大阪弁に「どんならんなァ」と云う言い方があります。辞書の語釈だと「どうにもならない。」となります。でも方言の持つ独特の意味合いを言い表すことは中々難しく、この「どんならんなァ」も言い方で千差万別の意味合いを持つ言葉です。
「どんならんなァ」「どんならんやつやなァ」など上方落語ではお馴染みのフレーズで、「無茶ゆーたらどんならんでぇ~」などと表現します。
六代目笑福亭松鶴がだみ声で「どんならんでぇ~」と云うのがごく自然で、恐らく彼は日常普通に「どんならんでぇ~」とぼやいたり弟子を叱っていたのではないかと思います。桂米朝や桂枝雀などが語る「どんならんでぇ~」は科白として上手に使ってはいますが、松鶴のような根っからの大阪弁ではないような印象を受けます。
「どんならん」は、辞書的には「どうもならない。始末におえない。けしからん」で、元々は「どうにもならん」→「どうもならん」→「どんならん」となったと言われています。
「どんならん」・・もう1つの語源
大阪城天守閣の入り口付近の大砲は、徳川幕府の時代には時間を空砲で知らせていたそうです。豊臣の時代には釣鐘がゴ~ンと時報代わりに鳴らされたので、釣鐘町なる街があります。明治政府になるまでは、正午には必ず「ドォ~ン」と、大砲の空砲が放たれていたそうです。大阪の庶民はお昼の食事前、口々に「ドン鳴らんな?」と呟いたとか・・・。それが今の大阪弁「どんならん」の語源なのだそうです。
この大砲は、もともと天保山砲台に据え付けられていたものを ご維新の後 大阪城内へと運ばれてきたものだそうです。
大阪府布令集によると明治 3 年 6 月 25 日から大阪城内用の時報として天守台上の大砲から空砲を、朝・昼・夕の 3 回発砲を実施するようになったようです。それが、何時しか昼だけになりこの時報が「ドン」と呼ばれ大阪の名物となっていました。大きな音で、風向きによっては堺まで聞こえていたらしいです。(この出典は皆同じのようで、どの記述も内容文体はどれも同じです)大阪城の「ドン」はその後、大阪庶民の生活に溶け込んでいましたが大正末期に廃止されたそうです。廃止の理由は大阪府庁が移転してきて「うるさい」と言うクレームが付いたとか、軍縮条約締結で予算削減によるものとか諸説があります。大阪城の「ドン」が廃止されて、それに取って代わるように北浜三越の屋上の鐘が取って代わったと言うことです。
「どんならんなァ」「どんならんやつやなァ」など上方落語ではお馴染みのフレーズで、「無茶ゆーたらどんならんでぇ~」などと表現します。
六代目笑福亭松鶴がだみ声で「どんならんでぇ~」と云うのがごく自然で、恐らく彼は日常普通に「どんならんでぇ~」とぼやいたり弟子を叱っていたのではないかと思います。桂米朝や桂枝雀などが語る「どんならんでぇ~」は科白として上手に使ってはいますが、松鶴のような根っからの大阪弁ではないような印象を受けます。
「どんならん」は、辞書的には「どうもならない。始末におえない。けしからん」で、元々は「どうにもならん」→「どうもならん」→「どんならん」となったと言われています。
「どんならん」・・もう1つの語源
大阪城天守閣の入り口付近の大砲は、徳川幕府の時代には時間を空砲で知らせていたそうです。豊臣の時代には釣鐘がゴ~ンと時報代わりに鳴らされたので、釣鐘町なる街があります。明治政府になるまでは、正午には必ず「ドォ~ン」と、大砲の空砲が放たれていたそうです。大阪の庶民はお昼の食事前、口々に「ドン鳴らんな?」と呟いたとか・・・。それが今の大阪弁「どんならん」の語源なのだそうです。
この大砲は、もともと天保山砲台に据え付けられていたものを ご維新の後 大阪城内へと運ばれてきたものだそうです。
大阪府布令集によると明治 3 年 6 月 25 日から大阪城内用の時報として天守台上の大砲から空砲を、朝・昼・夕の 3 回発砲を実施するようになったようです。それが、何時しか昼だけになりこの時報が「ドン」と呼ばれ大阪の名物となっていました。大きな音で、風向きによっては堺まで聞こえていたらしいです。(この出典は皆同じのようで、どの記述も内容文体はどれも同じです)大阪城の「ドン」はその後、大阪庶民の生活に溶け込んでいましたが大正末期に廃止されたそうです。廃止の理由は大阪府庁が移転してきて「うるさい」と言うクレームが付いたとか、軍縮条約締結で予算削減によるものとか諸説があります。大阪城の「ドン」が廃止されて、それに取って代わるように北浜三越の屋上の鐘が取って代わったと言うことです。
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