ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

人混みにて…

2014年05月08日 | 中学受験 行雲流水録

昔、まだパナソニックが松下電器と言っていた時代。月曜の8時東野英治郎の水戸黄門が始まった頃、オープニングに、♪~明る~いナショナル 明る~いナショナル みんな~ 家中~(うちじゅう~) で~んきでう~ご~く~ 明る~いナショナル 明る~いナショナル ラジオ~ テレビ~ な~んでも ナショ~ナ~ル~♪と歌が流れていました。

家には大した電化製品もなく、やっと60Wの蛍光灯が灯ったかという時代でした。ほんとに貧乏でしたが、なぜかあの歌を聞くと明日は明るくなりそうな気分になりました。上り坂の時代が伝わる空気感・高揚感を持っていたのかも知れません。翻って今、右を向いても左を見ても閉塞感漂う時代と論評されています。

しかし、本当にそうでしょうか。私たちはそんなに明日への希望のない時代に生きているのでしょうか。私は違うと思います。いや、違うと思いたい。今、新しい時代はそこまで来ている。しかし、前時代の衰亡期にあたり、端境期だと捉えるべきなのです。明治維新や二度の大戦と復興を経験し、その残滓と矛盾の処理に時間が掛かっていると考えます。

なぜなら、人類はおよそ150年から200年の間に一つの文化・文明を成熟に導き衰えさせていくと聞いたことがあるからです。150年盛衰説…萌芽期・勃興期・成熟期・退廃期・衰亡期の5期。日本でも然り。一つの政治体制は摂関政治にしても各々の幕府にしてもその倣いに当てはまります。唯一、徳川幕府のみは、鎖国という情報遮断の手段を以てして、260年ほど生きながらえました。とすれば、今は明治149年。あと50年もすれば新しい時代の中に必ずいるはずです。

では、それはどんな時代なのでしょう。きっとこんな時代です。地球上の全ての人が、皆それぞれに自分の特性を伸ばして生きることのできる社会か存在する時代。すぐにそんな時代が来るはずです。そのとき、人は昔を思い出して言うでしょう。「なぜ、あのころは、儲けることばかり考えていたのだろう。」「なぜ、あのころは、競争で勝つことばかり考えていたのだろう。」「なぜ、あのころは、いい点数を取ることがそんなに大事だと考えていたのだろう。」「最初から、自分の好きなことをしていれば、それでよかったんだ。」、と。

そして、続けて思います。「あのころは、才能を発揮する人間は、世の中には一握りしかいなくて、ほとんどの人は、退屈な仕事に耐えることで生活の糧を得ていると考えていた。しかし、今になってみると、それは全くの逆で、みんなが自分の才能を伸ばして生きていくのが本来の社会のあり方だったのだ。」、と。

そんな時代がもうそこまで来ています。そう信じる人が多ければ多い程、私たちはそんな時代を速く迎えることができるでしょう。人間は、誰も皆、天才です。ただ、今はそれぞれに仕事や生活が忙しく、その才能を発揮するのを後回しにしているだけなのです。

スーパーで多くの人に揉まれて買い物に付き合いながら、ふとそんなことを思ったゴールデンウィークの1日でした。


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