四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

日蓮聖人のご命日です

2013-10-13 17:01:25 | 生かされて今日

 天皇や貴族オンリーの権力側の仏教からはみ出して、権力武力の弾圧を冒しても一般庶民に教えを説かれた高僧を輩出したのは鎌倉時代です。

法然上人とその弟子の親鸞上人、踊り念仏の一遍上人、中国・宋に渡り悟りを開かれた道元禅師、命がけで鎌倉幕府をいさめた日蓮聖人など鎌倉新仏教の高祖たちです。

 今日13日は法華経を国の柱とすべしと説かれた日蓮聖人のご命日で御命講(おめいこう)と言います。前日は御逮夜(おたいや)で勇壮な団扇太鼓やまといが乱舞するパレードがあり、日蓮聖人が亡くなられた池上本門寺での山車が有名です。

「御命講(おめいこ)や油のやうな酒五升」 芭蕉松尾

 ご聖人はこわもてのお顔ですが愛弟子や信仰者たちへの心優しい手紙が300通も遺されております。鎌倉幕府は危険思想を説く悪僧として弾圧、捕縛し馬に乗せ江ノ島片瀬海岸へ連行、斬首しようとしました。その場所が竜ノ口、藤沢市片瀬の龍口寺です。

 『日蓮はあす佐渡国へまかるなり。今夜の寒きにつけても、牢のうちのありさま思ひやられて、いたはしくこそ候へ。あはれ殿は、法華経一部を色心二法ともあそばしたる御身なれば、父母、六親、一切衆生をもたすけ給ふべき御身なり。

法華経を余人のよみ候は、口ばかりことばばかり読めども、心は読まず。心は読めども身に読まず。色心二法ともにあそばされたることはとうとく候へ。・・・・・・・牢をば出させ給ひ候はば、とくとく来たり給へ。見たてまつり、見えたてまつらん。』

この遺文は「土籠御書(つちのろうごしょ)」の一部です。49才の聖人とその弟子たちも捕縛、この文の宛先は光則寺(鎌倉長谷に現存)の土牢に押し込められた愛弟子日朗(28才)へのものです。自分の身よりも弟子の辛さに心を痛められる慈悲がほとばしります。

日朗上人は後日、佐渡ヶ島に渡り鎌倉幕府よりの師の赦免状を持参されております。死別を覚悟の佐渡流罪ですからどんなにか感動の再会でしただろうか。南無妙法蓮華経


コメント    この記事についてブログを書く
« 第58回横浜俳句大会(その3) | トップ | 旧東海道の吟行 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

生かされて今日」カテゴリの最新記事