馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

「邪馬台国」は「ヤマト」と云う思い込み

2010年02月16日 | 歴史
信じて疑わなかった「オベリベリ」→「帯広」は間違いだったことを書きました。

ひょっとして信じて疑うことが無いことでも、もう一度見直してみる必要があるかもしれません。

「邪馬台」を「ヤマト」と云うことに何の疑いも持たずに「邪馬台国」は「何処だ!」と云っています。しかし、本当に「邪馬台」は「ヤマト」と読むんだろうか?

 こんなことを言い出すと「チョット危ない」人と誤解されそうです。「高天原は実在した」とか「空中浮揚ができます」と云うような「オカルト歴史」信奉者ではありませんのでご安心ください。
また、TVで水戸黄門が「先の副将軍」と云っているのを聞いて「副将軍」と云う役職があったのか、などと思うほど「歴史知らず」の素人歴史ファンでもないつもりです。
素人ですが「分別」と「常識」をわきまえた健全な歴史ファンのつもりです。

 昭和40年代半に「空前の邪馬台国ブーム」がありました。
そんな折下古田武彦の「邪馬台国はなかった」と云う本が出版されベストセラーになりました。市民歴史講座を標榜して全国の「邪馬台国ファン」に支持され、古田先生は各地の講演会で引っ張りダコの人気でした。

 倭人伝中「邪馬台国」と書かれているのは1か所だけだそうです。
「南至邪馬壹国。女王之所都」と表記されているそうです。
原本は「台」の文字のところが「壹」と表記されているそうです。

「魏志倭人伝」にしろ「古事記」「日本書紀」「風土記」「万葉集」などなどの文献は、一語一句、片言隻語研究し尽くされており、「邪馬台国」のような有名な「個所」は当然江戸時代から研究されています。
その結果「壹」は「臺」の誤記とされています。
(例えば後漢書ー邪馬臺国ー邪摩惟、梁書ー邪馬臺国、北史ー邪摩堆ー邪馬臺国、隋書ー邪摩堆ー邪馬臺国などの記載例かも「臺」の誤記と思われます)
また、地名の成立から「ヤマイチ」などと云う地名は存在しないそうです。
 古田武彦の主張する「邪馬壱国」は最初から「なかった」ようです。
ただ、「壹」は「壹」であるとした学者は古田だけではなく、例えば橋川時雄などは邪馬壹ーヤマイとし「山夷」と主張した例もあるようです。(山夷は地名として成立しません)

 「臺」「台」はともに「タイ」ですが、これは中国元時代からだそうです。
隋・唐の「中古音」では「台」=タイ、「臺」=ダイ、周・秦代の「上古音」ではもう少し違うようです(発音記号の入力ができませんので・・)

 魏志倭人伝が書かれた「陳寿」の時代は、前段の「中古音」使用時より400年前、「上古音」使用時より400年後の時間差があります。
長田夏樹(神戸外国語大学)が「洛陽古音」の存在を主張して「邪馬台国の言語」を出版したのが昭和54年のことです。
僕も早速買って読みましたが「言語学」の知識のない僕には、論拠を判断することができませんでした。
が、「洛陽古音」では「邪馬台」は「ヤマダ」に近い音だそうです。

 浅学の僕の知る限り、この長田夏樹「洛陽古音」に正面から対峙した論文が出されたのを聞いたことがありません。

「ヤマト」と信じて疑わない理由は「何なんだろう?」と改めて思い出しました。

写真は「邪馬台国」の本が並ぶ僕の書棚です。

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