まる重要な手紙だと思います。

 実は『十二年の手紙』を読んだ時点ではボクは知らなかったのですが、この12月15日の手紙に「第八十二信の(A)」とあるように、続きがあります。

 『宮本百合子全集 第19巻』を読むと、p556から562の7ページにわたっている。その後、12月16日に「第八十二信(B)」が7ページ、そして12月17日に「第八十二信(C)」が6ページと続いている。

 この「B」「C」が『十二年の手紙』にはカットされている。これはなぜなのか。

 今はわからないというしかない。わかったら書きます。謎ですね。

 「重要じゃなかったんでしょう」なんて人がいるといけないから、念のため「青空文庫」から手紙の該当部分を引用しておきます。

 「十二月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 第八十二信(A)
 さていよいよ総ざらいを始めます。これを、私は真面目な文学上の仕事に向うと同じような態度でやりたいと思う。文学の諸問題にふれてゆく場合、或は小説をかく場合、私たちは一々読者の反応ということについて拘泥しては居ない。描こうとする対象の世界に没入して、最もその真髄的なものを描き出し形象化そうとする。その過程に創作のよろこびを感じる。これはそのような態度で扱って行きたいと思います。自身の内外の中に沈潜する。そしてその推移を辿ります。疑問と答えとを捉えて行ってみよう。自身の愛するものが、直接それによって、どう顔つきを動かすかということにこだわらず。

 夏以来いろいろと大切な問題が出ていて、それについて自分は決していい加減な気持や態度や気休め的答えはしていなかったと思う。真面目にふれ、とりあつかって来てはいるのだが、回顧して見ると、まだまだ強力な全面的把握に到っていなかったしその真面目さも部分的であり、トーンにおいては傷心的でもあったと思う。飛行機が着陸しようとするとき段々に下降して来てつと地表に滑走輪をふれるが、弾んで又はなれ、はなれて又ふれて来て、そういう運動をくりかえす。いくつかの問題とそれに対する自分の心持とはいくらかその関係に似ていたところがあるように思われる。或とき触れる、相当つよくふれる、地面に深い跡をのこす。だがやがて又はなれて行っていて、或ところで又ふれる。深浅に差があり、間がとんで、いずれにしても外部的であることに違いはない。真面目さと云っても、どういうものであったろうか。問題の核心と自分の内部とがぴったり一致して生じる落ついた、平らかな、追究的なのびた力ではなかったと思う。不安が真面目にさせる根柢のモーティヴであったと思う。不安で、軽々した気分で扱えもしないし、はぐらかすことなどもとより出来ない。しかも問題を出される真意も、それを受動的に受けて苦しんでいる自身の心の内部をも、よくわかっていなかったと云える。しかも一面では、自分がとかく云われる言葉を感情的にうけること、それを全体とのつり合いの上で感じず、局部的なものを全部的にうけること。その反応のしかた、答えかたも、どうも自分の一番健全なところが張り出され切らないことが苦痛に自覚されていた。
 風邪で臥て、天井を眺め、朝から夜まで絶えずそれらの点を考えつづけていた。肉体の妙な不調和で夜もよく眠らない。従ってその間も頭からぬけない。そのうちの一日、栄さんが一つの手紙をもって来てくれた。それを読み、キュリー夫人について書かれ、所謂家庭での点の辛さについて、婦人の能力について諦観的限度を認めていないということ、しかしその大志は婦人自身によっても日常的には歓迎されないらしい、と書かれているところを読んだら、ずっと雲が追っかけ追っかけ走っていた空の底に、全く碧く澄んでいるより高い空の色が見えた感じがして、極りわるい位、くりかえし手にとりあげて読み直した。
 果して、自分は大志によって諸問題をとらえ、それを噛みこなしていたろうか。女房的なもの、相対的なもの、互の機嫌に連関して感情的に作用するものとして受けていたところはなかったろうか。自分たちの間に生じる様々の問題は、根柢にあっては常に大志に根ざしているものだということは、何年かの生活とその蓄積とによってわかってはいるのだが、そうわかりつつ、直接の扱いは相対的で、大志によるものという考えかたは或意味でのマンネリズムに堕してはいなかったろうか。さもなければ、ひとにあてて書かれ、一般的に云われているこの言葉が、どうしてこうも新鮮に、ブレークの空のような色で自分をうつのだろう。そして、自身の成長に限界をおかれていないという歓びの感覚が、おどろきの如く感じられるのも、何故であろうか。

 それからは、やや焦点がきまって来て、この半歳における自身の受動性について考えられて来た。積極的に打開し、解決しようという努力はあるのだが、それが発揮されなかった諸原因について。自分の手紙につきまとった或る当てのない痛心や卑屈さやについて。ちっとも求められていたものでないそれらのものが、書いた字数の過半を埋めていたことについて。
 七月下旬、キンシカイジョケンジという電報が来たとき自分はサーッと門が開いて、そこに手をひろげてサア来ていいよ、という声をきいたように思った。頭からとび込むような気で、謂わば眼をつぶって全感覚をうちまかせて、空気そのものからさえよろこびを吸い込もうとする貪婪さで歩き出した。
 抽象的な形で、うれしさがつづいていたと思う。さて、いよいよ「是好日これこうじつ」のうちつづきという単純なむさぼりがあった。
 ところが、現象的には却って思いがけない程昔のこと(自注14)が今とり出され、それについての実際うすれてしまった記憶の喚起が求められ、又、何年間かの生活態度について、急襲的な批判が起って来た。
 自身の生きかたがこれまで間違っていたとは思わず、より成長するために新たな刺戟、脱皮が必要に迫っているということを自覚しているところまでは敏感でなかった状態であったから、これは雨霰あめあられと感じられたのはさけ難いことであった。同時に、主観的な態度では実に二人の生活を大切にして来た。これまでの何年間か。些の誤解や喰いちがいやの生じないように、波浪の間に在るからこそ、互の生活こそは玉の如き玲瓏れいろうさにおこうと努めて来ていて、それは実現されていると思いこんでいた。沢山の生活の語りつくされていない部分が、毎日会えるようになって語られ、時間にすれば数時間にも足りないこれまでの何年間かの生活の補強工作がされる時期として、リアリスティックな用意で感情が整えられていなかった。従って、こういう形で生活の充実がもたらされるべき機会という今の自分の心に生じている摂取力がなくて、いきなり感情の居心地わるさ、当惑、不安。何とかして早くこういうときをぬけたいと思う心。そのために、箇々の問題の出されるごとに、一生懸命それにしがみついて、答えつつ、基本的に見れば、受身で相対的で、それによって現われる一つ一つの表情に、実に現象的に一喜一憂して来たと思う。実にその点では、これまでの自分の生涯に嘗て経験しなかった一喜一憂であり、毎日顔を見るという感性の刺戟が一層それを増し、きのうの顔、きょうの顔、きのうの手紙、きょうの手紙、それらの間に揉まれた。揉まれつつ、やはり根本は大志に根ざしていることは見失えず、従って、非合理な哀訴や悲鳴や涙は、それとして押し出せない。何か耐え難い心であった。
 これには、微妙に生活の又ほかの面からの影響とも交錯していると思う。例えば、自分が今書くものを発表出来ない条件にいること。そのため、そういう自身の立場を一人の人にこそ十分に肯定して欲しいと感じている甘えた心。及び、秋ごろ突発的に身辺に生じた紛糾(友人間のこと)で、友情とか善い意志とか或る認識の到達点への信頼とかいうものが、甚しく崩されたこと。それらの悪気流もからんで、感情的に主観的に傾かせた。
 自分たちの生活だけは明るさで貫きたい、その希望は正当であるが、姑息に陥って、鼻息をうかがう的になって、却って雲を湧かせることになったのは興味深く、おそろしいところと思う。
 段々と環を狭めて行って、更に考えの一つの核が発見されるようになった。それは、退院後の余り威張れない効果をともなった態度(自注15)という点。
 このことがとり出されたとき、何より自分は苦痛の感じで間誤ついて、わるかったという風に思い、言葉に出して弁解の余地はないとも云った。けれども、猶横になっていろいろいろいろ考えて見ると、自分の心持として当時のいきさつがどうしてものみこめない。良人に対してどのように一貫したかということとの連絡で、どうしても単に効果として云われたことを、へいとそれなり自分が承知したとすれば、その不見識というか、もろさというか、それがどうも腑に落ちない。自分は一刻も早くかえりたかったのだろうか? 決してそうではなかった。父がよくこう云った。お前のすることは間違っていないと思うよ。だが、儂わしは切ないからね、可哀そうで切ないから、儂の生きている間はそういうことのないようにしておくれ。もう僅かだよ、二三年の辛抱だよ。よくそう云った。その父は、自分が最も心にかけていた状態において死んだ。思いのこすことは一つもなかった。一つの状態がさけ難いなら、そこの必然を最も純粋に経験すること、それが、人間、作家としての何よりの価値である。まして況いわんや。
 条件的なことであったら勿論断っていたに相違ない。あのとき自分がそれをしかたのないことと思ったわけは何であったろうか。後、わざわざその点をきいたとき、曖昧にしていたと云われるが、それは何故だったのだろう。何か誤間化していたのだとも考えられない。
 当時の状況を細かく思いおこそうとしていて、不図一つの事実を思いおこし、それが法律上の性質を帯びていて、一定の期間の作用をもつのであったことを思い当った。(きのう、一寸話したこと)そして、そのことを当時きかれたとき、今日の二人の条件とは異っていた(自注16)ので、云い難かったこと、それで云えなかったのだったことを理解した。
 何という自分は驢馬ろばだろう。すぐびっくりする。途方にくれる。いきなり悪かったと思う。何という驢馬だろう※(感嘆符二つ、1-8-75) 自分に腹立たしく思った。
 続いて、一層深く沈んで、このようなこと総ては、単に、私は何て馬鹿なんでしょうと云って、それに答えられる何か優しい言葉を期待するような種類のことではなくて、自分の生活というものが、一画一画を鮮明につかまれて来ていないからであると思わざるを得なくなった。明確に、コンクリートに各モメントがつかまれていないから、時期的な推移がそれなりに作用して、昔は昔のように遠くなる。時間的に逆行した話題が出ると間誤つく、内容的にまごつく。
 この自省は一つの大きい輪を描いて、自分がいくつかの問題の出たこの半年間に、何故受動的であったかということへの自問のところへ戻って来るものです。
 私は、これまでのように、自分が箇々の問題にくっついて歩いていたのでは、何の意味もないと思うようになった。ユリ子論が必要と云われる、その意義がのみこめた。そして実にこれからの自身の成長は、独特な条件から最も健全であって、而も不健全に堕す無数の可能にとりまかれている、その中で成長しなければならないという意味で、自分が先ず鮮明にこの数年間の自身とその環境との諸関係を見直さなければならない、誰の御機嫌のためでもなく、道徳的な満足のためでもなく、全く生きて、成長する必要の点から、それをしなければならない。

 くどいようであるが、これが、自分論をかくに到った過程です。序説です。人間、作家それぞれにタイプがある。構成的な人間は、飽くまで意力的に構成的に人生に向うべきで、美や輝はその最高の状態においてのみ望むべきであると思う。ソフト・トーン(弱音器)をかけての演奏では本音が出ない。
 私は、ユリ子についての話をはじめ、研究をはじめる決心がついたとき、思わず床の中で一種の呵々かか大笑をやりました。遂にあなたのローマ式攻城法は成功をした、と。元よりこれには私の一番真面目な感謝とよろこびが含められての表現です。では、明日、つづけて。

(自注14]思いがけない程昔のこと――一九三五年五月から一九三六年春にかけて百合子が市ヶ谷にいた間の顕治に対する差入状態。
(自注15]退院後の余り威張れない効果をともなった態度――戒厳令下の事情という判事の言葉に制約されて、百合子が公判までの三ヵ月ばかり顕治に差入れに行っても面会せず、公然と手紙を書かなかったこと。
(自注16]今日の二人の条件とは異っていた――接見禁止中、書信禁止中は立合看守によって記録される面会の時の話の内容と、双方の手紙がみんな予審判事のもとにまわされた。

十二月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十二月十六日  第八十二信(B)
 成長の跡をさかのぼって考えて見ると、自分の過去において「私は」という一句が、非常に重大な各モメントにあらわれている。子供っていうものは大人のいうことをきくもんです、だって私いやなの。からはじまって、「貧しき人々の群」は、素朴ながら社会的に私はというものを、当時の既成文学の趣向に向って主張したものであったと思う。以来、環境が必然する様々の習俗に対して、矢面に立ちとおしたのは、私はそう思う、思わない、仮令たとい誰がどう云おうと、という一貫性であって、このことは、漱石などが、若い青年たちに向って語ったこと、並、彼自身の生きかたとの対比でなかなか歴史的内容をなすと思う。漱石も、学習院の講演にモウニングコートを着て出て、あなたがたのような境遇の人々は、周囲の習慣、しきたり、人々の言で、一生を支配され易いものだ。決して人まかせに一生を送ってはならない。自分がわるいと思ったら千人が其を平気でやってもやるな。自分がよいと信じたら只一人であってもそれに従え。というモラルを語った。漱石はそう語りつつ、自身のうちにあるそれ以前の教養の重圧で(後年はたしかに重圧的なものとなって出ている)生活の本質的な成長を、その力によって押しすすめることは不可能であった。
 自分の時代においては、この私はこう思うはもっと実践力となっていて、同時に、前時代の青鞜がアナキスティックに女権を主張し、男に対する自分たちを主張した段階からは質的に違っていた。男に対して女の生活を云々するばかりでなく、男の生きかたというものも、人間生活という概括の中に観察の対象となっていた。「伸子」あたりまでは、「私は」の限界性が自覚されず、しかし自然発生的には人間的に大なるプラスの生活力として作用して来たのであった。
「伸子」以後、私というものの内容について吟味する能力が生じ又、私はだけでは全く解決力のない現実の組合わさり工合というものが客観的に見えるようになり、社会的な意味では従前より女というものの歴史的なありよう、その影響が明瞭になり、その意味で、私は、より広汎でリアルな複数、私たちに発展した。一応世俗的にはよい環境と一口に云われる生活の中から、身に合わぬものを主張して、私は、でのびて来た生長過程は一つの重大な特色として、自分の作家、女としての生活に関係していると思う。この刃先は、勤労的な環境の中で育った人が、私というものは自覚せず、つまり私はいやだ、というのではなく、そういうのはいやだ、という風に、いきなり生活条件を感じて育って来ているのとは、精神内容として少なからず違っていると思う。後の人が、スラリと現象をうける代り、又スラリと流されてしまう傾向に対して、前者は、終始を自分の態度として意識して行為する傾向がつよい。広汎な複数的婦人生活の波に加ってからも、その一要素としての私、は決して全然より高ママ汎な複数の中に溶け切らなかったし、又、現実の諸条件が歴史的にもその可能を十分発揮していなかったのでもある。かくて、ひろがり、高まりつつ一つの核をもった形で、複雑なくみ合い工合で、波瀾に面した。
 生活の諸事情は実に急激に推移して、文学についての考えかた、リアリズムとは何か、ということが考え直されるようになった時代から、複数的私は最も質のよくない分裂をはじめ、その現象は次のことを深く感じさせた。これまでの複数の形は、一つ一つの我が箇人的成長の頂点までギリギリつめよった揚句での飛躍ではなかったこと。寧ろ一つ一つとって見ればしいなであって十分の結実はしていないこと。文学に即して云えば将来事情によっては文学的才能を発揮し得る力を包蔵しているというのではなく、却って、そいう内から破ってゆく独創的な力、新鮮な生活力が多くないために、一つの磁石に鉄屑が吸いよせられるような工合であったこと。しかしながら、日本の文学というひろい面で見れば、或年以後の日本文学史は、動かすべからざる一つの新しい力によって、要求によって貫かれて居り、文学の方向としてそれの正当さは益※(二の字点、1-2-22)つよく理解される。一人一人が作家としてしいなであるということに一層明かに文化の土壌というものが反映しているのであるから。
 狭い誰彼の身ぶりに向って注がれていた眼は、追々それをはなれて、文学の面での諸問題、生活的な面での諸問題の究明への方向をとり、同時に、云って見れば一般の文学的理論的語彙さえ当時にあってはドンドン変って行って、技術上の練達が益※(二の字点、1-2-22)要求されたため、自身の文学的蓄積の効果は嘗てない程度に有要であった。自分はそれらのものをよく活用して、健全な生活と文学との有機的関係を自身の生活そのもので語ってゆき、書いて行かなければならないと思った。それは自分の一つの義務であると感じた。何故ならば、自分が真に発展的一歩を与えられた文学の時代は、所謂批判を歪んだ利害によって蒙って居り、而も箇人的な諸条件から、生活的に文学的に自身が其に属すれば、一部の低俗な生活、文学の常識は、文学と生活とを貫く健全性そのものの否定的実例として自分をあげるにきまっている。自分より低くとんだ鷲を鶏は笑う。笑う鶏が問題ではない。笑う鶏と笑われる鷲とのいきさつを、秘かな良心の鼓動を感じつつ見守っている者がある。そのおだやかな良心というか、これから飛ぶ稽古をしようとしている若鳥に、或確信を与えることは先に生活をはじめた者の責任であろう。鷲は遂に鷲であることは知らなければならない。
 愛情の面からもこのことは複雑に考えられた。自分だけに分っている愛、自分だけそれで守られ、それに献身しているとわかって満足している愛の形体は、抑※(二の字点、1-2-22)から歩み出しているのではなかろうか。社会的な歴史的な実質をもつものとして、それは当然生活と仕事との成果のうちに語られねばならず、現実の特殊な条件は日常の表現のミディアムとして自分だけを呈出している形である。自分が真に説得的な文学的活動を行うこと、そして一つの困難をぬける毎に益※(二の字点、1-2-22)生活的に強固になりまさりつつ文学的豊饒さを増してゆくこと、そういう現実の果みのりに於て、その原動力となっているものの豊かさ、純一性、成長性が、感銘されるべきものとして理解されて来るのであると思った。
 其故、或時期、誰彼に対する自分として現れた主張は、ひろめられ、或文学的潮流に対するより健全、理性的な文学本質の呈出としての表現に代り、論敵を目ざさず、第三者としての読者への説得力を増すことに努めるようになった。この文学上の努力は、複数的我のこわれた当初、自分をとらえかけていた一つの危機を切りぬけさせ、私ぬきで正当であるから正当であると云わせ、感じさせる方向におし出した。
 文学におけるこういう必要は、生活的な場合にも同じ必要を感じさせ、自身としての一つのプログラムを与えた。あらゆる場合、必要さけ難い以上の壮言は行わず、しかし健全性の根は決してほじくりあげられて枯らさないように。自分はどんなことがあっても作家であって、アクロバットの芸人ではないのであるから。女及び作家として身につけているだけのことは、人間が人間以外のものであり得ないと等しいのだから。
 生活の或期間、そのプログラムで一貫した。
 ローマの法王庁の或祝祭で、法王が立っている最上の段階まで大理石の数千の段を参詣人が這ってのぼって行って、その裾に接吻する式がある。その中でもしまともに歩いて階段をのぼる者があれば、それが自然であるとしても、目立つということになる。(余談ながら、ルーテルは、この式に列して非常な懐疑にとらわれた由)文学的な仕事も依然として自然発生的な洞察力みたいなものに導かれつつもやや勉強法が分って来て、文学における日本的なものの擡頭の時期は、少しは歴史そのもののママ即しての文学的言説を行うことも出来た。続いて、所謂大人の文学の提唱があり引つづきヒューマニズムの論があり、文学のモラルの問題、ルポルタージュの問題があり、それらを自身としてはリアリズムの太根にぎっしり据えて扱うべきが正しいという、自身の文学的プログラムによっていた。
 ところで、この時代に入ってから、(ごく近い。一九三六年のごく末から三七年)自分というものの箇的な作用が、従前より一層複雑に現れてきたと考えられる。それまでの努力の結果、生活的にも文学的にも一般的な或承認を獲ることが出来たが、私へかえって来る承認の形は、時代の性格を反映してどこまでも箇的であった。所謂人物論風である。何によってしかるかとは見ない。一人の作家を活かしてゆく力を見ず、生きてゆく作家一人を見る。自力一点ばりに見る。それは一般の目の本質であるが。当人にその誤りと矛盾とが判っているのだが、例えば賛辞への反駁として、そういう見かたは一人の作家の全貌を語らず、又現実を誤っている。人間の成長はかくの如き諸関係で云々と、まともから云えないような事情にある。それは或片腹痛さであり、賞讚に対して批評があり、賞められてうれしくて一層へりくだって励むというのとは、少し違った皮肉が加わらざるを得ない。水準は全く低い。それとの対比で現れるために、当人を高めるより低くつないでおく力がよりつよい。無いよりは増しという最低限度の要求が、文化の枯渇の増大につれて切実にましていること。それに答えてゆくことが、いつしか自身の低下への正当化となること。(これは本年に入ってからの一般的現象)
 一箇の作家としての評価というものが、箇人的なものに逆行して行くこと、及びその危険を、ジイドの旅行記批評を書いたとき、おそろしく感じた。(一九三七年正月)ジイドがコンゴ紀行をかいたときの、見せられるものは見ないぞ、私が見るものを見るのだと云って執った態度は、その条件にあっては一つの健全性であった。彼に見せようとされたものは、常にこしらえものであったのだから。彼が目で見た土人の暮しかたが現実であったのだから。然し、二十年の後彼が出かけた旅先の社会条件は、彼のこの箇人主義的な人生態度の枠をこわさざるを得ない力をもっているので、彼は本能的な自己防衛に陥り、現実であるものを見ているくせに、現実として承認出来ず、その裏、裏とかぎ廻って、最も穢い世俗的愛嬌の下に無理解以上の反歴史性をためこんだ。そしてパリにかえって、そのへどを吐いた。歴史はその一方にこのへどを称して、神々のへど(室生さんの題を拝借)とあがめるものがある。そういう心理的な歪みから生じたジイドの今日の全方向は、全く政治的な意味をもってしまった。彼は恐らく意識しているでしょう。
 レオン一家の人々の生きかたも同時的に考えられた。心理的な面から。不敏ならざる頭脳が、人生の或モメントに一つぐれて、感情的な我執に陥り、一見理性による現実の追究の如き形をとりつつ、実は心理的骨格は我執の亡者であるということ、その動機で強いがんばりかたで理論化してゆく熱情。そういう人間のタイプは身辺にもあったが。過去の社会からもち来たされている「我」は歴史的混乱の時期に、何たる微妙な現れかたをするものであろう。そのプラスにおいても、マイナスにおいても。
 そのような反省はしかしながら、おかれている自身の周囲の諸事情をかえるものではない。文学的生活、日常生活は一層箇別的になって来る方向ばかりで、昨年から本年に入っては、社会的性格の広汎な作家ほど現象的には一層箇別化されざるを得なくなり、文学における健全性が世間的な箇別性で逆に語られているような時期に到達している。そのような消極の形しか持てない、それは各自各様の矛盾をもちつつ文学を文学として守ろうと欲している人々、宇野徳田その他の組から川端に到り更にその後の人々に到る一部分となってまで出ている。今日の生産文学は一定の批評に耐えない本質をもって立っている、それ故立ち得ているという現実の故に沈黙を課せられている少数の者の間にさえ、この箇別化は深刻に浸み出している。各人の事情で。一人は執筆を承諾するが、他の一人は配偶者としての感情からも堪えぬ、というが如く。(ここで一区切り。長くなりすぎるから。今日も熱は六・四分。六・三分。せきも減りました。段々外気にも当りたい気持です。)

十二月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十二月十七日  第八十二信(C)
 生活と文学とにおけるそういう環境は、実に多くの危険と困難とを将来に予想させるが既に今日いくたの障害となって現れていると思う。
 箇別的な事情というものが強力に作用していて、Aの事情Bの事情、それぞれの事情の間の評価が弱まっている。文学におけるヒューマニズムの理解が、人情の域まで墜落したきりになっているのだから、客観的な意味でそうなることは肯けるが。一方文学が非理性的な観念で一括されようとするのに対して経験の尊重が文学の中につよい底流をなし始めている。具体的なもの、現実的なもの、そこに真の人間の生活が息づいているものを、文学の新しい要素として期待する欲望であり、文学の観念化に対して健全を求めている現れではあるけれども、これしも、経験を客観的に総括する力、その必要への目ざめが十分に伴わないから、経験主義になりやすい。経験そのもののひろい目からの評価、経験してゆく自分というものの在りようについての目は概してつぶられたままの形であると云える。
 事情は輻輳ふくそうしているから、全体としての文学的プログラム並にその中にあって自分のプログラム(相互的な関係での)というようなものが必要であり、特にこのことは、特殊な条件にある作家にとって痛切に感じられている。少くとも自身の要求として益※(二の字点、1-2-22)切実になって来ている。目前自分として何をやってゆくかということはよく判っているが。作家としての現実の意識は愈※(二の字点、1-2-22)科学的にならなければならず、益※(二の字点、1-2-22)展望力を強めなければならず、十月からそろそろながら進捗している勉学はこの点で決して中断出来ないものだと思っている。流派の問題ではないのであるから。そして、独善居士にならないためには。文学におけるこの部分の問題は、未だ十分の見とおしを立てきっていない。この状態のまま、もっと勉学し、もっとつきつめていけば、やがておのずから会得されることがあろうと信じる、主として方法的のことでもあるのだから。単に知能的でなく自己を拡大させてゆくこと、これは今日の事情にあっては必須のことであり又多大の現実の困難を伴うことなのだと思われる。
 さて、ここで自分の心に一つの疑問が生じている。これまでの沢山の手紙のうちで、自分はどのように、以上のような生活と文学との推移、その間における自身の姿というものを伝えていたであろうか、と。今これを書いている気持とは違う。それは自然と思う。何故なら今これを書いている気持は、自身に主として向っているのであるから。ある閃きの様々な色としてでなく、真面目な問題として、地味にどの程度書き得て来ているかと考えると、疑問になる。文学や生活について自分の感想として押し出されていることは、少くないであろうし、一貫したものもそれぞれの断片中に汲みとれるだろうとは思うが、基本的な調子に於て、果してどのようであったろうか。自身の成長のためにこのところは執拗に、意地わるく追究しなければならないと思う。それは手紙は相対的なもので、ましてや生活の条件から、そこには様々の音響が底に響かざるを得ず、日常生活の間では、例えば一寸した廊下でのすれ違いの互の眼差しで語られる心持のニュアンスも、何かの字で、何かのトーンで伝えられようと渇しているために、直接そのものとして表現する趣味まで低まらない限り、全く客観的なことにそのような気分が伴奏することが多い。情緒的なものは、それとしての消長を自然にもっていて、その生活の間である真面目なことをとりあげて話す調子とはどうしても違う。同意を求める感情にしろ、淡白ではあり得ない。非常に深く感性的なものにまで常に触れて行くのである。
 だが、自分が漠然感じているこの疑問は、それだけでは解釈され切らない。愛情による身ぶりと共に、何か意識されぬ計画されぬ精神的な媚態がありはしなかったのだろうか。ここは微妙だと思う。微妙なところで生粋なる愛情と界を接し、うちまじり、とけ合っているから、切りはなすのは一つの冒険のようでさえある。このような微分的追究に耐える理性と感覚とを信頼して、初めて表現する勇気をも生じるのだが。
 自身の心を強くつよく貫いているよろこばせたい心持、安心させたい心持、自分が愛するものを我が宝と思っている、そのような心で自分をもうけとって欲しく望む心。これが、どのような源泉から出ているか。もとより愛からと云う答えは一般に通用するというより以上実体にふれている。確かに愛から。そして又対手の人生を高く評価していることから生じている。その評価への絶対の信頼によっている。けれども、そのよろこばせたさ、安心させたさが、確信され確保されている真の安心の上に悠々的に発露しているものか、それとも、例えば子供が一つ木にのぼると、勇んで下りて来て、母さん僕木へのぼったよ、と報告せずにはいられない、そういう種類のものか。なかなか興味ある心理だと思う。明かに、自分は愛情に加うるに一目をおいたものをもって対している。非常に一目おいている。それによって、どちらかと云えば極めて従順な心をもっている。しかし、生活の他の一部には、自分として、決して自信なくはない。狙撃的目標として悪く耐えて来ているとは思っていない。これが面白く作用して、大変おとなしく従順であるのに、あるところまで埋ると、何かがんばったようなものが出て来るのではないかと考える。同時に、謙遜な心を十分に認めて欲しさも錯綜して、ある事について語る文調に、内輪な響きより張り出したトーンの方が響き、いつしか一つの精神的な媚態となるのではないだろうか。そして、音響学の原理を考えれば、張り出した響きが出れば出るほど、空間がひろいということになる。一目をおいた気持が決してそれなり通過しない点があると思う。
 それから又、自分は本来相当甘えん坊でもある。天真爛漫甘ったれたい。この甘ったれたさと精神の緊張力とは比例的で互のつよさでバランスしている。相互のリズムが交って生活に弾力を与えている。このことも、やはり何かの形で、語りかたに影響を与えるであろうと思う。そのようないろいろの要素をむき出しにそのままぶちまけず、何かに托す習慣になって来ていることが。感情は激しく溢れんと欲する。素朴な動作で。そのような瞬間、そのまま書いたってウワことである。何かつかまえて云わなければならない。感情の表現が、文字でしかないこと。これは我々の生活上実に実に大きい意味をもっている。幸ある表現力をもっている。其故書いて、書けたようにも感じるが、その書きかたにはいつしか文字でしか書けぬ書きかたが働いていて、耳に入る言葉や動作の動物的な要素、感覚を流れ洗うものが減って、感情さえ理づめになり、やがて又そこを破りたい欲望がロマンティックなものとなっても現れるのではないだろうか。
 自分はこれから手紙のかきかたについてもっと考えようと思う。もっともっと、意味をつけないお喋しゃべり、ホーそうかい、そう思ってよんで貰っていいお喋り、と、それから重大な考えるべき問題をふくんだものとはっきり区別をして。島田にいるとき自分の書く手紙、目白にいて自分のかく手紙、父がいた時分の自分の手紙。それぞれを比べて思い浮べて見ると、何と違うだろう。島田にいるとそこには私たちの生活というものが殆どなくて、ああいうこと、こういうことがありましたと描写報告が多い。父のいた時分の生活は、外部的ないろいろの変化が多かった。ああいう生活らしい色彩を帯びて。目白での手紙は、生活が統一されて一筋のものの上にあるとともに、非常に頭の活動、切ない気持の高まりが反映している。もっと楽になっていいのに。そう思う。健全なそしてくつろいで動的な状態。それを欲しる。そのためにこの連続の総ざらいをも必要とした。益※(二の字点、1-2-22)ひろい、明るい健やかな理性の土台のつよまりが必要である所以。
 時間的にいろいろの細かいことをはっきり記憶によび醒さないこと、その他が不快を与えたと思うが、自身の心理的なものの根を掘り出して見れば、やっぱり動機は一つ性質のものであった。後からこんぐらかって、むしゃくしゃして、平手打ち式気分で語っているが、例えば初めのうちいい人だとか何とか評価していたには、何かそちらとの親密さを告げられるなりに先入観めいたものとしたところがあったからであると思う。後に実際に即して、その人柄が露出した。初めからそれを洞察しなかったことは、自身の人間を見る目のなまくらさである。人生の或時期の生活のありようで生じた相互の関係の形を、それなりの形で評価の実質のように考え混同することは間違っていることを深く感じる。古い友人といきさつにも之は多い。いろいろのことがある。皮肉になるに及ばず、辛辣になるに及ばず、しかし飽くまで実際のありようを見徹す力が、何と必要であろう。
 これらのこと、現在なら生じない条件がある。何故なら先ず第一、その人々の関心をひいた物質的条件がこちらに無くなっているから。今私が金にゆとりあると思っている馬鹿も沢山はないのであるから。そういう意味で、当時の生活の雰囲気が自省される面をもっていることを考える。
    ――○――
 触れるべき点に大体くまなくふれたであろうか。自分としては心持の一番底に足をつけて歩いてまわった感じで、落付いた気分にある。誇張したところは殆どないと思う。どうだろうか。このような調子の総ざらいは、大入袋ではないから景気はよくない。益※(二の字点、1-2-22)質実に、勉学し、仕事をして、二人の生活のそれぞれの時機から学び得るものを十分に吸いとって行くだけしか考えない。もうすこし勉学がすすみ、仕事をやって行ったら、もう一皮という感じで心にある文学のプログラムについての考えもまとまるであろうと思う。
 仕事をもこめて、勉学、勉学! そう思う。そう思うと愉しさが湧いて段々ひろがって来て愉快になって、そちらの顔を顧み、笑う心持になる。ユーモアよわき起れ、と思う。ユーモアの湧く位賢明で強健な肺活量のつよい生活。脳髄と肺や心臓のつよい生活。
    ――○――
 よかれあしかれ、これだけ書いて、すこしはさっぱりしました。毎日八枚を、三時間以上ずつかけて書いた。書いて切々と思う。決して大言するのではなく、冷静に客観的に観察して、現象的な範囲での日常の環境は、私の発育のギリギリまで来ていて、即ち小さい着物となって来ていること、奮励一番して、よりひろい合理的な世界へ自分を拡げてゆかなければ、狭い着物でちぢめられることを感じます。そして、その着物がどんなに役に立たないかということについて再三注意して頂いて有難う。これは心からのお礼です。」


 引用終わり。以上、

 

 


 


過去現在未来のメモリーノート 52 ジャーナリストの「評価」は

2018年11月20日 12時03分33秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 52 ジャーナリストの「評価」は

 安田純平さんについての「たこ 他己」評価がさかんなようだ。「自己責任」という人がなぜ「他己評価」をするのか?

 それはともかくジャーナリストの「評価」はその人が書くものだけで決まる。書く作品が低レベルなら、その人は低レベルのジャーナリストだ。

 姿勢が民主的だとか、平和勢力の側に立っているとか、そいうことは一切関係ないと思います。

 そういう点で、今回は安田純平さんの書いた作品が出てくるまでは、なにもわかりません。
 
 フォトジャーナリストであれば、その人が写す写真がすべてです。フォトジャーナリスト森住卓さんは写真も文章もいいですけどね。

 以下、「過去現在未来のメモリーノート 50 安田純平さんの無事帰国に際して考えたこと」の再録。


「過去現在未来のメモリーノート 50 安田純平さんの無事帰国に際して考えたこと
2018年10月28日 10時02分03秒 | 過去現在のメモノート

 日本人「ジャーナリスト」の安田純平さんが3年半にわたる監禁生活から解放されて無事帰国した。

 要点だけ書く。

 <1> ボクは安田純平さんに心から「無事でよかったね」という。

 <2> 「自己責任」論はボクはとらない。「自己責任」論では人間の生死に冷たすぎると思う。もちろん、それぞれの人生は「自己責任」の側面はある。

 <3> <1>だからといって、安田純平さんの報道や主張が正しいなどというつもりはない。それは、すべて事実と道理に基づいて検証してからの話である。また安田純平さんの報道や主張が、検証の必要がある重みがあるかどうかも別の問題だと思う。

 <4> ジャーナリストの安全という点で今回、安田純平さんのシリア情勢判断に緩みがなかったかどうか安田さんの猛省を望む。

 <5> 金を支払ったのかどうか。カタール政府が払ったという報道もある。ボクは日本政府の例の領収書のいらない金庫から払った可能性もあると思う。

 以上は2018年10月27日(土)午前6時24分、書き終わる。」

 


過去現在未来のメモリーノート 51 過去現在未来のメモリーノート < 1~50 目次 > 20181030

2018年10月30日 09時20分00秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 51 過去現在未来のメモリーノート < 1~50 目次 > 20181030

 「過去現在未来のメモリーノート」は、「雨宮智彦のブログ」のカテゴリーのなかでは新しいものです。どっちかというと、無分野というより全分野的なものですが、最重要なものかもしれません。

 今後ともおつきあいをよろしくおねがいします。


過去現在のメモリーノート 1 8月12日の飛行機事故について 20170907
過去現在のメモリーノート 2 安倍首相の9月20日の国連演説と9月12日の国連安保理事会決議 
過去現在のメモリーノート 3 原文・全文で見ろ・考えろ! 希望の党の綱領ほ
過去現在未来のメモリーノート 4 「浜松夫人」のこと ー 宮本顕治『獄中からの手紙 上』
過去と現在のメモリーノート 5 発展と展開
過去と現在のメモリーノート 6 訳語「中華人民共和国」「中国」についての1案
過去と現在のメモリーノート 7 自衛隊は「違憲」か?
過去現在未来のメモリーノート 8 ニュースの発信年月日は明確に
過去現在未来のメモリーノート 9 資本論の学習 1 「体化物」の疑念について
過去現在未来のメモリーノート 10 道德・モラルについて 
過去現在未来のメモリーノート 11 「超感性的」とはなにか
過去現在未来のメモリーノート 12 セクシャル・ハラスメントについて
過去現在未来のメモリーノート 13 憲法は何のためあるのか 20180503
過去現在未来のメモリーノート 14 マスメデイアとしての新聞の減少
過去現在未来のメモリーノート 15 セクシャル・ハラスメントについて、再論
過去現在未来のメモリーノート 16 象徴天皇制について 20180607
過去現在未来のメモリーノート 17 『資本論』から考える「過渡期」と「ソ連」論 20180611
過去現在未来のメモリーノート 18 資料 マルクス「『経済学批判』への序言」(1859年)
過去現在未来のメモリーノート 19 資料 マルクス「ゴータ綱領批判」1875年
過去現在未来のメモリーノート 20 客観・主観・客体・主体のカテゴリーについて
過去現在未来のメモリーノート 21 文学者・伊豆利彦さんのこと
過去現在未来のメモリーノート 22 14才の少女の発言と安倍晋三首相の発言
過去現在未来のメモリーノート 23 沖縄① 歌「沖縄をかえせ」
過去現在未来のメモリーノート 24 沖縄② 沖縄レポート (1993.6.12)
過去現在未来のメモリーノート 25 哲学の基本概念「弁証法」について 
過去現在未来のメモリーノート 26 受験をすべて線型点数システムで測るな
過去現在未来のメモリーノート 27 沖縄 ③ 翁長元知事の「遺言」なるもの
過去現在未来のメモリーノート 27 沖縄 ④ 沖縄慰霊の日 20170623 上原愛音
過去現在未来のメモリーノート 28 沖縄 ⑤ 沖縄慰霊の日 20150623 知念捷
過去現在未来のメモリーノート 29 「信じる」ということ
過去現在未来のメモリーノート 30 沖縄 ⑥ 沖縄慰霊の日 20180623 翁長元沖縄県知事
過去現在未来のメモリーノート 31 洪水被害支援 ① 総社市のフリーマーケット
過去現在未来のメモリーノート 32 洪水被害支援 ② 豪雨災害にかかる中小業者への支援策について(岡山県商連)
過去現在未来のメモリーノート 33 洪水被害支援 ③ 2018年7月豪雨災害被災地への支援を(日本共産党)
過去現在未来のメモリーノート 34 洪水被害支援 ④ 2018年7月豪雨災害(日本共産党)
過去現在未来のメモリーノート 35 沖縄 ⑦ 代執行訴訟 翁長知事陳述書全文 ①
過去現在未来のメモリーノート 36 沖縄 ⑧ 代執行訴訟 翁長知事陳述書全文 ②
過去現在未来のメモリーノート 37 沖縄 ⑨ 代執行訴訟 翁長知事陳述書全文 5&6&7  2015年12月2日
過去現在未来のメモリーノート 38 歴史の謎 ① 神奈川県川崎市会議員と宗教について
過去現在未来のメモリーノート 39 女性の「向上」とは??
過去現在未来のメモリーノート 40 青年運動の魅力は
過去現在未来のメモリーノート 41 組織・集団について変化することの考察
過去現在未来のメモリーノート 42 歴史の謎 ② 神奈川県川崎市会議員と宗教について ②
過去現在未来のメモリーノート 43 宗教と日本共産党
過去現在未来のメモリーノート 44 右翼に言論の自由はあるか?
過去現在未来のメモリーノート 45 日本共産党の「党勢拡大特別月間」終わる
過去現在未来のメモリーノート 46 日本共産党 大会別 年代記 Ver.1 
過去現在未来のメモリーノート 47 推理 日本戦後史の金(かね)の流れ
過去現在未来のメモリーノート 48 相補物・対象性と対話・対位法について<再録>
過去現在未来のメモリーノート 49 因果関係と未来の世界<再録>
過去現在未来のメモリーノート 50 安田純平さんの無事帰国に際して考えたこと

 


過去現在未来のメモリーノート 50 安田純平さんの無事帰国に際して考えたこと

2018年10月28日 10時02分03秒 | 過去現在のメモノート

 

過去現在未来のメモリーノート 50 安田純平さんの無事帰国に際して考えたこと

 日本人「ジャーナリスト」の安田純平さんが3年半にわたる監禁生活から解放されて無事帰国した。

 要点だけ書く。

 <1> ボクは安田純平さんに心から「無事でよかったね」という。

 <2> 「自己責任」論はボクはとらない。「自己責任」論では人間の生死に冷たすぎると思う。もちろん、それぞれの人生は「自己責任」の側面はある。

 <3> <1>だからといって、安田純平さんの報道や主張が正しいなどというつもりはない。それは、すべて事実と道理に基づいて検証してからの話である。また安田純平さんの報道や主張が、検証の必要がある重みがあるかどうかも別の問題だと思う。

 <4> ジャーナリストの安全という点で今回、安田純平さんのシリア情勢判断に緩みがなかったかどうか安田さんの猛省を望む。

 <5> 金を支払ったのかどうか。カタール政府が払ったという報道もある。ボクは日本政府の例の領収書のいらない金庫から払った可能性もあると思う。

 以上は2018年10月27日(土)午前6時24分、書き終わる。

 


過去現在未来のメモリーノート 48 相補物・対象性と対話・対位法について

2018年10月20日 10時53分40秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 48 相補物・対象性と対話・対位法について

 8年前の「哲学の学習16」の再録

「哲学の学習16 相補物・対象性と対話・対位法について
2010年06月17日 05時20分36秒 | 人間・生命・宇宙

 久しぶりに「哲学の学習」というタイトルで書きます。前に、今年1月28日付けで「哲学の学習7 対立物の統一と相補物の統一」を書きました。

 そこではこう書きました。

 「同化と異化が「対立物の統一」「矛盾」であるというのは。どうなのでしょうか。生命における物質代謝の両側面である、同化と異化は、なんら対立しているわけではなくて、お互いに相互に支えあっているのではないでしょうか。環境の安定なしには、恐竜類や裸子植物の大繁栄もなかったのではないでしょうか。」

 つまり、同化と異化にしろ、プラスとマイナス、左と右、原子核と電子、男と女、漫才のぼけとつっこみ、すべて、相補性と対称性によって安定し、成り立っています。

 つまり、対立する2つの側面によって、まったく別の物に変化して行くという、「科学的社会主義」の陣営の「弁証法」についての理論は、検討する余地があるのではないでしょうか。
 最低限、事実と道理によって証明されていないことは書かないのが、科学的態度であると考えます。

 同じことを、音楽の場合に考えました。
 たとえば、ピアノの右手と左手の調和と非調和。
 あるいは、ヴァイオリンソナタでの、ヴァイオリニストとピアニスト。
 あるいは、ピアノ協奏曲での、ピアノとオーケストラ。

 音楽では「対位法」というテクニックがあって、「複数の旋律を、それぞれの独立性を保ちつつ互いによく調和させて重ね合わせる技法」です。
 
 このことを追求していくと、いろいろおもしろそうですが、今日は深入りせずに、ここまでにします。

 ショパンの「テンポ・ルパート」という指示は、ピアニストの仲道郁代さんの解釈では、左手は、正確に指揮をして、右手は自由に揺らいで、ぶれて、という左手と右手の「自由な対話」を意味しているようです。

 ただし、それも左手の正確なタッチがあってのことで、「のだめカンタービレ」で、のだめの自由奔放な演奏を、千秋の正確なタッチが指揮しているのや、「ピアノの森」の大分コンクールで、一ノ瀬海の自由な演奏を、指揮者のセローが正確に指揮してコントロールしているからでしょうか。

 ぼく・雨宮とN子さんの夫婦漫才コンビの関係でいうと、どっちが自由奔放に「テンポ・ルパート」して、どっちが正確にコントロールしているかは…(これは、いま気がついた書けど、世界を揺るがす大問題なので、しばらく熟考してから「雨宮日記」か「哲学の学習」かに、書きます)。

 夫婦の問題が「哲学の問題」なんて、今まで誰も考えたことがないんでしょうか?もし指摘している方がいたら、教えてください。
 ぼくは、夫婦の問題は、哲学や科学の大問題だと思います。」

 もうひとつ引用。


「哲学の学習7 対立物の統一と相補物の統一
2010年01月28日 04時54分51秒 | 人間・生命・宇宙

 32年前に発行された書籍に、次のように書かれています。
 「弁証法は事物の変化、発展の原動力を事物の内部にもとめ、この原動力になるのは。すべての事物の内部にある矛盾であることをあきらかにしています。」(同署p198)

 どう「あきらかにしてい」るのかは、そこには叙述が何もないので、私にはわかりません。どなたか、「あきらかに」わかる方がいれば、教えてください。

 そのあとには、こう書かれています。

 「事物の内部の矛盾とは、一つの事物のなかにたがいに対立する側面があって、それがたがいに結びついていることをういいます。
 たとえば、すべての生物は、外界から栄養をとる同化作用をおこなうのと同時に、これを体内でエネルギーとして消費し、老廃物を外界へ排出する異化作用をおこなっています。このどちらもが停止しても、生物は生きることができません。
 資本主義社会には、労働者階級と資本家階級という対立する二つの階級が存在します。
 一つの事物のなかの対立した二つの側面はたがいにむすびつき、一つの側面は他の側面なしにはありえないというように統一しています。たとえば、同化は異化なしにはありえないし、資本家階級はかれらの搾取する労働者階級なしには存在しえません。このような関係を対立物の統一といいます。」

 同化と異化が「対立物の統一」「矛盾」であるというのは。どうなのでしょうか。
 生命における物質代謝の両側面である、同化と異化は、なんら対立しているわけではなくて、お互いに相互に支えあっているのではないでしょうか。

 環境の安定なしには、恐竜類や裸子植物の大繁栄もなかったのではないでしょうか。

 地球に落ちた大隕石か、それとも、もっと他の要因かは、わかりませんが。
 
 生命のほんとうの矛盾は、生命内にではなくて、生命と環境のあいだの相互作用にあるのではないでしょうか。

 文明である人間社会は、環境の影響を脱して、自立的な矛盾をもっていると思います。
 しかし、歴史を溯るほど、環境とシンクロ(同調)する生き物の姿が、わき上がってくるものと思います。」
 

 


過去現在未来のメモリーノート 47 推理 日本戦後史の金(かね)の流れ

2018年10月14日 20時55分51秒 | 過去現在のメモノート

 

過去現在未来のメモリーノート 47 推理 日本戦後史の金(かね)の流れ

 昔の雑誌論文を読んでいて、アメリカ中央情報局(CIA)が日本の自由民主党に1970年代まで金を出していたとありました。

 では、そのあとは続いた?無くなった?

 そのころから日本は弟分として兄貴分からお金をもらわなくてもよくなって、逆にアメリカに金を出し始めたのではなでしょうか。

 金丸信さんが防衛庁長官のころ、有名な「思いやり予算」を始めたのは1970年代すえのことでした。

 2つのお金は、一見なんの関係もないです。でも、どうだろう。それを結びつけることで戦後のアメリカ=日本関係が一望できるような気がする。

 これは経済的関係も含めて広く分析し直してみること。

 

 


過去現在未来のメモリーノート 46 日本共産党 大会別 年代記 Ver.1

2018年10月05日 14時56分23秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 46 日本共産党 大会別 年代記 Ver.1 20181005

 共産党の党勢をみる時、「過去現在未来のメモリーノート 45 日本共産党の「党勢拡大特別月間」終わる」でみたように今年だけを抜き出していてもしょうがないです。

 少なくても共産党の前進が始まった1958年の第7回大会からみなければならないとおもいます。

 まだ途中ですけど「日本共産党 大会別 年代記」の「Ver.1」です。


7大会 1958年 7月 党員3.6万人。HN4.7万部。

8大会 1961年 7月 党員8.8万人(+4.8万人)。HN34.4万部(+19.7万部)

9大会 1964年11月 党員15.2万人(+6.4万人)。HN81.6万部(+47.2万部)

 10大会 1966年10月 党員27.5万人(+12.3万人)。HN147.5万部(+65.9万部)

 11大会 1970年 7月 党員28.3万人(+0.8万人)。HN176.8万部(+29.3万部)

 12大会 1973年11月 党員34.2万人(+5.9万人)。HN282.3万部(+105.5万部)

 13大会 1976年 7月 党員38.0万人(+3.8万人)。HN300.0万部(+17.7万部)

 14大会 1977年10月 党員36.6万人(ー1.4万人)。HN326.0万部(+26.0万部)

 15大会 1980年 2月 党員43.4万人(+6.8万人)。HN355.0万部(+29.0万部)

 16大会 1982年 7月 党員47.7万人(+4.3万人)。HN339.0万部(ー16.0万部)

 17大会 1985年11月 党員46.9万人(ー0.8万人)。HN317.7万部(ー21.3万部)

 18大会 1987年11月 党員48.4万人(+1.5万人)。HN317.5万部(- 0.2万部)

 19大会 1990年 7月 党員46.4万人(ー2.0万人)。HN289.0万部(ー28.5万部)

 20大会 1994年 7月 党員35.7万人(ー10.7万人)。HN250.0万部(ー39.0万部)

 21大会 1997年 9月 党員37.0万人(+1.3万人)。HN230.0万部(ー20.0万部)

 22大会 2000年11月 党員38.7万人(+1.7万人)。HN199.0万部(ー31.0万部)
「日本共産党規約」改訂

 23大会 2004年 1月 党員40.4万人(+1.7万人)。HN173.0万部(ー26.0万部)
「日本共産党綱領」改訂

 24大会 2006年 Ⅰ月 党員40万4299人(ー0.0万人)。HN164万部(ー 9.0万部)。

 25大会 2010年 1月 党員40万6000人(+0.2万人)。HN145万部(ー19.0万部)。

 26大会 2014年 1月。党員30万5千人(-10.1万人)。HN124万人(ー21.0万部)。
  市田忠義書記局長は副委員長へ、新書記局長に山下芳生。

 27大会 2017年 1月。党員30万人(- 0.5万人)。HN113万部(ー11.0万部)

 


過去現在未来のメモリーノート 45 日本共産党の「党勢拡大特別月間」終わる

2018年10月04日 13時51分45秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 45 日本共産党の「党勢拡大特別月間」終わる

 10月2日に、日本共産党の「参議院選挙・統一地方選挙躍進 党勢拡大特別月間」についての赤旗記事が出ました。

 全文は以下の通りです。

 「日本共産党が6月からとりくんだ「参議院選挙・統一地方選挙躍進 党勢拡大特別月間」の締めくくりの9月、全国の党組織は、沖縄県知事選挙勝利と「特別月間」目標総達成の二大課題に全力をつくしました。
 党員拡大では、9月に1200人、「特別月間」の4カ月間に4634人が入党を申し込みました。「しんぶん赤旗」読者は、9月は日刊紙503人増、日曜版3463人増、電子版(日刊紙)116人増となりました。「特別月間」を通じて、日刊紙844人増、日曜版6691人増となり、電子版が新しい層に広がっています。
 全党は、北海道地震、台風や豪雨災害などへの救援活動に力を注ぐとともに、広く国民と対話をすすめました。国民の安倍政権への怒りや沖縄連帯への思いが日本共産党の訴えと響きあうなかで、入党と「赤旗」購読をよびかけました。演説会や「集い」で、『入党のよびかけ』カラーパンフや党創立96周年記念講演ダイジェストDVDを見て、労働者や若い世代の入党と「赤旗」購読が広がりました。」

 以上です。

 6月に開かれた日本共産党第4回中央委員会総会では「前回参院選時回復・突破までは、党員1万6千人、日刊紙読者1万6千人、日曜版読者8万3千人以上の拡大が必要だが」とあります。

 つまり当初目標に対する達成率は入党者で29%、日刊紙で5.3%、日曜版は8.1%になります。

 なぜ入党者では29%と2桁の達成率があるのに、日刊紙・日曜版では1桁の達成率しかないのでしょうか。

 なお、この当初目標も達成率も、10月2日の赤旗記事は触れていません。

 以上です。

 


過去現在未来のメモリーノート 44 右翼に言論の自由はあるか?

2018年09月25日 22時21分42秒 | 過去現在のメモノート

 

過去現在未来のメモリーノート 44 右翼に言論の自由はあるか?

 言論の自由は誰にでもあるとボクは思う。

 利巧だろうとバカだろうと。

 「日本国憲法 第十九条」で「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」とあるからでは、ない。

 逆だと思う。つまり言論の自由が最初にあって、「日本国憲法」だろうと、どんな「憲法」だろうと、それに基づいて創られる。

 だから、どんな人間にも言論の自由はある。いや、どんな人間にも言論の自由を保障するためにボクは努力する。

 そういうことで、右翼にもファシストにも言論の自由はあるのだ。

 「私は君の意見には反対だが、君が意見を表明する自由は命かけて守る」と言ったのは誰か知らないが、ボクも同感です。

 これは個々の人間個人の意見が正しいかどうか、とはまったく無関係だと思います。

 


過去現在未来のメモリーノート 43 宗教と日本共産党

2018年09月22日 10時06分04秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 43 宗教と日本共産党

 自分できちんと世界の共産党の政策をしらべたわけではないが、たとえば中国共産党の宗教政策は、ひとことでいえば自分に反対する宗教は弾圧するというものだと言えると思う。つまり論外である。

 それに比べ日本共産党の宗教政策は、世界の政党を一般的に見ても優れていると思う。

 日本共産党のネットで公式に出ているものを、ここにあげよう。


「宗教問題

宗教についての日本共産党の見解・立場
日本共産党 宗教委員会

1,日本共産党綱領(1994年7月23日一部改定)からの抜粋
「党は、信教の自由を擁護し、政教分離の原則の徹底をめざす。」

2,「自由と民主主義の宣言」(1996年7月13日一部改定)からの抜粋
「布教、伝道の自由をふくむ信教の自由を無条件で保障する。すべての宗教的行事は国家にとって私事とみなされ、いかなる公権力の介入もうけない。政教分離の原則を守り、国家は、どんな宗教にも特権をあたえず、かつ差別しない。宗教団体が政治権力の行使に参加することを認めず、また公権力の機関ないし国公立学校が宗教教育その他宗教的活動をすることを認めない。特定の思想や信仰を権力で押しつけたり禁止したりする、いかなるイデオロギー的強制も認めない。」

3,「宗教についての日本共産党の見解と態度」(「宗教決議」)第12回党大会7中総決議(1975年12月23日採択)からの抜粋
 (1)日本共産党は、伝道・布教をふくむ信教の自由を無条件で擁護する。(中略)

 宗教的礼拝や結社、布教・伝道などの自由などをふくむ信教の自由の全面的保障には、政教分離の貫徹が不可欠である。そのさい、どの宗教、宗派も活動を認めあうことが大切であり、特定の宗教団体が自分以外の宗教の存在を認めず、力ずくで排撃するようなことは、信教の自由を宗教の側から破壊することになろう。

 (2)日本共産党は、政教分離という民主主義的原則の貫徹をはかる。政教分離は、中世封建社会の政教一致主義を打破するたたかいのなかで明確にされてきた民主主義的原則である。これには二つの側面がある。

 第一は、国家にかかわる問題である。国家にとって宗教は私事、すなわち個人の内面的問題であり国家は、どんな宗教にも特権をあたえたり、逆に差別的にあつかったりしてはならず、信仰の問題への国家のいかなる介入も許されない。わが国では、戦前の絶対主義的天皇制権力が、国家神道をつくり、天皇および政府指導者が神宮に直接参拝し、全国民に神社参拝を強制するなど、極端な政教一致主義をとったが、現在も自民党など反動勢力は、靖国神社国営化という政教分離に反する企図をもっている。現憲法は「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定しており、この民主的規定を貰徹しなければならない。

 第二は、宗教の側にかかわる問題である。現憲法は『いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない』としている。宗教団体は、共通の信仰にもとづいて組織されているものである。信仰者と宗教団体が広い意味での政治参加の権利をもつことは当然であるが、宗教団体が特定政党とその議員候補の支持を機関決定して、信者の政治活動と政党支持の自由を奪うことは正しくない。信者一人ひとりの政治活動と政党支持の自由を大切にすることは、民主主義の初歩的原則である。しかも、宗教団体の特定政党支持は、信者の民主主義的自由を奪うだけでなく、その政党の誤った態度まで宗教団体が支持するという二重に有害な結果をもたらす。(中略)

 (3)信教の自由を擁護し、国家の宗教問題への介入に反対するとの立場は、将来のいかなる社会においてもつらぬかれる日本共産党の不動、不変の原則的態度である。(以下略)


氏神信仰をどうみる?

 〈問い〉 日本共産党は、氏神信仰をどうみていますか。また、地域の神社の祭事などの経費を町内会で集めることについてはどうですか。(長野・一読者)

 〈答え〉 日本共産党は、神社神道(しんとう)をふくむ宗教について、その信教の自由を全面的に保障する立場を早くから明らかにしてきました(第十二回党大会第七回中央委員会総会決議「宗教についての日本共産党の見解と態度」、「自由と民主主義の宣言」など)。また、綱領には、「党は、信教の自由を擁護し、政教分離の原則の徹底をめざす」ことを明記しています。

 氏神とは、もともと氏族をまもる祖先神や守護神のことですが、後に土地の住民をまもる産土神(うぶすながみ)として、また鎮守(ちんじゅ)の神とも呼ばれて信仰されてきたものです。これが、戦前の国家神道のもとで、天皇家の氏神である伊勢神宮を頂点とする組織に再編され、地域の住民はすべて、その土地の氏神の氏子(うじこ)とみなされて、天皇崇拝と軍国主義に利用されました。ですから、氏神信仰については、素朴な習俗、慣習の側面とともに、こうした歴史的側面があることも見る必要があります。

 また、町内会には、当然、信仰にたいする考え方の違う人たちが参加しており、そこで集めた費用を特定の宗教(神社)に支出して、その宗教行事である神社祭礼の費用に使うことは、信教の自由を侵すことになります。神社祭礼も、他の宗教が宗教行事をおこなう場合と同じように、その神社の信者としての氏子なり崇敬者なりが、主催・関与するのが当然であり、それへの協力は、住民の自由意思によるべきだと考えます。(豊)

〔2000・5・13(土)〕


クリスチャンも入党できますか?

 〈問い〉 最近、入党しようかと考えていますが、クリスチャンでも入れますか。(長野・一読者)

 〈答え〉 日本共産党では、牧師などの宗教者党員が、宗教的信念と日本共産党の政策や方針とを両立させて、活動しています。

 日本共産党綱領は、「党は、信教の自由を擁護し、政教分離の原則の徹底をめざす」と明記しています。この立場は、党員一人ひとりについても、しっかり守られます。

 日本共産党規約は、「党は、科学的社会主義を理論的な基礎とする」としています。日本共産党は、社会の民主的改革の国民的事業をより正確にすすめるために、これまで人類が発展させてきた学問的成果を集大成した科学的社会主義を全党員が身につけることを重視していますが、信仰などの問題での理論的な把握を党員に求めてはいません。

 日本共産党は、科学的世界観と宗教的世界観が異なることをあいまいにはしていませんが、信仰の有無や哲学上の一致を入党の条件として義務づけてはいません。「日本共産党は、日本の労働者階級の党であると同時に、日本国民の党であり、民主主義、独立、平和、国民生活の向上、そして日本の進歩的未来のために努力しようとするすべての人びとにその門戸を開いている」(党規約)のです。

 日本共産党への宗教者(信仰者)の入党を承認する立場は、戦後まもなくから明確にされていますが、一九七五年十二月に中央委員会総会で採択された決議「宗教についての日本共産党の見解と態度」では、科学的社会主義と宗教の関係、宗教者と日本共産党との相互理解と協調の重要性などが全面的に明らかにされています。

 宗教者と日本共産党との協力、共同は、靖国神社公式参拝問題、統一協会など各種の反社会的カルトの問題、さらに直面している有事法制(戦争への国民総動員法制)に反対する運動など、全国で多面的に発展しています。

(静)
〔2002・3・7(木)〕


お寺・僧侶の役割をどう考える?

 〈問い〉 日本共産党は、お寺や僧侶の役割について、どのように考えていますか。(東京・一読者)

 〈答え〉 今年の総選挙のさい、寺院向け雑誌による政党アンケートがありました。このなかに、「現代社会、そして将来にわたって寺院・僧侶は必要ですか」との設問がありました。

 日本共産党は、僧侶・宗教者の役割について、次のように考えています。「宗教活動で指導的役割を果たしている宗教の教師(僧侶、神職、牧師など)の大多数も、生活者としてみた場合、独占資本の圧迫のもとにおかれている」「(多くの宗教者の願っているものは)通常の宗教的営みにしたがい、あらゆる形態での宗教と宗教団体の反動的、反民主主義的利用に反対すること、憲法の明記する信教の自由、政教分離、政治活動と政党支持の自由など民主主義的原則を擁護すること、平和と基本的人権の擁護、社会的ヒューマニズム、信仰者をふくむ国民の福祉などのために、宗派や信仰の有無をこえて協力、共同すること、などである」(「宗教についての日本共産党の見解と態度」略称「宗教決議」一九七五年十二月二十三日決議)。

 現代の日本では、国民の多くが何らかのかかわりで寺院・僧侶とのつながりをもち、寺院は精神的、社会的、文化的に重要な役割を担っています。多くの僧侶は、経済的困難をかかえながら小規模寺院をまもり、地域の伝統文化の継承や住民の精神生活のために奉仕しています。日本共産党は綱領に「信教の自由を擁護し、政教分離の原則の徹底をはかる」と明記し、未来社会でも「複数の世界観や価値観の存在する自由は尊重され、科学的世界観の保持者も宗教をふくめ他の世界観の保持者も、平等かつ個性ある成員として自由な共同社会を形成するであろう」(「宗教決議」)と展望しています。この立場から日本共産党は僧侶・宗教者との対話と共同をすすめています。

 (博)
 〔2003・11・29(土)〕」


 これは、前の「過去現在未来のメモリーノート 38 歴史の謎 ① 神奈川県川崎市会議員と宗教について」および「過去現在未来のメモリーノート 42 歴史の謎 ② 神奈川県川崎市会議員と宗教について ②」の続きです。


過去現在未来のメモリーノート 41 組織・集団について変化することの考察

2018年09月14日 12時16分15秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 41 組織・集団について変化することの考察

 ① 変わったところ
 ② 変わらないところ
 ③ 変わるべきところ
 ④ 変わるべきでないところ

 もうすこし詳しくすると、わかりやすいかな。

 ① 変わったけど、変わらないところが当然のところ
 ② 変わったけど、変わるべきでない戻すべきところ
 ③ 変わらないけど、変わらないのが当然のところ
 ④ 変わらないけど、変わるべきところ
 ⑤ 捨てるべきところ
 ⑥ 新しく一新するべきところ

 ①④⑥は、区別ができないこともありそうです。②③も似ている。⑤⑥も似ているか。

 哲学用語でいうと「変化・変動・発展」など、政治用語でいうと「打破・革新・保守」など、いろいろある。

 今日は、この程度です。

 いずれにしろ、1人ひとりが自分で考えて責任をもつしかない。他人が責任をもつことはできない。

 20180914投稿

 


過去現在未来のメモリーノート 40 青年運動の魅力は

2018年09月09日 09時02分41秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 40 青年運動の魅力は


1 発達していく個人の相互魅力(学習科学、切磋琢磨)
2 成長していく集団の魅力(人間真理)
3 社会の進歩に貢献できる魅力(政治社会)
4 恋愛も学べる組織の魅力(愛情心理)

その魅力が今は、どうなっているのでしょう。
もう67才なのでボクには、まったくわかりません。
周りに青年も、ほとんどいないし。
「1・2・3・4」を40年間、夫婦という2人の組織で貫いてきたような気もします。

あ、大事なことを書き忘れてました。
ほんとうに重要なことは他人に教えられても自分のものにはならない、ということです。
痛い思いをして自分のものにするしかないんです。
それが「5」でしょうか。
それは青年運動だけじゃないですが。

たぶん、また語る機会もあるでしょう。

まず事実を語れ
願望を語るな
わかったら真実を語れ
願望を語るな

 


過去現在未来のメモリーノート 39 女性の「向上」とは??

2018年09月07日 14時01分35秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 39 女性の「向上」とは??

 9月5日、沖縄青年会議所(JC)主催の沖縄県知事選挙の主要2候補者公開討論会で語られたこと。

 「一般の方の動画・写真撮影・音声録音は禁止しております」というフリップが出されていました。それが主題ではないので、このことはいまはパスします。

 話は2候補者の論戦の1つです。

 次は『琉球新報』の記事につけられた2人の主張の要約表。「女性政策」について、2人の発言。

 まず玉城デニーさん「女性が仕事しやすい環境のため待機児童を解消すること」。

 佐喜真さん「女性の能力は年々上がっている。女性の質の向上への環境をつくっていく。」

 この元は『琉球新報』「沖縄の自立へ論戦 「撤回」評価割れる 知事選公開討論会 2018年9月6日 10:13」の記事です。もちろんボクはネットの『琉球新報』で見ました。

 記事の表ではなく、「暮らし」のところの原文はこうです。

「<暮らし>

佐喜真氏「女性活躍の環境を」 玉城氏「待機児童解消する」

 島田 子の貧困対策は。

 佐喜真 政府、県、市町村がしっかり現状把握して的確な事業をやる。

 玉城 子どもの貧困対策推進基金を活用して各施策を進めていく。

 島田 女性政策は。

 佐喜真 女性のパワーは年々上がっている。女性の質の向上、女性の地位やモチベーションが上がるような環境をつくっていくことが重要だ。

 玉城 待機児童の解消など誰一人取り残さないことを訴える。あらゆるセーフティネットを築き、女性の皆さんが安心して働ける環境を整えていく。」

 見てのとおり佐喜真さんは「女性のパワーは年々上がっている。女性の質の向上、女性の地位やモチベーションが上がるような環境をつくっていくことが重要だ。」となっています。

 表とは少し違いますが、佐喜真さんが「女性活躍」「女性の質の向上」を言っているのは、ほぼ間違いなさそうです。録画を確認する余裕がないんですが。

問題は、その意味です。佐喜真さんのいう「女性の質の向上」とは何か。やはり単線的な「質」感、「能力」觀に立っているのではないでしょうか。

 男性の方が質が上である。男性の方が社会で「活躍」している。

 男性の方がもうかる。単線的比較にしたら、それしかなくなる気がします。どうでしょうか。

 人間の質は多様なもので、比較するようなものではないと思います。

 


過去現在未来のメモリーノート 38 歴史の謎 ① 神奈川県川崎市会議員と宗教について

2018年09月04日 03時51分17秒 | 過去現在のメモノート

過去現在未来のメモリーノート 38 歴史の謎 ①  神奈川県川崎市会議員と宗教について  


 8月24日、「市政と市民のくらしを結ぶ 日本共産党川崎市会議員団」のホームページに以下のコメントが出されました。そのまま引用します。


「佐野議員の会派離脱について市議団長がコメント

日本共産党川崎市会議員団は23日、佐野仁昭市議(川崎区)が会派から離脱することを議長に届け出ました。市古映美市議団長(中原区)は届け出後、以下のコメントを発表しました。

あわせて勝又光江議員(麻生区)が同副団長となり、議会運営委員会委員をつとめ、市古映美議員が総務委員会委員を、井口真美議員(多摩区)が都市計画審議会委員をつとめることも届け出ました。


佐野市議が、この間、党との話し合いで表明してきたことを一方的に覆し、いきなり離団届を議会局に提出を強行したことに驚きました。党はくり返し話し合いを求めたにもかかわらず、いっさい応じることがなく、定例市議会直前であることからやむを得ず、会派離脱を届け出たものです。

なお、佐野市議は離党表明をしており、現在党で党規約にもとづいて、慎重に適切に対応を検討しているところです。」


 川崎市の現在のホームページで見ると、「佐野仁昭(さのよしあき)。49歳(平成30年5月11日現在)。(川崎区・無所属)当選回数5回」となっています。

 つまり今年49才、共産党市議としては若いといえます。同時に市議としては当選回数5回でベテランです。



 ところが、その後、6日間、日本共産党川崎市議団ホームページにまったく音沙汰がありません。「しんぶん赤旗」にも記事が発見できません。そこで文献を探すと、「朝日新聞 8月25日(土)」が見つかりました。


 「朝日新聞」の記事は以下のとおりです。

 「佐野氏は「感銘を受けた宗教関係者の本を知人に貸したところ、『布教活動をしている』と事実と違うことを言われ、信頼関係が崩れた」と話す。
 同市議団の説明によると、同氏は、党活動で知り合った知人に宗教関係者の本を渡した。
 苦情も寄せられ、不適切な行為として話し合いをしていた…」

 つまり事実関係については佐野氏と市議団とで、大きな違いはなさそうです。

 佐野「宗教関係者の本を知人に貸した」
 市議団「党活動で知り合った知人に宗教関係者の本を渡した。」
 
 市議団は「苦情も寄せられ」「不適切な行為とし」た。

 なにが不適切だったというのか、「感銘を受けた」ことがか、「宗教関係者の本を知人に貸した」ことなのか、「布教活動をした」とされたことがか。

 市議団が「この間、党との話し合いで表明してきたことを一方的に覆し、いきなり離団届を議会局に提出を強行したことに驚きました。党はくり返し話し合いを求めたにもかかわらず、いっさい応じることがなく」と書いたのは、その「話し合い」の前提・内容の公開がされないと。

 いまのところ、よくわかりません。





 8月29日に「宗教人と日本共産党との懇談会」があり、30日の赤旗が報道しました。以下がその記事です。


「2018年8月30日(木)
宗教者は共同のパートナー 日本共産党と懇談会
豊かな連帯の輪広がる
小池・吉良議員が出席

(写真)宗派を超えた宗教人が参加した日本共産党との懇談会=29日、東京都台東区

 全国と東京の「宗教人・日本共産党を支持する会」が29日、「宗教人と日本共産党との懇談会」を東京都内で開き、70人が参加しました。宗教人の日本共産党への熱い思い、小池晃書記局長、吉良よし子参院議員の共同の呼びかけが響き合い、豊かな連帯の輪が広がりました。

 宗派を超えて3人の宗教人が発言。西武柳沢キリスト教会牧師の星出卓也さんは、天皇の代替わり儀式についての日本共産党の政府への申し入れにふれ「日本共産党だけが『政教分離原則を守れ』と主張したことは心強い。信教の自由、平和のための労苦をみなさんと共にしたい」とのべました。

 天理教布教所長の藤原さよ子さんは、信仰を守り、日本共産党員として生きて3月に亡くなった夫の人生をふりかえり、声を詰まらせながら「私も残る人生を日本共産党員としてまっとうしたい」とのべて、大きな拍手を受けました。

 真言宗智山派僧侶の小嶋弘遵さんは、南北、米朝の首脳会談を歓迎する宗教界の声をあげ「仏教伝来の道、北東アジアを平和の地にするのが日本の仏教徒の使命です」とのべました。

 吉良氏は「信教の自由、平和を守るため先頭に立っている宗教者のみなさんの姿は心強い」と、身近なエピソードを交えてのべました。

 小池氏は「平和を希求し、人間の平等と人権の尊重を目指すという点で、宗教と日本共産党の目的は同じです。政治をかえるために多数者とともに進む道で、宗教者のみなさんはもっとも大事なパートナーのひとつです」とのべ、率直な意見交換を呼びかけました。

 「不殺生、慈悲の心でお釈迦(しゃか)様と日本共産党は同じ。本当の姿をもっと知らせてほしい」(東京の女性)、「苦しんでいる若者の悩みにこたえる取り組みを」(カトリック系短大元教員の男性)、「宗教についての考え方がわかる見解を」(神職の男性)などの声が次々出されました。

 小池氏はていねいに疑問に答えながら「宗教人のみなさんとの真の対話を全国で広げていきたいと思います」とのべました。

 「全国の会」はこれに先立ち、同会場で第21回総会を開き、土井洋彦党宗教委員会責任者があいさつしました。」




 そして、おかしな話だが、「日本共産党中央委員会」の公式ホームページには「川崎市 佐野よしあき市議」の名前が、9月3日夜現在も、そのまま残っている。

 どういうことか、いまここで解釈はしません。


 以上客観報道に限定しました。「1~4」は、すべて公開された事実です。


2018年9月3日夜。雨宮智彦。