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ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

センス・オブ・ワンダー

2009年05月13日 | 中学受験 合格力随想
「センス・オブ・ワンダー(Sense of Wonder)」という言葉があります。『沈黙の春』の著者、レイチェル・カーソンの最後の著作にも、この言葉そのものをタイトルとした本があります。ネット書店のアマゾンによると、この本の紹介は次のようなものです(以下アマゾンのホームページより引用)。

「本書で描かれているのは、レイチェルが毎年、夏の数か月を過ごしたメーン州の海岸と森である。その美しい海岸と森を、彼女は彼女の姪の息子である幼いロジャーと探索し、雨を吸い込んだ地衣類の感触を楽しみ、星空を眺め、鳥の声や風の音に耳をすませた。その情景とそれら自然にふれたロジャーの反応を、詩情豊かな筆致でつづっている。鳥の渡りや潮の満ち干、春を待つ固いつぼみが持つ美と神秘、そして、自然が繰り返すリフレインが、いかに私たちを癒してくれるのかを、レイチェルは静かにやさしく語りかけている。そして、レイチェルが最も伝えたかったのは、すべての子どもが生まれながらに持っている『センス・オブ・ワンダー』、つまり『神秘さや不思議さに目を見はる感性』を、いつまでも失わないでほしいという願いだった。」

ここには、「センス・オブ・ワンダー」の訳として、「神秘さや不思議さに目を見はる感性」という日本語があてられていますが、私はもっと広く、「好奇心」や「知性」、「真実を知る喜び」などの意味も含まれていると思うのです。つまり、知らなかったことを知って「へえ~」と思ったり、疑問が解けて「なるほど」と思ったり、今まで複雑に思えていたことに説明がついて「すっきり」したり、これらすべてが「センス・オブ・ワンダー」だと思います。この喜び、この嬉しさ、この爽快感があるからこそ、人は何かを知りたいと思い、何かを考えたいと思い、何かを学びたいと思うのではないでしょうか。そして、それこそが、私たち人間が偶然にもこのような脳を持ち、このように思考でき、このように言葉を使えることのありがたみであり、特権であるのだと思います。

「そういうのは学者がやっていればいいこと。私たちには関係ない」と思っている人もいるかもしれません。でも、「センス・オブ・ワンダー」は、何も小難しい、高尚なことばかりに向けられているのではないのです。近頃のテレビを見れば、クイズ番組や雑学の番組が花盛りです。そういった番組にも、この「センス・オブ・ワンダー」がてんこ盛りです。その証拠に、それらの番組には、「へえ~」や「なるほど」や「スッキリ!」がいっぱいです。保護者の方にお願いがあります。それは、前述の本の紹介が、さらにこのように続いているからです。

「そのために必要なことは、『わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる』ことだという。」

どんなことでもいいのです。「小澤さんが代表辞めちゃったよ。次は誰になるのかなあ」とか、「けさ、梅雨前なのに入道雲がもくもくと出てたねえ」とか、「またパンが値上がりしたよ!小麦粉が足りないのかなあ」とか、お子さんに話しかけてほしいのです。そして、逆に、子供達が発見したり、気になったりしていることについて、気長に聞いて、「へえ~」「なるほど」「すごいねえ」などと相槌を打ってあげてほしいのです。

読書ももちろん、子供達の好奇心を刺激し、語彙を増やし、思考力を養うのに不可欠です。しかし、それ以上に、家庭でのこういう会話こそが子供達の脳と心を育てるのだと思っています。


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