2022年5月1日(日曜日)午前7時:[ 10c/16c/100% SR0502-SS1842 ]{getup0600} 雨 大雨注意報
ちょうど夜明けの5時ごろから、雨が降り出した。暦が新しい月を迎えた。福井は大雨注意報が出ている。雨雲が日本海沖からどんどん流れ込んでくる。雨雲ならレーダーで見えるが、北朝鮮兵なら発見できない。
術目は30%ほどの時間、開けていられるようになった。開けていると、少し、ゴロゴロ感が出てくるし、開け続けていると、痛みも感じるが、昨日より、ずっと具合がいい感じがする。これは、白内障(まだ、ではなかったはず。高橋眼科では、左目が少し、白内障になりかかっている、と診断されたが、右目は何も言われなかった。)のレンズを入れたせいかもしれない。右目の「黄斑上膜」の手術の都合で、白内障の手術を同時にやったのだ。
写真は「黄斑上膜」の説明に使われる眼球の断面絵図だが、これを見て、不思議に感じることはない?
「ガラス体」の形。ネットで調べた他の説明でも、似たような絵図が載っているから、間違いではない。眼球って、丸くて玉のようだと思っているし、その内部のガラス体も当然、「球」だと思い込んでいるのが、普通の人じゃないかなあ?
何、この洋梨のように変形しているのは、どういうこと?
読んでいくうちに、分かる。このガラス体が老化(早い人は50代から)して、空気の抜けたボールのように、縮んでくるらしい。その時、眼底の視神経の網膜との間が離れ、間にあった薄い平らな透明の膜に変化が起きる。簡単にいうと、粘着テープをそっと剥がす時、場所によってはくっついた部分が引っ張られて伸びる。それまで、ぴったり平面に(球面だが)くっついていたのに、接着剤は伸びるし、元の場所は平らでなくなる。ギザギザになるのだ。
そのガラス体との間で伸びた薄膜の部分を網膜を傷付けないようにそっと切り離すのが、黄斑上膜手術。切り離された膜は元に戻るが、元どおりというわけにはいかない。ただ、伸びて変形した接着剤のような膜が、部分的に、あちこちでくっついていたガラス体との縁が切れて、元に戻って、時間と共に自力で表面が平になってくると、視神経に届く光の情報も、正常化する、という次第。透明でゼリー状の薄膜が、厚みなどの多少の変形は残るが、表面が滑らかになれば、光が直進できる。
これで、ようやく、病気の実態と手術の実態を理解できた。もちろん、日赤では、主治医も看護婦も、「患者はお分かりでしょ?本人なのだから」か「知る必要はありません」か、「珍しくもない手術だから」か、無知なのか知らないが、ネットでプリントアウトしたA42ページ、簡単解説ほどの説明は、全くされていない。
様々な、余計な書類を渡され、目が不自由なのに、読んで、などと平気で言われ続けたが、カリスマ眼科の実態は、カリスマ的な手術を行ってきたカリスマKB医師の影響で、組織が、それこそ「加齢黄斑変性」をしているに違いない。どんな手術だって、患者当事者は、常に「初体験」なのだから、それこそ、患者の言い分を聞いたり、答えたりする義務がある。
正常な左目の虫が、ものすごく増えたし、二重に見えるし、見えにくいと主治医に再診の時伝えたが、全く返答はなかった。二度、三度となった再検査も、両眼とも調べるのだから、何か反応があっても不思議ではない。まあ、一番いいのは、「大丈夫ですよ、異常は見られません。」だが、「右目の不都合の負荷がかかっている間は、少し見にくいかもしれませんねえ」とか「白内障が少し見られますが、今のところ大丈夫でしょう」とか、何とかかんとか。
無視はないでしょう? カリスマ眼科にきて、両眼とも、一度ならず検査しているのだ。答えるだけの、知識がないのか、経験不足だろう。
目は二つしかない。不都合な術目は書類を読めない。読める方の目が、いささか調子が悪ければ、「はい、ここに書いてありますので、その通り、点眼してください。」と、当然のように平気で言い捨てられるのも、なかなか、我が我慢もカチンとくるぞ。
なかなか、ピーターフォーク(ご存知、刑事コロンボの役者、彼は片目に義眼を入れていた)のように、忍耐強くは成れるものではない。