せっかく楽しく学習をしているのに水を差すようですが、やりやすい学習というのは、実は密度の薄い学習であることが多いと思います。それは、読書や人の話を聞く場合などでも同じです。講演などでは肝心な内容の間に、息抜きの部分が入っているので、楽に聞いたりすることができます。難しい本を読んだり、密度の濃い話を聞いたりしていると眠くなることがあるのは、理解力がその密度についていけなくなって場合が多いのです。
密度の薄い学習で楽しく長時間できる方がいいか、密度の濃い学習で苦しいのを我慢して短時間で集中的に取り組める方がいいかは人によって違ってきます。一般に、低学年の場合は、学習の習慣をつけることが大事なので、密度は薄くても楽しく勉強できた方がいいと言えます。だから、子供がくたびれているときは、「今日は読書だけにしておこうね」というような対応を行います。その読書ももちろん、子供が楽に楽しく読めるようなものであるべきです。
小学校高学年や中学生、高校生になると、普通は次第に本人が密度の濃い勉強を求めるようになります。ときどき、中高生向けに、楽しく英単語を覚えるゲームアプリなどが紹介されることがありますが、まともな中高生ならばそういうものには見向きもしません。紙ベースでしっかりやった方が確実に身につくとわかっているからです。
ここで、ひとつ問題になるのは、塾や予備校などで友達が一緒にいると、密度の薄い学習でも、ついそのまま続けてしまうことがあることです。学習というものは、ひとりでやった方が密度の濃いものになります。他人と一緒にやれば、その分必ず密度は薄くなります。しかし、人間はよほど気力が充実しているときでない限り、ひとりで学習に取り組むことができません。
これは、仕事も同じで、ひとりで困難な仕事に取り組める人は、気力の充実している人です。ほとんどの人は、他人との関わりで、締め切りがあるとか、約束があるとかいう形にしないと、難しい仕事にはなかなか能動的に取り組めません。
つまり、学習の密度は本人のやる気と大きく関わりがあり、安易に第三者が規定できるものではなく、無理に行うと伸び悩みや学習拒否に繋がる要因を含んでいるのです。