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6月は梅雨

2015年06月02日 23時26分15秒 | Weblog

 ついに6月に入ってしまった。この月が来ると、1年の半分が過ぎてしまうということになるのである。月日の経つのは本当に早い。年齢を重ねると、この速度は加速度を増して過ぎ去っていくように感じるのである。かの俳句の大家「松尾芭蕉」も、この時節の過ぎ行く速さを痛烈に感じていたことであろう。
 6月は梅雨の時期である。湿気が多く、雨の日が大半なのである。こんな時は、食料の保存に非常に神経を使うのである。直ぐに腐ってしまうからである。食物は、日本古来から神によってもたらされる、人間として必要な貢物という意味合いがあった。古の日本では、食料は神に通じるもので、非常に高貴なものとして扱ってきた。当然にして、人間の生命を維持していくためには無くてはならないもの、それが食料であった。そのため、五穀豊穣を願って、神に捧げる儀式が多くの地域で行われていたのである。また、この食料の崇高な意味合いから、神社なども建てられて崇め奉られてきたのである。日本人は、万物の中に神が存在するという、精霊思想、八百万の神の思想がある。すべてのものには、崇高な神の存在があって成り立っているということなのである。この点、キリスト教やイスラム教等の一神教とは異なる信仰や風習があるのである。
 食膳において、西洋と日本とが決定的に違う点がある。それは、西洋(含む韓国・中国)は、箸やナイフ・フォークを縦に配置するのに対し、日本では箸を横に配置する。この理由は、日本では述べてきた通り、食物は精霊=神に通じるものと捉えてきたことで、神聖なものとしている。そのため、人間の俗世間とは、箸によって結界を引くということの意味合いがある。要するに、神聖なものと俗な世界のものを、箸によって分断するということである。そして、神聖な食物をいただくといことで、お祈りをして食事をするということになるのである。ここが、箸を横に置くという、日本古来の風習になっているのである。これは、他国では見れない思想の一端なのである。食べることは、神を自身の中に取り込むことなのである。このように、食事というものは、日本においては神聖なものとされてきたのである。
 食事のスタイルも、日本では大きく変わってきた。西洋文化の浸透により、洋式化してきているのではあるが、日本古来から培われてきた思想に基づく伝統は守っていきたいものである。