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2025黄釈子 Blog 「My Days」by 吉住幸則

元石川銀行出資被害者原告団長の「進化」する老人、どん底人生、日々の戯言。

アロハ、爺さん

2022年05月01日 | 日記

快晴の昨日、ガレージ前でウロウロしていたら、通り過ぎようとした車から人が降りてきて、「おじいちゃん、よろしくお願いします。」と挨拶された。マスクはしていたが、相手だって、60歳過ぎに見えたが、私がよく知っている人の弟さんだとか。

見知らぬ他人に「おじいちゃん」とはっきり呼ばれたのは、初体験だが、「老人入門」の第一章は、つまり客観的事実を素直に受け入れるカルチャーショックを乗り越えることだ。身内や孫や友人からは、「クソジジイ!」なのはよく知っているが、心の中では「なんの、まだまだ。100年とは言わないが、10年先だ。」などと思っていたのだ。

日々のちょっとした動作には、明らかに老化が進行していることを十二分に体験しながらも、臨時というか、そのうち、少なくとも、どこか3年前と同じには戻ると考えている。

ついこの間、背中の痛みに耐えている時、友人の医者が、しみじみと「老化が、一気に来たんだろうなあ」と言った言葉が、全くの真実だと、日赤逃亡の早朝に、雷が直撃したような衝撃で奈落に突き落とされて、悟った。

平坦な下り坂を徐々に降りていく老後人生ではなかった。大きな落差から突き落とされたのだ。

まあ、それでも何とか住み慣れた環境の気ままな日常生活に戻ってこれているのだから、実にありがたいではないか! 

よっしゃ! それなら、「元気なおじいちゃん」になるべく、それなりの努力をすっべ。具体的な行動が、次々、頭に浮かぶ。

その中の一つ、今年の夏は、アロハシャツで過ごすべえ。

写真は2019年。この年は、100歳になった両親二人を2月下旬と4月初めに見送ったのだが、孫たちと足羽川堤防の花見にも出かけたし、6月には長崎に一人出かけて、二人の友人と3日ほど、実に楽しく過ごした。写真がたくさん残っている。その帰りに、福井に戻らず、東京の孫たちに会いに行った。

わずか、3年前のことだが、自分の老化など、まだまだ先のことだと腹の底では思っていたのだから、何とも、知恵も心得も、足りない話だ。


ピーター・フォーク

2022年05月01日 | 気象

2022年5月1日(日曜日)午前7時:[  10c/16c/100%  SR0502-SS1842  ]{getup0600} 雨 大雨注意報

ちょうど夜明けの5時ごろから、雨が降り出した。暦が新しい月を迎えた。福井は大雨注意報が出ている。雨雲が日本海沖からどんどん流れ込んでくる。雨雲ならレーダーで見えるが、北朝鮮兵なら発見できない。

術目は30%ほどの時間、開けていられるようになった。開けていると、少し、ゴロゴロ感が出てくるし、開け続けていると、痛みも感じるが、昨日より、ずっと具合がいい感じがする。これは、白内障(まだ、ではなかったはず。高橋眼科では、左目が少し、白内障になりかかっている、と診断されたが、右目は何も言われなかった。)のレンズを入れたせいかもしれない。右目の「黄斑上膜」の手術の都合で、白内障の手術を同時にやったのだ。

写真は「黄斑上膜」の説明に使われる眼球の断面絵図だが、これを見て、不思議に感じることはない?

「ガラス体」の形。ネットで調べた他の説明でも、似たような絵図が載っているから、間違いではない。眼球って、丸くて玉のようだと思っているし、その内部のガラス体も当然、「球」だと思い込んでいるのが、普通の人じゃないかなあ?

何、この洋梨のように変形しているのは、どういうこと?
読んでいくうちに、分かる。このガラス体が老化(早い人は50代から)して、空気の抜けたボールのように、縮んでくるらしい。その時、眼底の視神経の網膜との間が離れ、間にあった薄い平らな透明の膜に変化が起きる。簡単にいうと、粘着テープをそっと剥がす時、場所によってはくっついた部分が引っ張られて伸びる。それまで、ぴったり平面に(球面だが)くっついていたのに、接着剤は伸びるし、元の場所は平らでなくなる。ギザギザになるのだ。

そのガラス体との間で伸びた薄膜の部分を網膜を傷付けないようにそっと切り離すのが、黄斑上膜手術。切り離された膜は元に戻るが、元どおりというわけにはいかない。ただ、伸びて変形した接着剤のような膜が、部分的に、あちこちでくっついていたガラス体との縁が切れて、元に戻って、時間と共に自力で表面が平になってくると、視神経に届く光の情報も、正常化する、という次第。透明でゼリー状の薄膜が、厚みなどの多少の変形は残るが、表面が滑らかになれば、光が直進できる。

これで、ようやく、病気の実態と手術の実態を理解できた。もちろん、日赤では、主治医も看護婦も、「患者はお分かりでしょ?本人なのだから」か「知る必要はありません」か、「珍しくもない手術だから」か、無知なのか知らないが、ネットでプリントアウトしたA42ページ、簡単解説ほどの説明は、全くされていない。

様々な、余計な書類を渡され、目が不自由なのに、読んで、などと平気で言われ続けたが、カリスマ眼科の実態は、カリスマ的な手術を行ってきたカリスマKB医師の影響で、組織が、それこそ「加齢黄斑変性」をしているに違いない。どんな手術だって、患者当事者は、常に「初体験」なのだから、それこそ、患者の言い分を聞いたり、答えたりする義務がある。

正常な左目の虫が、ものすごく増えたし、二重に見えるし、見えにくいと主治医に再診の時伝えたが、全く返答はなかった。二度、三度となった再検査も、両眼とも調べるのだから、何か反応があっても不思議ではない。まあ、一番いいのは、「大丈夫ですよ、異常は見られません。」だが、「右目の不都合の負荷がかかっている間は、少し見にくいかもしれませんねえ」とか「白内障が少し見られますが、今のところ大丈夫でしょう」とか、何とかかんとか。

無視はないでしょう? カリスマ眼科にきて、両眼とも、一度ならず検査しているのだ。答えるだけの、知識がないのか、経験不足だろう。

目は二つしかない。不都合な術目は書類を読めない。読める方の目が、いささか調子が悪ければ、「はい、ここに書いてありますので、その通り、点眼してください。」と、当然のように平気で言い捨てられるのも、なかなか、我が我慢もカチンとくるぞ。

なかなか、ピーターフォーク(ご存知、刑事コロンボの役者、彼は片目に義眼を入れていた)のように、忍耐強くは成れるものではない。