昭和18年だから、私が生まれる前のことだが、親父は瑞宝章をもらって、勲8等から勲7等になっている。天皇命だから、戦時中の「勲章」に違いない。実に立派な賞状だから、よく見るともなく飾ったままにしておいたのだが、75年前の歴史だな。
もう一つ気が付いたのは、母親には異母兄弟を含めると、14名の子供の中の一人だった。びっくりするしかない。先妻には五人の子供がいて、その中に、母親と同じ「愛子」がいたが、明治43年に生まれ、大正5年には亡くなっている。小学校に上がる頃に死んでいる。
そこで、後妻の長男が大正5年に生まれ、母親の実家を継いだ長男だったが、なぜか「サブロー(三郎)」という理由が未だ不明だ。先妻に男は三人いるし、後妻の男は4人いるのに、母親の下に「一男」という、米屋のおんちゃんがいる。数字は、順番に影響していないのだろうか?
母親は大正8年生まれで、その先妻の「愛子」の分まで、長生きしたに違いない。
もう一つ気が付いたのは、母親には異母兄弟を含めると、14名の子供の中の一人だった。びっくりするしかない。先妻には五人の子供がいて、その中に、母親と同じ「愛子」がいたが、明治43年に生まれ、大正5年には亡くなっている。小学校に上がる頃に死んでいる。
そこで、後妻の長男が大正5年に生まれ、母親の実家を継いだ長男だったが、なぜか「サブロー(三郎)」という理由が未だ不明だ。先妻に男は三人いるし、後妻の男は4人いるのに、母親の下に「一男」という、米屋のおんちゃんがいる。数字は、順番に影響していないのだろうか?
母親は大正8年生まれで、その先妻の「愛子」の分まで、長生きしたに違いない。