馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

細川ガラシャ終焉の地「聖マリア大聖堂」

2012年08月25日 | 歴史
大阪上町大地の一角、大阪城のおひざ元玉造に「 カトリック玉造教会【大阪カテドラル聖マリア大聖堂】」があります。ここに細川ガラシャと高山右近の像があります。

玉造教会の庭にはガラシャの「慰霊塔」が建てられています。この像は「散華350年記念」として1950年(昭和25年)に細川加羅紗頌徳会が建立したものです。
  

大聖堂前広場の両端にある高山右近と細川ガラシア夫人の石像は、カトリック信徒の彫刻家・阿部政義氏の作だそうです。

大聖堂の西北には、細川越中守の屋敷跡と伝えられている「越中井」が残されており、細川ガラシア夫人を記念して辞世の句碑が建っています。
 明智光秀の娘「珠(たま)」は細川忠興と結婚後、高山右近からカトリックの教えについて聞かされて心を魅かれます。珠は忠利(幼名・光千代)を産みますが、病弱のため日頃から心配していたところ、夫忠興が九州征伐で不在にかこつけて教会に出向きます。この日は復活祭の説教を行っているところであり、コスメ修道士は後に「これほど明晰かつ果敢な判断ができる日本の女性と話したことはなかった」と言ったそうです。珠はその場で洗礼を受ける事を望んだが、教会側は身なりなどから高い身分である事が察せられたので、洗礼は見合わされた。珠は洗礼を受けないまま、侍女たちを通じた教会とのやりとりや、教会から送られた書物を読むことによって信仰に励んでいた。ところが九州にいる秀吉がバテレン追放令を出したことを知ると、珠は宣教師たちが九州に行く前に、大坂に滞在していたイエズス会士グレゴリオ・デ・セスペデス神父の計らいで、自邸で清原マリアから密かに洗礼を受け、ガラシャ(Gratia、ラテン語で恩寵・神の恵みの意)という洗礼名を受けた。ガラシャはそれまで、気位が高く怒りやすかったが、洗礼後は謙虚で忍耐強く穏やかになったということです。
 

 ガラシャの最後は壮絶なものであったようです。
関ヶ原の戦の直前、夫・忠興が徳川方につき上杉討伐のため不在となった隙に、大坂玉造の細川屋敷にいた彼女を、西軍の石田三成は人質に取ろうとしたが、ガラシャはそれを拒絶した。その翌日、三成が実力行使に出て兵に屋敷を囲ませると、ガラシャは家老の小笠原秀清(少斎)に槍で部屋の外から胸を貫かせて死んだ(キリスト教では自殺は大罪であり、天国へは行けないという教えが一般的なめ)。「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」

今日も酷暑です。道路の側溝もこの暑さで「グニャグニャ」に曲がっています。

玉造教会の隣に「大阪女学院」があります。その一角に「大阪クリスチャンセンター」があります。
この会館で結婚披露宴をしました。
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