
いささか使い古されたシチュエーションですが、

先日、角川文庫を読んでいたら、“『青春』とは、いきなりホームランに憧れるものである”と書かれたしおりが折り込まれていました。ほほぅ、うまいこと言うなァ……。

たとえば、野球をテレビでは見たことがあるけれど、やったことがない、としましょう。かっこいいなぁ、やってみたいなぁ、と思ったとしたら、初めてバッターボックスに立ったときには、ホームランをイメージしてきっと大振りすると思います。王貞治か松井秀喜かってなもんで、カッキーン! と……

なんと、ジャストミートの大ホームラン!! となるも良し。見事一回転、ドスーンとしりもちの豪快な空振りをするも良し。とにかく、かっこいーいのをイメージして思いっきりいけるのが『青春』の素晴らしさです。

私が子供の頃、「伊賀の影丸」という漫画が流行っていました。私はもちろん忍者ではありませんが、いつでもミズグモを使って池を渡ったり、高い塀に飛び上がる心構えはできていました。実際に、10年ほど前念願叶い、甲賀忍者村でミズグモに乗りましたが、あんなもの自由に使える方がおかしいシロモノでした。しかし、子どもの頃は確かに、スイスイ池を渡れると思っていたのです。

しばらく剣道を習っていたことがありますが、こちらはミズグモどころではありません。しっかり基礎から始めているので、「いきなり宮本武蔵にはなれない」ということはわかっていました。したがって、地道に練習していました。そんな一面もあったわけです。しかし、なぜか「伊賀の影丸」にはすぐになれると思っていたのです。

『青春』というからには、『朱夏』『白秋』とは違います。ましてや『玄武』とは…。大人になるとどうなのかというと、この前TOKIOの国文太一さんが、NHKのトーク番組でこんなことを言っていました。「目の前のことを一つ一つやっていく」。若いときはデビューすることが目標だったそうです。かっこいい先輩達にあこがれて、早くアイドルになりたかったのでしょう。しかし、今は「目標というよりは、目の前にあることを一つ一つやっていけば、その先に何かがあるのかもしれない」と語っていました。単なる憧れだけのアイドルではない、立派な社会人だと感じたのを覚えています。

実際に、社会人は「目の前のことを一つ一つこなしていく」、これに尽きます。大人の期間は何十年と長い。ときにはチャレンジもあるけれど、憧れだけでは突き進めません。コツコツと目の前のことをこなして大きな人生を成しとげていくのです。もしかしたらそのとき、あなたは若者から憧れの存在になっているかもしれません。

地道に粘るところは粘るべきです。学習にしろ、趣味にしろ、若いうちに基礎を固めておく良さはあります。しかし、それとは別に、憧れの存在の大人になるためには、『青春』時代までは大いにかっこいーいことに心から憧れてほしいと思います。初めてのバッターボックスでも大ホームランをイメージするように。

ホンマはかっこ悪くてもいい。それが許され、それが楽しい時代…それが『青春』なんです。
澪標