過去現在未来のメモリーノート 43 宗教と日本共産党
自分できちんと世界の共産党の政策をしらべたわけではないが、たとえば中国共産党の宗教政策は、ひとことでいえば自分に反対する宗教は弾圧するというものだと言えると思う。つまり論外である。
それに比べ日本共産党の宗教政策は、世界の政党を一般的に見ても優れていると思う。
日本共産党のネットで公式に出ているものを、ここにあげよう。
「宗教問題
宗教についての日本共産党の見解・立場
日本共産党 宗教委員会
1,日本共産党綱領(1994年7月23日一部改定)からの抜粋
「党は、信教の自由を擁護し、政教分離の原則の徹底をめざす。」
2,「自由と民主主義の宣言」(1996年7月13日一部改定)からの抜粋
「布教、伝道の自由をふくむ信教の自由を無条件で保障する。すべての宗教的行事は国家にとって私事とみなされ、いかなる公権力の介入もうけない。政教分離の原則を守り、国家は、どんな宗教にも特権をあたえず、かつ差別しない。宗教団体が政治権力の行使に参加することを認めず、また公権力の機関ないし国公立学校が宗教教育その他宗教的活動をすることを認めない。特定の思想や信仰を権力で押しつけたり禁止したりする、いかなるイデオロギー的強制も認めない。」
3,「宗教についての日本共産党の見解と態度」(「宗教決議」)第12回党大会7中総決議(1975年12月23日採択)からの抜粋
(1)日本共産党は、伝道・布教をふくむ信教の自由を無条件で擁護する。(中略)
宗教的礼拝や結社、布教・伝道などの自由などをふくむ信教の自由の全面的保障には、政教分離の貫徹が不可欠である。そのさい、どの宗教、宗派も活動を認めあうことが大切であり、特定の宗教団体が自分以外の宗教の存在を認めず、力ずくで排撃するようなことは、信教の自由を宗教の側から破壊することになろう。
(2)日本共産党は、政教分離という民主主義的原則の貫徹をはかる。政教分離は、中世封建社会の政教一致主義を打破するたたかいのなかで明確にされてきた民主主義的原則である。これには二つの側面がある。
第一は、国家にかかわる問題である。国家にとって宗教は私事、すなわち個人の内面的問題であり国家は、どんな宗教にも特権をあたえたり、逆に差別的にあつかったりしてはならず、信仰の問題への国家のいかなる介入も許されない。わが国では、戦前の絶対主義的天皇制権力が、国家神道をつくり、天皇および政府指導者が神宮に直接参拝し、全国民に神社参拝を強制するなど、極端な政教一致主義をとったが、現在も自民党など反動勢力は、靖国神社国営化という政教分離に反する企図をもっている。現憲法は「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定しており、この民主的規定を貰徹しなければならない。
第二は、宗教の側にかかわる問題である。現憲法は『いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない』としている。宗教団体は、共通の信仰にもとづいて組織されているものである。信仰者と宗教団体が広い意味での政治参加の権利をもつことは当然であるが、宗教団体が特定政党とその議員候補の支持を機関決定して、信者の政治活動と政党支持の自由を奪うことは正しくない。信者一人ひとりの政治活動と政党支持の自由を大切にすることは、民主主義の初歩的原則である。しかも、宗教団体の特定政党支持は、信者の民主主義的自由を奪うだけでなく、その政党の誤った態度まで宗教団体が支持するという二重に有害な結果をもたらす。(中略)
(3)信教の自由を擁護し、国家の宗教問題への介入に反対するとの立場は、将来のいかなる社会においてもつらぬかれる日本共産党の不動、不変の原則的態度である。(以下略)
氏神信仰をどうみる?
〈問い〉 日本共産党は、氏神信仰をどうみていますか。また、地域の神社の祭事などの経費を町内会で集めることについてはどうですか。(長野・一読者)
〈答え〉 日本共産党は、神社神道(しんとう)をふくむ宗教について、その信教の自由を全面的に保障する立場を早くから明らかにしてきました(第十二回党大会第七回中央委員会総会決議「宗教についての日本共産党の見解と態度」、「自由と民主主義の宣言」など)。また、綱領には、「党は、信教の自由を擁護し、政教分離の原則の徹底をめざす」ことを明記しています。
氏神とは、もともと氏族をまもる祖先神や守護神のことですが、後に土地の住民をまもる産土神(うぶすながみ)として、また鎮守(ちんじゅ)の神とも呼ばれて信仰されてきたものです。これが、戦前の国家神道のもとで、天皇家の氏神である伊勢神宮を頂点とする組織に再編され、地域の住民はすべて、その土地の氏神の氏子(うじこ)とみなされて、天皇崇拝と軍国主義に利用されました。ですから、氏神信仰については、素朴な習俗、慣習の側面とともに、こうした歴史的側面があることも見る必要があります。
また、町内会には、当然、信仰にたいする考え方の違う人たちが参加しており、そこで集めた費用を特定の宗教(神社)に支出して、その宗教行事である神社祭礼の費用に使うことは、信教の自由を侵すことになります。神社祭礼も、他の宗教が宗教行事をおこなう場合と同じように、その神社の信者としての氏子なり崇敬者なりが、主催・関与するのが当然であり、それへの協力は、住民の自由意思によるべきだと考えます。(豊)
〔2000・5・13(土)〕
クリスチャンも入党できますか?
〈問い〉 最近、入党しようかと考えていますが、クリスチャンでも入れますか。(長野・一読者)
〈答え〉 日本共産党では、牧師などの宗教者党員が、宗教的信念と日本共産党の政策や方針とを両立させて、活動しています。
日本共産党綱領は、「党は、信教の自由を擁護し、政教分離の原則の徹底をめざす」と明記しています。この立場は、党員一人ひとりについても、しっかり守られます。
日本共産党規約は、「党は、科学的社会主義を理論的な基礎とする」としています。日本共産党は、社会の民主的改革の国民的事業をより正確にすすめるために、これまで人類が発展させてきた学問的成果を集大成した科学的社会主義を全党員が身につけることを重視していますが、信仰などの問題での理論的な把握を党員に求めてはいません。
日本共産党は、科学的世界観と宗教的世界観が異なることをあいまいにはしていませんが、信仰の有無や哲学上の一致を入党の条件として義務づけてはいません。「日本共産党は、日本の労働者階級の党であると同時に、日本国民の党であり、民主主義、独立、平和、国民生活の向上、そして日本の進歩的未来のために努力しようとするすべての人びとにその門戸を開いている」(党規約)のです。
日本共産党への宗教者(信仰者)の入党を承認する立場は、戦後まもなくから明確にされていますが、一九七五年十二月に中央委員会総会で採択された決議「宗教についての日本共産党の見解と態度」では、科学的社会主義と宗教の関係、宗教者と日本共産党との相互理解と協調の重要性などが全面的に明らかにされています。
宗教者と日本共産党との協力、共同は、靖国神社公式参拝問題、統一協会など各種の反社会的カルトの問題、さらに直面している有事法制(戦争への国民総動員法制)に反対する運動など、全国で多面的に発展しています。
(静)
〔2002・3・7(木)〕
お寺・僧侶の役割をどう考える?
〈問い〉 日本共産党は、お寺や僧侶の役割について、どのように考えていますか。(東京・一読者)
〈答え〉 今年の総選挙のさい、寺院向け雑誌による政党アンケートがありました。このなかに、「現代社会、そして将来にわたって寺院・僧侶は必要ですか」との設問がありました。
日本共産党は、僧侶・宗教者の役割について、次のように考えています。「宗教活動で指導的役割を果たしている宗教の教師(僧侶、神職、牧師など)の大多数も、生活者としてみた場合、独占資本の圧迫のもとにおかれている」「(多くの宗教者の願っているものは)通常の宗教的営みにしたがい、あらゆる形態での宗教と宗教団体の反動的、反民主主義的利用に反対すること、憲法の明記する信教の自由、政教分離、政治活動と政党支持の自由など民主主義的原則を擁護すること、平和と基本的人権の擁護、社会的ヒューマニズム、信仰者をふくむ国民の福祉などのために、宗派や信仰の有無をこえて協力、共同すること、などである」(「宗教についての日本共産党の見解と態度」略称「宗教決議」一九七五年十二月二十三日決議)。
現代の日本では、国民の多くが何らかのかかわりで寺院・僧侶とのつながりをもち、寺院は精神的、社会的、文化的に重要な役割を担っています。多くの僧侶は、経済的困難をかかえながら小規模寺院をまもり、地域の伝統文化の継承や住民の精神生活のために奉仕しています。日本共産党は綱領に「信教の自由を擁護し、政教分離の原則の徹底をはかる」と明記し、未来社会でも「複数の世界観や価値観の存在する自由は尊重され、科学的世界観の保持者も宗教をふくめ他の世界観の保持者も、平等かつ個性ある成員として自由な共同社会を形成するであろう」(「宗教決議」)と展望しています。この立場から日本共産党は僧侶・宗教者との対話と共同をすすめています。
(博)
〔2003・11・29(土)〕」
これは、前の「過去現在未来のメモリーノート 38 歴史の謎 ① 神奈川県川崎市会議員と宗教について」および「過去現在未来のメモリーノート 42 歴史の謎 ② 神奈川県川崎市会議員と宗教について ②」の続きです。